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2004/10/11(月)
劇場の話をしよう。
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扇町ミュージアムスクエア スペースゼロ 近鉄劇場・小劇場・アート館
バブル期にできた劇場が 相次いで閉鎖されていった。 関西の演劇は、危機的状況だ。 そんな言い方をよく見かけた。
「挟み込みするところが少なくていいや」 という気持ちもあったが、 不謹慎と取られるだろうから黙っていた。
最近、色んなところから 新劇場オープン!のメールが届く。
ピエロハーバー、えびす座 アリス零番館、in→dependent 2nd そして公立の精華小学校・・・ なんだか、どんどん出来てるじゃん!
近鉄小劇場でやってたところは ドラマシティとかワッハ上方へ。 ミュージアムでやってたところは HEPホール、AIホール、一心寺へ。
もうなんか凄い十二分に 劇場は揃ったんじゃないか?とか思う。
A
私は演劇をやるのも好きだが 観るのもすごく好きで、冒頭に書いた 消えた劇場たちには数限りなく足を運んだ。 どこかにも書いたが、多分、かなりの金を 観劇につぎ込んできたと思う。
そんな私が、劇場が消えていく時 「当然の流れ」だと感じたのは事実だ。 だって、観客どんどん減ってたから。 観客が減ったから、劇場は消えたのだ。
それが今、また劇場が増えてきた。 じゃあ観客は?増えたのか? 観客が戻ってきたからハコを増やすのか? これが私の最大の疑問だ。
B
演劇には夢が無い。 以前はあったが、今や失われてしまった。
善人会議(現在の扉座)の横内謙介氏が、 「我々に必要なのは、演劇論ではなく サクセスストーリーだ」という 挑発的名言を吐いたのは、80年代だった。
さあ、80年代に活躍していた 色んな劇団の現在を見てみよう。 あの「小劇場ブーム」の 中心にいた人たちのことだ。
劇団が売れていく時 一番仕事が舞い込むのは作・演出家だ。 役者にはなかなか仕事が来ない。 作・演出家が手をまわしても、来ない。
逆に、花形役者を失った劇団は 潰れるか、もはや以前と同じ劇団ではない。
今、 シチュエーションコメディの劇団が多いのは 三谷幸喜氏の成功がモデルとしてあるからだ。 サンシャインボーイズの役者も、何人か売れたし あそこを目指せばなんとかなる、と思えるからだ。
こう言ってしまうとストレートすぎるが、 みんな売れたいのだ。それで食べていきたいのだ。 「ゆず」が最初にあれだけ売れたから 夜の街でギターかき鳴らす若者が増えたのだ。
音楽にはまだ、夢がある。 映画にも、アイドルにも、美術にだって。
演劇はどうだ?
C
というわけで、 演劇をやる人、観る人が これから増えていくのかどうかは疑問だ。
80年代には、夢の遊眠社とか第三舞台とか ものすごい客を集めて、メジャーになって これで食っていけるんじゃないかという 夢を見させてくれていた。
が、今や野田秀樹氏も鴻上尚史氏も 小劇場出身ではないメジャーな役者 をメインにして芝居を作っている。 新感線だって、主演は常に芸能人だ。
関西では未だに稽古場不足である。 劇場がこれだけできても、「芝居の稽古」 を締め出そうとする公立施設もまた増えている。
メジャーどころか、稽古場確保でさえ一苦労だ。 挟み込みの不合理なルールもなかなか改善されない。
劇場がいくらできても 関西の状況には夢を感じない。 劇場より稽古場を、タタキ場を、倉庫を、 ポスターハリスカンパニーを作ってほしいと願う。
それを自分たちでなんとかしろと言うのなら 劇場をいくつ作っても、そのうち潰れていくだろう。
D
売れる売れないに関係なく好きなことができる。 それが小劇場のシンプルにして最高の価値だと思う。 売れる方向を目指さなければ潰れていくしかないような そんな状況が続く限り、夢も希望もないと思うのだ。
エンタメと称して、既に作られたもの・どこかで 観たことあるものへの追随を正当化するのもいい。 賞を取るために、選考委員を打ち上げに招待して 接待して気に入られようとするのもいいだろう。
けれど、私が小劇場演劇を愛したのは そういったものから最も遠い場所で繰り広げられる そこでしか体験することのできない快楽を知ったからだ。
それは、劇場の問題ではない。 あくまで、演劇に関わる「人間」の問題なのだ。
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