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2006/03/23(木)
閉塞感
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絶対的な存在を作るべきだった、せめて、音楽業界においては、その必要があったはずだ。。。いわゆる評論家的にアメリカのビートルズと比較されるバンドはたくさん居た。
結局ダメだった。
日本のビートルズを作るべきだった。。。結局、相対的な価値観を脱するということは極端にならざるを得ない、しかし、評論家の視点的に極端さと商業的とは共存し得なかった。。。。
結局、観客の熱狂の中から事実上に沸き起こった異端児しか見い出せず、しかも評論家のくせに事後的にしか扱えない貧弱なマスメディア。。。。
極端さを嫌う商業的な評論家的な価値観にはうんざりだ。
もちろんそんな中央集権的な価値観を作っているのは、権威ぶった一部の雑誌だ。。。
ようするに、何処かの彼の地の業界の一部は日本の一部の権威ぶったシーーーーーンが大好きで、その猿真似がだーーーーい好き!!!
露苦金音。。ROKINON。。。
国民総評論家時代の音楽氷河期を作った雑誌でもあります。
頭で考えて、音楽を頭で考えて、評論して、シーンを作るのは自分達だと考えて、作り手、聞き手の自由を奪った張本人です。
ジミヘンドリクスが頭で評論してもらうのを、欲しただろうか?
カートコバーンが言葉で評論してもらうのを、欲しただろうか?
評論家がシーンを判断し、シーンを作るべきだ!!という傲慢さが、インディーズシーンの均質化につながり、結局盛り上りきれない、つまらない現状にいたっている。 シーンをつくるのは誰か?評論家風情のイベンター気取りか?
当然、シーンを作るのは、作り手と聞き手の当事者のみであるべきである。
最高!!!!!!!!!!!!!Rockinon!!!!!!!!!!!
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