砂の上の文字群
書かれた文字の、全てがほんととは限らない。
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2005年7月
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2005/07/18(月) おおきな風呂敷のような絵を
うーん、なんだかこう、イタイ絵だなあ(変なコメントを付けたら、尚更駄目になっちゃった)。どんより空気の極めつけって感じで、すみません・・・。

でも、これでおしまいです。明日からは、こういういかにも病んでますって絵は描かない。

今日は、祖母の希望により「いわさきちひろ展」を観て来たのです(抜け駆けしてごめん、みんな〜。でも、お友達で行くときがあったらまた一緒にいきたいです!)。感想、今日はあんまり書ける環境ではないので割愛だけど、なんていうかこう、見てる間中ずーっと心がびりびりしてました。泣く一歩手前みたいな感じ。やっぱり好きだ、この人の。

翻って、昨日の晩描いたこの絵を思い出したら、なんだかものすごく恥ずかしいと思ったのです。余裕がない。自分しか見えてない絵。
同じように小さな子供の絵を描いていても、私の描く子供は「空想に逃げ込める存在」「性的な成熟や役割を免れた存在」という役割しかもってない。それは、多分単なる私の願望の投影(というか、器)でしかないのです。いわさきちひろのように、子供の可愛い仕草に目を留めたり、愛情を持って観察したことなんて、一度だってなかった。
結構、ショックだったです。でも、気付けて良かった。

色んなものを柔らかく包んだ、優しい目線の絵を描くようにしよう。自分の心の中の問題だけを材料にして物語を作るやりかたから、いい加減脱却しなくちゃいけない。じゃないと、いつまで経ってもここから出られない。
閉じこもったり、泣いたり、憎んだりする「捌け口」としての絵じゃなく、好きなものを愛情を込めて描けるようにしたい。今の私には難しいことだけど。

・・・こんなこと書きながら、またその決意を忘れてしまうときがありそうだけど、できるだけそうならないように、と思って、買ってきた絵葉書をさっそく壁に留めたのでした。明日からまたがんばろう。


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