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2005/10/06(木)
ミサ
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基本的に宗教的儀式は嫌いです。 お祭は好きですけど、法事とかミサとかの改まった儀礼的な式は嫌いです。 まあ、単純に詰まらないというのも有りますが、何より落ち着かない。 教会のミサは退屈だったし、お寺の法事は肩が凝った。 そもそも、宗教という観念に結構抵抗を感じてしまって。 神の存在は信じていますが、神の人格は信じていません。 何と言うか、完全な存在がいるとしたら、それはいないのと同じだと思う。 意思や意図を持った神は、只の‘凄い存在’になってしまうと思う。 神というのは私にとって、‘神を感じる私の心’なので。 でも、宗教自体を否定はしないし、信仰心は素晴らしいと思います。 ‘神様を信じる心’は人間特有の興味深い心理です。 例えその結果が自殺や虐殺でも、動機が宗教ならそれは信仰。 言い訳にしない限り、その心は結構凄いものだと思うのです。
追悼ミサに参加して来ました。 これが、珍しく心理的な安心感を得られる儀式だったのです。 綺麗な祭壇、短くて的確な説話、整った聖歌と祈り、明るい教会。 穏やかな昼の中の、静かで落ち着いた人々。 こういう式なら、意味が有ると思えるのですが。
>面白い質問を下さった方へ 周囲の人に聞いて調べてみました。Natutatismを動物に例えると、 ・カラス、かささぎ、ロバ、らくだ ・猫、猪、ピラニア、熊、タスマニアンデビル ・マナティ、狐、猫、カラス、サギ、フェレット ・小鳥、小型犬、猫、狸、ウサギ でした。 割とばらつきましたね。面白かったです。ご質問、有り難う御座いました。
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