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2004/06/23(水)
アフリカにむけて。
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アフリカへ向けて。 日々考えます。 今の気持ちを文章にしてみました。「プロローグ」の最後のところにも同じのを入れておいたので、こちらが読みにくい方はどうぞ。
よかったら、みなさんの意見、アドバイスをください。 (長いです。) **************
ほんまにあたしはいきたいんか。なにしに行くんやろう。 生きてることを感じるため?いろんな人と出会うため?自分の目で見る、自分のからだで感じる?なんであたしはアフリカにいきたいと思ったんやろう。なんでスワヒリ語を勉強してるんやろう。なんで大学に行こうと思ったんやろう。
考えたらどんどんどんどんさかのぼっていって、いろいろ考えてしまって、行き場がなくなる。 アフリカへいく意味、明確な答え、人に聞かれて答えられる答えが必要なんか。
アフリカへ自転車でいく、去年の春にいいだして約1年、いろんな人にあったり、話し合いをしたり、トレーニングしたり、日本一周をしたり、準備をしてきた。 治安について、自転車で走ることについて、アフリカという地について、考えてきた。 どうしようもなくなって、逃げたいと思うこともあった。逃げればいいやん、自分で選んだ道なんやから。いくらでも、いろんな生き方はある。いろんな人に出会って、それくらいちょっとはわかってるやろう。
女であるということ。
先輩の言葉をかりると、「レイプされ、金品を盗られるだけならまだしも、命まで奪われるかもしれない。」 そこまでリスクを背負って、なぜ行くのか。そこまでしないといけないのか、他の手段だっていいやんか。
考えれば考えるほど、ますます深みにはまっていく。自分が女であるということは変わりない。自転車がアフリカで高級品であるということ、アフリカには貧しい地域があるということには変わりがない。どうしようもないのか。解決方法は見つかるのか。
アフリカへいかないこと?アフリカへ自転車でいかないこと?ほかの道をさがすこと?自分の夢をあきらめて? これまでしてきたみたいに、ほかの見方をすればいい?ほかの角度から考えて。はじめはどうしようもなく、つらいんやろう。けど、また笑える?また笑って生きていける? あたしはどうすればいいんやろう。あたしにできることはなんなんやろう。
危険意識が足りないのではないか。甘すぎる。
あたしはどこまで用心すればいいのやろう。「僕はすべての人を疑う。」坂本達さんはいう。嫌なことかもしれない、あたしも最初はすごく抵抗があった。なんで?みんな人間やんか、心があるやんか。なんでびくびくして旅行せなあかんの??
女を隠すこと、男に見せる。ということに関しても始めは抵抗があった。 「あなたには女を感じます。それを隠す努力をしてください。」出発初日、姫路の消防士さんがサングラスと一緒にくれたアドバイスやった。 なんで?あたしはあたしやん。そうすることで自分が自分でなくなってしまう気がした。旅はしたい、けれどあたしは山崎美緒として、生きたいんや。 結局、翌日から最後までずっと長袖を着て、サングラスをかけて走った。途中で髪の毛も短く自分で切った。黙って走っていれば「男」に間違えられるようになった。
人を疑う。大人は、というかあたし以外の人はみんなそうして生きているんか。 なんて生きにくい世の中なんや。でも、なんで生きていけるんやろう。それでもなんで人は笑ってるんやろう。
「いろんな角度からものごとを見てみて、美緒ちゃんの角度から見つめて、プラスに考えたらいいんだよ。」後藤千枝さんは教えてくれた。 世の中には、どうしようもならないこと、ちょっとやそっとじゃあたしには変えることができない普遍的な事実がある。自然や環境、生活、治安もそうやけど、あたしが女であること、満点が自転車であること。 そんなものに出会ったとき、あたしが角度を変える。あたしがかたちを変える。
「人に合わせる。それは、自分を失ってるというわけではなくて、そうしたほうがお互い楽やから。お互いの関係が気持ちよくなるから。自然になっとるんや。」 自分がかたちを変える、人に合わせるということは自分を見失ってる、自分を押さえているのかもしれない。そう思っていたけれど、合わせるというのは無理しているわけではなくて。自然に自分からでるもの、お互い気持ちよくいられるために、そうなんやったら、それでいいやん。 「つらい」と感じていること、いらいらしてしまうこと、一度止まって冷静になって、違う角度から見てみる。 また、笑っている。どうしようもないこと、なんてないかもしれない。生きている限りはなんとかなる、また笑える。
これはあたしがラッキーやから思えることなんやろか。あたしが世間知らずやから、ほんとうのつらさ、怖さを経験していないから言えることなんやろか。 けど、ほんとうのつらさ、怖さって何や?人はつらい目に遭わないと、死にかけないと語れないのか。危険意識が持てるようにならないのか。
人を疑うことも、自分がかたちを変えることも、お互いが気持ちよく生きていくためには必要なことや。あたしはよそ者なんやから。なくせる危険はなくさないと。そのためにはできる限りの手をつくす。 そうしたら、また笑える。楽しく生きていける。 甘い、か。意識はまだまだ足りない、か。
アフリカへの出発を8月中やとすれば、これから一ヶ月ちょい。 期間は不十分か。けれど、2ヶ月、3ヶ月、1年、と延ばしたところで「安全」なのか。確かに得られる情報量は増えるかもしれない。余裕をもって動けるかもしれない。 けれど、失うものも大きいやろう。逃げていくものも。
慎重に、冷静に、考えよう。 あたしが選ぶ道ではあるけど、あたしは一人で生きているわけではない。 「両親との話し合い」なによりも大切なことや。
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