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2007/07/01(日)
施設入所
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仕事を一日休みにして甥のKを施設に連れて行く。甥は姉の子供であり、障害児である。自分の息子と同級生になる。普通の子供ならば高校2年生の青春真っ盛り。しかしKには青春というものがない。いや、あるのかもしれない。男の子なので声変わりもしているし、はにかむしぐさもあり、母親をうるさいという気持ちも持っている。 Kは大学病院で生まれた。地元の病院の産婦人科で、絶対安静ということで入院していたが、流産の恐れありということで救急車で100Km以上はなれた大学病院へ搬送された。その翌日にKは生まれた。体重が700gだった。せめてあと一ヶ月、母親のおなかの中にいればということだったが、神はそれを許さなかった。 ガラスケ−スに入ったKを見たとき眼を疑った。これは人間の子供なのかと・・・。犬か猫の赤ちゃんのように小さいのだ。これで育つのだろうかと心配した。宇宙飛行士のアスラノ−ツのごとくに管だらけであった。 あれから17年、いまだに歩けないし、知能は2歳児より少しましな程度である。中学までは義務教育ということもあり地元の学校に通ったが、それからは自宅と一時預かり施設で対応してきた。今までにも入所の機会があったが、そのたびに断られた。断る理由は、中途半端ということである。寝たきり、もしくは動けない状態であればいくらでもそういう施設はあるし、軽作業ができる程度であれば、それなりの施設はあるのだが、Kの場合はどちらにもあてはまらない状態であった。今回とつぜん国立の施設に空きがあったということで、急遽入所ということになった。 入所のための各種の手続きが終わり、帰宅のときがちょうどお昼時、食事をするところを見学していきますかと勧められたが、それを断り帰宅する。後追いをされたときのことを考えたのだ。姉も同じ事を考えていたらしく、同意見だった。帰宅の車の中、後部座席で姉はずっと泣いていた。何も言ってやることができなかった。こういう子供はいずれは手放さなくてはいけない・・いつでも覚悟はできている・・とは言っていたが・・・。17年間ずっと面倒を見てきた。いろいろな思い出が頭の中をよぎったであろう。 しかし、障害児でなくとも別れは同じだ。小学校で分かれる子供、中学で別れる子供、いろいろあるが、ほとんどは18歳の高校卒業で専門学校か大学に行かせるわけで、それを考えればちょっと早いかなというくらいでしかない。 姉にしてみればまた違う感情であろうが、今、施設に空きがでたときに入所できなければ、またいつになるかわからない。一生面倒を見てやるわけにはいかないのだ。 もちろん面会にはいつでもいける。車でも電車でも一時間くらいの距離である。そんな意味ではまだ幸せなのかもしれないと姉に言った。それだけしか言えなかったが・・・・。
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