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2006/04/04(火)
故郷
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深夜に民放で原千晶が小倉、つるの剛史が門司、なかやまきんにくんが福岡の東区香椎や和白といったそれぞれのふるさとを歩き、紹介するといった番組があってた。
なんとなく見てた。
へぇーっ、ここいねって思う所、ここ行った事あるよっ。てと事とかあったけど、印象に残ってるのは原千晶の小倉だった。
なんてことない、通ってた小学校とかの紹介だけど、そこにいた時を思い出しつつ、生徒に交じって給食のカレーを食べたり、校歌を歌ったり、自分で卒業アルバムに書いた文章を読んだり、また、家族で初めて外食でパスタを食べたお店を訪れ、そのときに頼んだカルボナーラを食べたりした事だ。
思わずちびっと泣いちゃった。(笑)
おかしいね、俺は福岡に居るし、両親とも健在で一緒に生活してるんだから。(笑)
やっぱ、変じゃん。
で、考えた。
なんで涙が出てくるのかを。
俺は故郷が恋しいからじゃなくて、大人になってしまったから涙が出るんだと思った。
思い出すのは小学校の卒業式の日の夜に1人、お風呂で声を殺して泣いた事だ。
今から大人になってしまうんだって思って、もう、子供じゃいられないから悲しくて泣いた事だ。
大人が大嫌いだから、大人になりたくなかった。
けど、大人になっていってしまう現実を突きつけられたのが、小学校の卒業という事実。
俺は今でも子供のこころを持っているのだろうか?
俺が大嫌いだった大人になってしまってないのか?
いつからか、中学の頃からか、大人になるにつれて蓄えられる知識や経験を持ちつつ、子供のままのこころをずっと持ちつづけたいって思った事を俺は出来ているのだろうか?
そんな事を改めて思った。
俺は折に触れてこんなことを考える。
初めにこの事を思い出したときは、確か24歳だった。
有線で流れる、帰ってきたウルトラマンの主題歌を聞いた時に、涙が出て来た。
その次に流れてくる、懐かしいヒーロー番組やドラえもんの歌を聞いてもそうだった。
ずっと自分を変えたくない、変る部分はあっても変らないこころを持ち続けたい。
ただ、どんなに自分がイヤでも、自分を信じられなくても、ギターがあれば、俺がギターを弾ける場所があれば、ギターとロックがあれば、少しは自分を好きになれる時がある。
大人になりたくない、そう抵抗し始めた時に俺はロックと出会い、数年たってギターと出会った。
ギターは故郷というよりも未来を示す為の道具なのかな?
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