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最新の絵日記ダイジェスト
2006/10/22 大沢@旅日記、引越しました!
2006/09/09 大沢@旅日記、引越します。
2006/09/06 アンジェラ症候群。
2006/09/05 そう言えば、あの映画で。
2006/09/04 夏休みが終わり、学校が始まる。

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2004/10/31(日) いつもと同じ、いつもの電車
いつもの朝の電車に
同じ駅から乗り込んでくる
なんとなく怪しい、若い男の二人組がいる。

二人ともスーツを着て
姿勢がよくて直立不動で
黒いカバンを両手で体の前で提げている。

お互いあまり視線を交わさず
決して吊革を持たずに外の景色を見たまま
ボソボソと小声で会話を交わしている。

・・・この二人は何者なのか。
それを想像するのが、朝の楽しみの一つだった。

いつも、私から少し離れたところで喋っていて
会話の内容は聞こえず表情もあまり変わらないので
怪しいと思い始めると、どんどん怪しく感じてくる。

宗教団体か、変な政治結社の人間なんじゃないかと
勝手に想像して、毎朝これからどこへ行って
何をしているのかと、妄想を膨らませていた。

ところが、たまたま彼らが
電車にギリギリで駆け込み乗車して
私の横に並んで立った。

単に、普通の会社の先輩と後輩のようだった。
携帯電話の新機種のことなどを話題にしていた。

幻滅した。
全然普通の奴らじゃん!
秘密めいたところなど一切無くて、つまらない。

謎は、謎のままのほうが良かった。

2004/10/30(土) いつもと同じ電車
月曜日から金曜日まで
毎朝同じ電車に乗る。

同じドアから同じメンツが乗り込んで
同じ駅で同じメンツが降りていく。

いつもと変わらない朝。
そんな日常に、亀裂が走った。

いつもの乗換駅で降りると、
隣のドアから降りてきた若い女性
例えるなら、鈴木杏樹か加藤あい風の美人が
いきなり「駅員さん!駅員さん!」と大声で叫び始めた。

オールバックで高そうなスーツを着た
きちんとした身なりの背の高い中年男性の
スーツの端を、右手でしっかりと掴んだまま叫んでいる。

この状況は、どう見ても痴漢の現行犯だろう。

「駅員さん!駅員さん!早く来て!駅員さぁん!」
と叫ぶ声は全身を使った金切り声で、
あたりはし〜んと静まり返って、
激しいその声だけが響いていた。

駅員はなかなか来ない。

リストラでホームには駅員がいない。
リストラと危機管理は矛盾している。
いるべきところに人がおらず、遠くからの
モニター管理で分からないことは存在しない。

二人をスーツの人々が、なんとなく取り囲み
「犯人」である中年男性は逃げ場を失う。

小さくて気の弱そうな人のよさそうなおじさんが、
女の子が掴んでいるのと反対側の腕の
スーツの布を握って逃がすまいとしている。

女の子の叫び声は、まだ続いている。
駅員は来ない。全ては静まり返っている。

2004/10/29(金) 幸福な、幸福な、幸福な映画。
以前に

キューティーハニー
下妻物語
スウィングガールズ

の3本が、
この夏の女の子映画
サニーサイド篇3本立だ!と書いた。

で、
最後のスウィングガールズだけが
夏が終って秋になってから公開された。

夏も終って台風が通り過ぎて
なんだか大気が寂しい粒子で満ちてきて
ため息が出る頃に公開された。

哀しい、哀しい、哀しい映画である
「誰も知らない」は
冒頭のシーンがラストシーンにつながる。

最初から最後にどうなるかは分かっていて
最初の幸福なシーンから既にもう哀しい。
そして、結末が分かっていても目が離せない。

幸福な、幸福な、幸福な映画である
「スウィングガールズ」も
最後がどうなるかは予告編で知っている。

けれど、
誰もいない廊下を白いナイロン袋が舞う
冒頭のシーンから、既に幸福感に満ちていて
結末が分かっていても目が離せない。

計画し、実行し、失敗する。
出会う、知る、発見する。

好みもあるとは思うが
ラストに向かう幸福感は
「ウオーターボーイズ」以上である。

シンクロと恋愛が絡む前作と違い
今回の主人公はただひたすらまっすぐに
「みんなでJAZZすること」に向かう。

そして「スウィング」の発見という
「離見の見」の発見に通じる体験が、
その後を支える一つの核になっているのだ。

例えば、
この日記に載せているデジカメの写真も
最初は何を撮っても気に入らなかった。

それが、とにかく撮り続けていくうち
ある日突然普段の風景が、まわりの全てが、
フォトジェニックにこの目に映り始めたのだ。

積み重ねと失敗の果てに
奇跡の体験は突如としてやってくる。
それに勝る幸福感は、そうそう無いように思う。

2004/10/28(木) 離見の見
昔、浅田彰という人が書いた
「構造と力」
という本が流行ったことがある。

この本のキャッチコピーが確か
「ノリつつシラけ、シラケつつノル」
だったと記憶している。

「離見の見」とはつまり、
そういうことである。

舞台上の自分はノッている。

ノリノリという言葉から踊りまくる姿を
想像するように、忘我で自由な状態。
ノリノリに見えるように演じているのではなく
本当にノッて反応する自分がいる。

そして、もう一人。

幽体離脱の体験談として
自分の眠っている姿をもう一人の自分が
部屋の斜め上方から見ているという話は多い。

そんなもう一人の自分が
ノッている状態の自分の姿を斜め上方から
眺めて、観客にどう見えているかを
冷静に(シラケて)判断しコントロールする。

比喩ではなく本当に
演じている自分を見つめる
「もう一人の自分」がいた。

二人の自分が同時に存在していた。

言うなれば
コントロールオブ
アウトオブコントロール。

この状態が、何の前触れも無く
ある日突然実現した。何度も何度も
同じことを繰り返す稽古の日々の果てに。

その瞬間、私は役者というものが何なのか
はっきりと分かった気がした。

これからは何でもできる、という万能感と
役者以外のことを始めよう、という気持ちが
同時にやって来た。

2004/10/27(水) ギター復活。
大昔に買った
ヤマハSG−600を自力でリペア。
鳴る鳴る!サスティン健在!

今欲しいのは
フェンダー・テレキャスのホワイト。
2台並んだ白黒を、曲によって使い分ける!

奥のギターケースの中身は、エレアコ。
手前のキーボードはDTM入力用。
足下にはコードが這う這う。
雑貨屋で買った安い外国の楽器が転がる。

部屋だけ見たら、音楽野郎。
芝居の要素は一切無し。ていうか、
部屋見て芝居やってるとか判断できるか?
本棚に戯曲とか並んでる?無い無い!

今、年末年始に出るクロムの芝居に向けて
色々とインプット中。インプットして、
でもそこから組み立てるのではなく
ズバッと忘れる。インプットするけど忘れる。

そして後は、カラダに任せる。
脳ではなく、カラダが咀嚼して展開する。
何も考えずに素直に動く。素直に喋る。
カラダの芯と手足の指先は、常に暖かく。

役者は久し振りだけど
やはりカラダが何かを覚えている。

音楽ではなく芝居を続ける羽目になったのは
奇跡的な役者体験があったからだ。
世阿弥が言うところの「離見の見」の極意を
完全に理解した瞬間があった。

芝居なのに、芝居の稽古なのに
現実を凌駕した瞬間だった。
震えた。言葉も無かった。凄かった。

2004/10/24(日) 牛丼!
今日、三宮を歩いていたら
「松屋」と「すき屋」で牛丼を再開していた。

え?どうして?
米国産以外の肉はイケてないんじゃなかったの?
「新開発」とか書いてあるから、
米国産以外を米国産風にする技術を開発したのか?

わからん。
食べてみれば分かるかもしれないが
今日はイクラ&タラコのスパゲッティで
腹一杯だったので、後日にお預けすることにした。

ちなみに牛丼休止以降、
吉野家松屋すき屋の各チェーンが
いろんな丼を開発してきたわけだが
一番のおすすめはすき屋の「鳥そぼろ丼」!!
多目の鳥そぼろにあっさりダシがかかって
その上に温泉卵が載せてあってかき混ぜて食べる!

あと最近のお薦めは
ケンコーマヨネーズのドレッシング
神戸壱番館シリーズ。ちょっと高いけど旨すぎる!
だけど、台風で野菜が高騰して残念。
キャベツ一玉600円だし。野菜の棚に野菜が無いし。

お好み焼き屋さんとか、大丈夫なんだろうか?
広島の広島焼、中華丼、野菜炒め・・・なんか心配だ!
それより何より、鍋に入れる白菜が無い!一大事だ!

2004/10/23(土) 詩人の魂
私が一番好きなシャンソン
それが「詩人の魂」である。

芝居を作るのに必要なのは
まずはこの「詩人の魂」そして「技術」だと思う。

詩人は、
誰もが思っていて
言葉にできなかった何かを言い当てる。
あるいは、今まで誰も
思いつかなかった言い方、語り口で語ってみせる。

今月に入って
何本も素晴らしい作品に出会った。
そこでは皆、上記のような芸当が披露されていた。

ただ自分のことを語るだけなら
別に芝居でなくてもいい。というか
日々誰もが誰かに自分のことを話したり
メールに書いたりしているはずだ。

芝居でなければ言えない。
その必然性がまず、気持ちいい。
芝居を通してしか本当のことが言えない。
芝居における「詩人の魂」とは、そういうものだと思う。

別に何かを語ろうとしなくてもいい。

まずは見世物として、
お客さんを楽しませたい、楽しんでもらいたい。
そういう気持ちで作られていても、
結果として「詩人の魂」は、そこに現れてしまうのだ。

現れてしまう。なろうと思ってもなれない。
「詩人の魂」とはやはり、才能のことなのだろうか。
同時代に生きる才能と出会う。
それは本当に楽しいことだ。

2004/10/22(金) 新潟地震
新幹線が脱線した、とアナウンサーが言う。
その映像が流れるが、暗すぎてよく見えない。

東京は震度3くらいで揺れたらしいが、
こちらでは何も感じなかった。いつもと同じ夜だ。
阪神大震災の時も、他の地方の人は多分
こんな感じでテレビを見ていたんだろうな、と思う。

遠くで災害が起きていて、その映像が流れて
でも自分は安全なリビングでテレビの前にいる。
ああ、大変なことが起こった、沢山の人が死ぬな
と思うけれど、体の奥では自分は安全だと感じている。

自分の身に降りかかった時とは違う。肌はざわめかない。
つまりは所詮他人事なのだ。
テレビを見ず新聞を読まなければ、存在しないに等しい。

けれど、あの震災を体験し、
その後の日々を生きた経験が、私に想像させる。
震災が起きた瞬間に、分かれる生と死。
偶然に誰かが生き残り、偶然に誰かが死んでゆく。

水が、ガスが、電気が止まる。
トイレが流れない。風呂も洗濯も無し。
食事は配給のパンか冷たい弁当。そして、夜は暗黒。

家でのんびり「トリビア」でも見ながら
暖かい夕食にありつく日々は、なかなか戻ってこない。
家族が亡くなったなら、それは永遠に戻ってはこない。

そういうことを、多少は想像できるようになった。
それでも明日からまた、新潟の状況とは関係なく
働いたり遊んだりして過ごす日々が続くのだろうけれど、
きっと時々思い出す。

空爆で家族を亡くしたイラクの人々や
イラクで死んでいった若い米軍兵士の家族や
9.11で死んだ人々、その家族
コロンバイン高校事件で死んだ高校生達の親
阪神大震災で死んだ僕と同姓の女性

その誰とも会ったことはないけれど
だから、会ったことのある、
関わったことのある人の死とは違うのだけれど
きっと時々思い出す。

私たちの代わりに、死んでいった人たちのことを。

2004/10/21(木) 平和ボケ
私はこの「平和ボケ」という言葉が大嫌いだ。
平和で何が悪い。ボケ〜ッとして何が悪い。

ずっと戦争が無いから緊張感に欠ける
とかなんとか言う奴は、自分が戦争に行けばいい。
イラクと戦争したくてたまらなかったブッシュは
自分は若い時にズルして戦場には行っていない。

映画「華氏911」で暴かれているように、
実際にイラク戦争に駆り出されているのは
不況で就職の無い街で軍の募集官が活動して
集められてきた貧しい若者達ばかりだ。

何のために彼らは戦うのか?
アメリカの金持ち連中に
石油の利権をもたらすためだ。
そのために彼らは死んでゆく。

台風23号で70人以上の人が死亡し、
今も行方不明の人たちがいる。
自然災害による死亡件数としては
阪神大震災以来、最大の数字だという。

国や戦争が生まれる前、
家族や集団で自然や猛獣から身を守りつつ
生き延びて食べていくために
獣と戦い、危険に挑む人々の日常があった。

映画「WALK ABOUT」では、
超ミニスカで金髪の英国人・女子高生が、
5歳くらいの弟と二人で、オーストラリアの
砂漠地帯を放浪する羽目になる。

水も食べ物も尽きて死にそうになった時、
原住民の青年と出会い、救われる。
彼は、大人になるための儀式とでもいうべき
「放浪=WALK ABOUT」の最中だった。

少女と弟は、青年に、
砂漠で生きる知恵を教わっていく。
青年は槍で狩りをして火をおこして調理し
二人に食べ物を与えてくれる。

女子高生はずっとミニスカで
青年の話す言葉は、結局最後まで通じない。
弟は言葉を覚え青年を手伝うが
少女は何もできない自分を知る。

戦争による緊張感なんて必要ない。
軍隊に入って規律を身に着ける必要など全く無い。
緊張感がどうこう言う奴は自分が、
何の道具(=文明)も持たずに砂漠に行けばいい。

台風や地震は、人間の弱さを教えてくれる。
完全な平和などあるわけはないのだ。
天災も、交通事故も、病気も、失業も、
明日私達の身の上に降りかかっても不思議ではない。

そのことを、時々思い出すだけで十分だ。
それだけで、平和な日常の壊れやすさはすぐ分かる。
昔流行った言葉「メメントモリ 死を想え」だ。
それだけで、平和な時間は少しだけ、奇跡に思える。

2004/10/20(水) 台風23号
夕方、駅から家まで歩く。
背中に強い強い風が吹きつけて
体が浮かびそうになる。

ああ、今、赤影に出てきたみたいな
凧を背中に取り付けたら絶対飛ぶな。
凄い勢いで飛んでどこかに激突して死ぬな。

などと思いながら、
風の力に押されてどんどん進む。

風の力・・・
風力発電したらきっとフル稼働だな。
でも、もし発電用のあの巨大なプロペラが
吹き飛ばされて回転して飛んできたら怖いな。

家について夜になって
ちょっと尋常ではない風の音が続く。
ガランガラン、ガコンキーンと、
そこここでイヤな音がする。

今外を歩いてたら、本当に死ぬな。
そう思うとやはり少し怖くなる。

今年はいくつも台風が来たけど、
この23号が一番強力な気がする。
部屋が揺れて、パソコンも揺れている。

10月絵日記の続き


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