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2004/09/02(木)
理解欲
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30日に御紹介させて頂いた「天國狂」の管理人、高屋様が御許可と共にコメントを下さいました。 そのコメントがとても印象深いものだったので、それについて書かせて頂きます。
特に、‘存在の共有’という御言葉についてです。 Natutatismの発端は、作品の作成を互いにフォローする事を目的としたものです。 ですから、今でも四人の間では‘友人’という意識が薄いのです。 同類と言うのが一番近い気がします。 相手に求めているのは親しい交流ではなく、思想の理解です。 ‘仲良くなくて良いから分かって欲しい’という関係なのです。 こんなにも雑多な人間達が今まで交流を保てたのは、この考えが共通していたからだと思います。 人間は、理解される事に本能的な快感を覚える生物です。 しかし違う人格が完全に理解しようと思ったら、人格の同一化をしなくてはなりません。 それはもう、個別の差の無い新たな生物だと思いませんか。 人間には‘個別の存在であるが故の孤独感’が必須であり、それは決して満たされないのです。 だからこそ少しでも、自分の大切なものを共有してくれる存在が必要なのでしょうね。 これを読んで下さる皆様にも、‘PCを通しての繋がり’という充足を感じて頂けたらと思います。
高屋様の作品テーマは「人間」だそうですが、それはとても妙なる表現だと思います。 (念の為、妙なる/タエなる=絶妙な・優れた・巧妙、です。低年齢の訪問者様もいらっしゃるので) 私は人間嫌いですが、人間が大好きと言うメンバーもいます。 其れでいて、両者の人間についての見解はほとんど違わないのです。 人間というのは他の生物と同じく不思議ですが、自分が人間であるからして更に追求心が膨らみます。 生も死も全ての生物に平等であると言うのに人間だけがこんなにも拘り、追求しているのです。 不思議ですね、実に不思議でたまりません。 だから知りたいのです。 上にも書きましたが、知りたいと言うのは本能的な欲求です。 その欲望には逆らえないのですが、私はどうしてもいつも尻込みしてしまいます。 欲望を追求して辿り着くその先に、何があるかが分からないからです。 恐ろしいものがある気がしてならない、だから知りたい。 結局は欲求のままに進んで、その結果を享受するしかないのでしょうね。 恐ろしくも待ち遠しい、人生の結末です。
「Nの病棟」←SD、DOD、ARサイト様。お写真も楽しいです http://www.eonet.ne.jp/~tamage/
「ミンチ」←不思議な世界のイラサイト様。雑誌esにも登場されていました。 http://minchi.lomo.jp/
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