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2008/02/05(火)
神様
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先日の飲み会であいかわらずギタ−を弾いていると、ある社長がどうやったらうまくなるのか・・と抽象的な質問をした。どうやったら・・・練習しかないだろうという結論たが、この練習、やみくもに練習してもいきなりうまくなるわけではない。練習はいわゆる慣れだと思っている。長い期間同じ事を繰り返すことにより勝手に手が動くようになるのだ。 だから毎日同じ練習を3時間ずつ一週間続けたらマスタ−できるかというと、そういうわけにはいかない。腱鞘炎になるのがオチである。暇があれば弾くこと。これがコツだろう。自分も下手なくせに偉そうなことは言えないが、少なくとも練習のコツはつかんでいるつもりである。 毎日少しずつ練習して、もうだめ、これで限界と言ったときにうまくなれるかというとそうではない。半分あきらめながらも続けていたときに、ふっと神様がプレゼントしてくれるような気がする。これは仕事でもなんでもそんな気がする。要するに限界まであきらめずにやることである。そこまでやらないと神様はプレゼントしてくれない(笑)。 ただ、世の中は生まれながら器用不器用がある。不器用な人はそれだけ余計に努力が必要になる。それと要領のいい人は最短コ−スでマスタ−していく。要領の悪い人は遠回りをしてしまう。一見不公平のようだが、実はそうではない。要領のいい人は色々な分野で苦労してきた人である。だから無駄を省くように本能がそうさせる。とにかく何に対しても努力することである。 なんか偉そうなことを書いているが、あくまで持論である。才能とか障害者とかそういうレベルではないことを断っておかないと誤解を招きやすいが。 ギタ−のリペア道楽が一段落してみると、自分は何が弾けるのかと自問自答した。結局たいしたものは弾けないという結論である。弾き語りは別の問題としてもソロギタ−のレパ−トリ−をもっと増やしたいと実感した。バンドもそれなりに楽しいのだが、ロックなどはドラムスまで参加するような環境はそうはない。結局楽器の演奏と言う点では最後は一人である。一人での努力、孤独な努力である。その孤独な努力の積み重ねの集大成がバンドなのだと思う。 モ−リスの古い000タイプのアコギをポロリとやっていたら、ふと中学生の頃の気持ちがよみがえってきた。あの頃は何もかもが新鮮であった。結局中学3年のとき、校長との司法取引により文化祭のステ−ジに立つことになるのだが、地元の中学でバンドとして発表したのは我々が最初で最後のような気がする。 もっともっとうまくなりたいと思う。次の曲は何をマスタ−しようか・・・結局それしかないのだろう。苦労、努力、忍耐、勤勉、やはりどの世界においても、結局これしかないような気がする(笑)。
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