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2008/05/14(水) 弦高シンドロ−ム
 先日Y女子より預かったヤマハのFG-200Fの黒ラベル(写真右)の調整が終わった。弦高3.2mmというところか。ナットの溝を深くして非常に弾きやすくなった。ピッチの調整もまぁまぁである。
それとエピフォンのAJ-45(写真中央)、これは弦高を異常に低くしてなんと2mmである。当然ビビル(笑)。しかしこのビビリ音がなんとも言えず好きである。エピフォンのギブソン系の音と実にマッチしている。このビビリ音で拓郎の「リンゴ」を弾くと、まさに石川鷹彦のあの音と同じくなる。
 最後にヤマハの赤ラベル、このギタ−、後輩より預かりっぱなしのものだが、リペアが終了した。そこで彼にリペア費用が一万円と冗談で電話したら、「あ、それ買ってくれるかな・・・、リペア代の一万を引いて六千円で売るけど・・」、え・・・ほんと??。
 ということで簡単に自分の所有となった。彼は織物会社の社長なのでマ−チンなんかも所有する金持ち。遠慮なくその話にのった。ヤマハの赤ラベル、この後の黒ラベルに比べるとネックがVネックなので弾き易い。ま、好みと慣れの問題もあるのだが。
 この赤ラベルFG-150、ネックの反りを治して、それでも弦高が異常に高かったので、ブリッジそのものにカンナをかけてある程度薄くした。これでサドルも下げられるようにして調節したもの。音に多少影響があるのかと思いきや、まったく影響がなく、あいかわらず赤ラベル特有のすごい箱鳴りである。

 アコギの弦高だが、基本的に12Fで3mmが基本、しかしリ−ドやハイコ−ドを多用する人には少しきつい。しかし2.5mm以下だとエレキと違い弦の振動幅が大きいのでビビリやすくなる。自分の場合フィンガ−ピッキングが多いので低いほどいいのだが、ストロ−ク派にはビビリまくる。自分の所有するアコギの1/3は強く弾くとビビル設定である。やたらといじりまくるので最近は何がなんだかよくわからなくなっているが(笑)。

 

2008/05/03(土) 連休
 世の中は連休である。どこかへ出かけようと女房が言う。しかし本日は仕事。昔交通標語に「狭い日本、そんなに急いでどこへいく」という名コピ−があったが、自分はそれを借りて「貧しい日本、そんなに休んでどうなるの」とひがんでみせたりする(笑)。

2008/05/02(金)
 酒を飲む。ひととき幸せになれる。幸せになっているうちに寝てしまう。なぜならその後に襲ってくる自虐と倦怠感が怖いからである。ある意味自分をごまかしているともいえる。つまり自分の場合はほとんど寝酒である。ナイトキャップとも言うらしい。 歯磨きをした後なので日本酒は飲まない。焼酎かウィスキ-なのだが、やはりウィスキ−がいい。好きなのはサントリ−のトリスという安酒。これは別にけちっているわけではないが、これがうまいと思うのである。どうやら根っからの貧乏性なのだろう。
 どれくらい寝酒に飲むのかというと、シングルで水割り、もしくはお湯割で一杯ないし二杯である。それをコップの中に残して眠ってしまうこともある。基本的にあまり酒は強くはないのだろう。体には一番悪い飲み方であることは分かってはいるのだが・・・。

2008/05/01(木)
 昔フリ−トウッド・マックというバンドがあり、このバンドの「噂」というアルバムが世界中で大ヒットした。もちろんその影響は自分も受けていたわけだが、最近そのアルバムをCDで聞いて、やはりすばらしいと感じだ。同時に苦い青春の思い出が蘇ってきた。なんともやるせない気持ちが懐かしいと同時に自分を襲ってくる。
 アパ−トの一人暮らし、会社との往復。その頃の生きがいはやはり音楽しかないわけで、当時からブル−スが自分のメインだった。そんな中アメリカの大ヒットアルバムを当時付き合っていた2級下の女の子が貸してくれた。それをテ−プに落とし毎日聞いていた。
 将来の見通しが何もなく、就職した会社も将来性がないことはなんとなく感じていた。当時の仕事は着物のデザイナ−。絣専門の会社なのでデザインといっても古典的な図柄がほとんど。問屋のご機嫌伺いに図案の下絵を持っていっては頭を下げる毎日。部屋に閉じこもり机の前で絣の十字を書く毎日・・・。
 事実、会社は半年後に倒産。それから今の仕事の国家資格をとるまでに流浪の日々の数年が続くことになる。あの頃の自分を振り返ると赤面することが多いのだが、それが若さという事なのだろう。
 フリ−トウッド・マックの「噂」。今聞いてもこれは名アルバムだと思う。


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