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2005/10/25(火)
あれから
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関西ではJR宝塚線の脱線事故から今日で半年だそうです。 私は事故のニュースを入院中の6人部屋の同室のおばさんたちが見ていたTVで見ました。 最初は踏切事故かと思い、マンションに突っ込んだ車体を見、続々と変わっていく報道の内容と怪我、 死亡者の数に、沿線に住んでいるはずの友人をふと思い浮かべました。 その人とはまだ会ったことはありませんが、ネットで趣味を通して知り合い、 入院中もなにくれと気遣ってくださっている人で、 普段は家に居るのですがたまに仕事で出かけることをきいていたからです。 とはいえ、私はその沿線の様子も知らないし、その人がその電車を使っているかどうかも知らなかったのですが、 どうも気になって・・・病室からこっそりと携帯メールを送ってみました。 心臓病中心の循環器内科の病室とはいえ、その時はペースメーカー装着の患者さんもおらず、 おおっぴらにさえ見つからなければみんなメールを送っている部屋だったのでできたのですが。 なんと友人は、その朝たまたま仕事の関係でその路線の、反対側から向かっている電車に乗っていて、 二駅手前で足止めされていたんだそうです。 最初は駅の構内で事故があったことを知らせる放送を聴いていたのですが埒が開かず、 一旦降りて私鉄へ乗り換えようと駅を出たら上空にあっという間にヘリが群がって飛んで来たそうです。
その頃、私は心臓を取り巻く心膜に水が溜まって心不全を起こし 地元の病院で約20日間の個室での禁固生活を送った挙句に、 手の打ち様がないからと大学病院へ転送され、心膜穿刺という方法で水を抜き、 なんとか命の危険は去ったばかり、という状態でした。 今も、ですが、心臓に水が溜まる真の原因がわからず、 体中が浮腫み起きて座っても横になっても苦しくて夜も眠れず。 吐き気と咳で食事もとれず、それでも・・・まだ死ぬこともできず・・・ いっそ楽になりたい、と思っていた矢先の出来事でした。 同室のおばさんたちはみな一様に「こんな私らの命が助かってんのに。 あの若い人たちはまさか自分が今日死ぬとは思ってなかったろうに。替わってやりたいよ」と泣いていました。
こんなふうに、一日何の役にもたたずに一日ゴロゴロしてなきゃならない私がまだ生きてる。 何かこの後誰かの役にたてることでもあるんだろうか。
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