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2008/04/06(日)
メディアとソフト、点と線
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先日50代の女性といろいろと話をした。最近は音楽もいろいろなものがあるから困るというのだ。つまり我々の頃はレコ−ドとカセットしかなかったから話が単純だったのだが、最近はMD、CDとi-tuensとかあり、パソコンにいたっては拡張子がいろいろなのでついていけないというのだ。ふむふむと納得する。 この女性とは、まぁ猫仲間というか猫好きという点で話が合うのだが、彼女は猫好きのくせに猫アレルギ−という笑えないオチがついている。なかなかの読書家で歴史好きという点でも自分とウマが合う。 最近はクラシックにはまっていて、20代の息子さんと夜中に衛星放送の交響曲を聴いているという。彼女によると音楽で一番安上がりなのはクラシックだという。流行がなくて、名盤も一曲につき3枚ほど揃えれば間に合うという。極端な話CD一枚で一生楽しめるということである。なるほどと自分もにやにやしてしまった。 ついでに若者と我々の思考回路は違うという点に話がおよんだ。つまり我々のようなアナログ人間は線で思考するというのだ。順番に手繰り寄せないと思考がつながらないということ。ところが若者は線ではなく点の思考だという。つまりデジタルである。あれをやりながらこれをやり、これをやりながら別のこともこなしてしまうというのだ。なるほど確かにそうである。 ついでに、その思考回路だと先輩も後輩も年功序列もなく、あるのは今の自分とそのときの相手だけ。会社は仕事をしてその報酬として賃金をもらうだけ。今だけしかないから年金も昇給も出世もあまり考えない。つまり今の時点での点である。パソコン画像で言うところのドット、四角い点。過去から現在、未来へとの線のつながりがないのだ。とうぜん年金などかけない。もってのほかである。ましてやあやふやな年金問題、かけろというのが無理というもの。 などとあれこれ話をしているとつきないのだが、彼女と話をしていると非常に勉強になる。なかなかの先輩である。
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