健太郎の生き様
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2006/03/31(金) 17年度
僕は10年近く勤めた会社を辞めて、今はp−たろうでせう。

いわゆる、世間的にどんな親父だろう。
先日、幼稚園の調査書の職業欄は、もちろん『無職 』である。
だけど、子供と以前より接する時間が断然増えて、むしろ父親らしくなったのは、確実である。

仕事を、ドロップアウトした分際で、何言うものか。この俺は

ダイエーの新しい代表取締役林文子女史はかく言いたり。
『従業員が幸せじゃないと、お客様に幸せの提案が出来るわけがない!!!従業員が家族と幸せになって初めて、お客様への幸せの提案が出来る』
だとよ。

17年度。2005年度。さようなら。

時代よ!あなたは偉大でした。

2006/03/30(木) ちょっと書かないとすーーーーぐ年度は替わります。
あっつっという間に、年度末を迎え、そして、新年度を迎える。
時の流れはドウシヨウモナイデスナ。
ゼンブカタカナデカキタイクライデス・
今、子供の『しつけ』の担当を我が実家内の4世代家族の中で第3世代代表として、担っております。

主に、@ご飯を食べたがらない我が娘の食育としてのしつけと、A食べるなと言っても娘の分まで食べようとする嫁との戦い、である。

幼稚園児である娘に関しては、基本、『食べなさい!!!』と言ってれば済む。

コレが、『対、嫁!!』となると違う、こっちが自分のご飯を食べている隙に、自分の娘のおかずを奪おうとする豪傑だ。そう!!基本が豪傑なのだ。基本、胃袋が戦国武将なのだ。

たとえ、『それが自分の腹から出てきた、大切な娘だとしても、食物に関しては基本的に、動物の本能に従う』と言う事らしい

よって、嫁は自分の子供の食物をおかずを基本的に狙っている。。。
正直、恐ろしい話である。動物は本能で生きるために、子孫を大事にしようとする。

僕の伴侶は人類史上初、本能的に母性を喪失した母である。

2006/03/29(水) ケッコー毛だらけ猫灰だらけ、アナルの周りはクソだらけ
って、書いても、月が替わると、見る人も居なくなるので、月の終わりの日記って気楽に書ける。

それなら気楽全開に。
書きたいままに。

保守対保守の二大政党制って成立するはずないだろ!!!
バカチンが!!!それは学級委員長が体育委員を兼ねるようなモンだろうが!!

そうです。僕は給食委員を2期連続勤めたツワモノデス。奉仕の精神全開です。


そういえば、アナルで思い出しましたが、みなさん、花粉症大丈夫ですか?

僕は学生時代、保健室に入り浸っていたお陰で、すっかり天然の菌には免疫が付きました。

ありがとう、オキシドール!!!最高!!!イソジンガーグル!!!

2006/03/28(火) さかな。さかな。さかな〜
この前スーパーに行ったら、前は『さかなさかなさかな〜』って魚の歌ばっかり流れてたのに、今度はお肉の歌が流れていた。

『おにく!おにく!おにく〜〜!!』では、ないが。
明らかに、二番煎じ。。。

ダメだろ!!!そんなことじゃ!!!

『お肉でたっぷり中性脂肪!!!コレステローーールさっいこーーーうだ〜〜〜い〜〜!!!狂牛病なんてへっっちゃらさ〜〜〜!!!だって、僕らは農耕民族!!!野菜のパワーでプリオンなんてイチコロサ!!!!』

あっコレじゃ野菜の歌だ。。。。

2006/03/27(月) やっほーーーい!!ねたがない!!!
もうね。日記にネタがないの。。。

毎日、鴨池公民館の学習室に行って、勉強して、帰るだけの毎日だから。。。

バンド活動以外に、人とのふれあいがないんだって。。。

この前は、たまたま、居眠りしてたら、いびきを掻いてたらしく、前の席の人から怒られたよ。。

『ちょっと!!!起きて下さいよ!!!!』

って。初めて、学習室で交わした会話が、、、それ。。。。

みんな、それぞれ頑張っているからね。
俺も頑張らなきゃ!!

2006/03/26(日) あるラーメン屋での出来事
鹿児島に出来た東京の有名ラーメン店での出来事

店に入り、まずメニューをみる。
ラーメンの種類は醤油ラーメンとチャーシュー麺だけ。
メニューにはこう書かれていた。

『大 750円』
『中 700円』
『並 650円』

なぜ、大、中と来て並なのか。。。。

不思議に思いながら、僕は『大』を頼み、嫁は『並』を頼んだ。
『すみません。醤油ラーメンの大を1つと、並を1つください。』

すると、オーダーを取りに来た元気なおばさんが、間髪入れずにこう叫んだ。

『はい!!!オーダー!!醤油!大、一丁!!中、一丁!!!』

えっっぅうっっ????
たった今、確かに俺は自分の口から、大と並を発音したはずである。。。

そして、メニューを見たときの妙な違和感を思い出し、店内の全てのメニューを確認した。。

何処をみても、
『大 750円』
『中 700円』
『並 650円』
である。。

嫁と目を合わせて、お互い同じ思いでいることを確認した。。。

しかたなくオバサンを呼んで確認した。
『すみません。大と並を頼んだはずなんですが。。。』

オバサンは、申し訳なさそうに
『あっそうでしたか!申し訳ありません。』と言って、また間髪入れず
『ハイ!!さっきのオーダー『大』と『小』に変更!!!』

えっっっ小?小?小?
また、僕と嫁は店内のメニューを全て、確認した。
『大 750円』
『中 700円』
『並 650円』

である。。。。。


まあ。。。いいや。。。日本語は難しいね。。。と漬物の大根をぼりヴぉり食べながら、ラーメンが来るのを待った。

やっと、そろそろラーメン到着の瞬間である。いろいろ疑問は尽きなかったので、ちゃんと注文どおりくるのか心配しながら、出来上がりを待った。

そして、今度は厨房のお兄さんが、ラーメンを持ってきた。。。

『ハイ!!!醤油ラーメンの大を一丁と普通盛り一丁ですね!!!』

こらーーーーー!!!!今度は『普通盛り』かよ

並と書いてあるは、小といったり、普通盛りといったり。。。

通じるよ、そりゃ日本人だからね。。。

けど、大、中、ときたら小でしょ。。。

2006/03/25(土) ひげ
髭に白髪が混じってきた。。。。

初めてなだけに、なんとなく嫌な感じ。。。

髪の毛は許せるけど、髭はなんとなく目に付きやすいので。。。

人間は年を取りますから。

年末はサンタクロース目指してみます。

2006/03/24(金) はなまる
うちの子供がチューリップが咲くのを待っていた。

『お父さんはお酒たくさん飲むけど、チューリップさんは飲まないよ!!!』

『そうだよ。。。チューリップさんは、まだ子供だから飲んだらダメなんだよ。。。』この時点で会話的にボロボロ。。。


『チューリップさんはあさっては小さくなるんだよ。枯れるんだよ』と、わが子供『大木綾華5歳無職(桜ヶ丘中央幼稚園アヤメ組所属)』


完敗


幼稚園の我が児に、生死の機微を教えられるとは。。。。

2006/03/23(木) 閉塞感
絶対的な存在を作るべきだった、せめて、音楽業界においては、その必要があったはずだ。。。いわゆる評論家的にアメリカのビートルズと比較されるバンドはたくさん居た。

結局ダメだった。

日本のビートルズを作るべきだった。。。結局、相対的な価値観を脱するということは極端にならざるを得ない、しかし、評論家の視点的に極端さと商業的とは共存し得なかった。。。。

結局、観客の熱狂の中から事実上に沸き起こった異端児しか見い出せず、しかも評論家のくせに事後的にしか扱えない貧弱なマスメディア。。。。

極端さを嫌う商業的な評論家的な価値観にはうんざりだ。

もちろんそんな中央集権的な価値観を作っているのは、権威ぶった一部の雑誌だ。。。

ようするに、何処かの彼の地の業界の一部は日本の一部の権威ぶったシーーーーーンが大好きで、その猿真似がだーーーーい好き!!!

露苦金音。。ROKINON。。。

国民総評論家時代の音楽氷河期を作った雑誌でもあります。

頭で考えて、音楽を頭で考えて、評論して、シーンを作るのは自分達だと考えて、作り手、聞き手の自由を奪った張本人です。

ジミヘンドリクスが頭で評論してもらうのを、欲しただろうか?

カートコバーンが言葉で評論してもらうのを、欲しただろうか?

評論家がシーンを判断し、シーンを作るべきだ!!という傲慢さが、インディーズシーンの均質化につながり、結局盛り上りきれない、つまらない現状にいたっている。
シーンをつくるのは誰か?評論家風情のイベンター気取りか?

当然、シーンを作るのは、作り手と聞き手の当事者のみであるべきである。

最高!!!!!!!!!!!!!Rockinon!!!!!!!!!!!

2006/03/22(水) 情報化社会
情報化社会の多様化により、価値観は多様化し、本来、あるべきはずの絶対的価値観は、多様化の波に押し流され、価値の相対化を生み出した。

マスメディアの垂れ流す情報洪水は、綺麗なものすばらしいもの汚いものくだらないものを全て一元的な価値観の序列にしてしまい、本来絶対的であるべき『愛』の価値観さえ陳腐なものにしてしまった。

もちろん、それは情報化の中での話で絶対的価値観の『愛』の部分は国民レベルでは維持しているはずだった。

しかし、国民多くははあまりの多量の情報洪水の中で、自己判断さえメディアの多数決に委ねてしまった。

流行を追い、東京から発信する情報を妄信した。

そして、その東京から発信される情報は相対的なポジションを維持したまま、瞬間の、人間的な感情を持たぬ好奇心に集約された情報になった。

そして、その体温を感じぬ情報に国民は左右される。

大切なのは、身近な人の笑顔であり、温度を感じる情報である。
温度を感じる情報とは、自分の喜怒哀楽、相手の喜怒哀楽だけを基本とした、ライブなモノであり、それは、絶対的なものである。

要するに喜怒哀楽も含めた『愛』である。それは情報や相対的な価値観に左右されない絶対的なものだ。

東京で米作が流行ってようが、鹿児島の人には芋作が喜ばれる、そして芋を食す人たちの笑顔が見れる。

これが最高で、これ以上はないはず。。。ライブして、目の前のお客さんが楽しんで、何も気取ることなく元気になって帰ってゆく。これこそ、絶対的なものなのではないか?俺は間違っているのか?



だからマイノリティはダメ人間なんだよ、ってメジャーを気取った連中の声が聞こえてくるる。。。

3月絵日記の続き


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