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最新の絵日記ダイジェスト
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2004/03/11(木) 今日の日記
あと15分で今日が終わる。
ギリギリで書く今日の日記。

今日は仕事でプラネタリウムへ行った。

プラネタリウム館の人が、
「大人はみんな寝てますよ。
 みんな、幸せそうですよ」と言っていた。

なんか、
仕事でプラネタリウム、というのは
仕事で南の島へ行った、とか
仕事で海へ行った、とか

なんだろう・・・それは仕事なの?
という一抹の疑問がよぎる。

プラネタリウムの人が言う。
「何回も来ている子供がいてね、
 ナレーションを先に言っちゃうんですよ」

そんな話を訊いていると
一番幸せそうなのは、ここで働いている人
という感じがしてくる。

仕事でプラネタリウムに行く、よりも
プラネタリウムの中で生きている、のほうが
なんかスペースコロニーみたいで、かっこいいかも。

行き場の無い少年少女が
毎日通ってきたりするらしい。
彼らが独りでプラネタリウムを見ている、
そのときの気持ちを、想像してみる。

2004/03/10(水) 昨日の日記
昨日(10日)は忙しくて日記が書けなかった。
書き始めて以来、初めてのことだ。
その昨日の日記を書く。

で、何故忙しかったのかと言うと、9日から
「音楽が呼んでいる」の稽古が始まったからだ。
実は、この稽古が面白すぎて日記を忘れていた。

台本はまだ出来ていないのだけど、
間違いなく面白くなることが、
稽古初日で分かってしまった。

と書くと、すごい自画自賛みたいなんだけど
今回このメンバーが集まったことが、
すごい正解だったことが分かった、
というような意味である。

この日記を読んでる人は
たぶんまだあまりいないと思うけど
読んでる人は是非観に来てください。
僕自身、早く本番が観たくて仕方がないです。

いくら書いても宣伝にしか見えないので
これ以上書かないけど、本当にお薦め!!

9日の稽古初日は、
全員が3曲ずつ持ち寄った「音楽」を聴いた。
誰が持ってきた曲かを当てるクイズで
坂口君がなんと全問正解。

その後は、一同飲み屋へ。
そこで9日が山根さんの誕生日だと分かり
一気にお祝いムードが盛り上がるも
メニューにケーキがなくて、みんながっかり。

と思ったら、バーテンさんが
アイスクリームを重ねたケーキを作って
ロウソクに火を灯して届けてくれた。いい店だ。

2004/03/09(火) こんな夢を見た。
だだっ広い場所に立っている。
どの方角に目をやっても、
まばらに草が生えるだけの砂地が広がっている。

私はあてどなく歩き始める。
しばらく行くと係員がいて、私に言う。

「足下気をつけて下さいね〜。」

言われて足下を見るが、何も無い。
変だな、と思いながら歩いていくと
また係員がいて言う。

「足下気をつけて下さいね〜。」

やはり、足下には何も無い。
振り返ると、係員は笑ってこっちを見ている。

・・・一体何が危なかったのか。
見えない何かかがそこにあったのか、
それとも地面のすぐ下に何かが埋まっていたのか、
今となっては知る由もない。

同じ夢を見たい、と思っても叶わない。
もちろん同じ夢を見ることもあるが、
それは見たいと思っていた夢ではない。

あの夢の中と同じ場所に行きたい。
そして地面を掘り返してみたい。
・・・私のささやかな夢である。

2004/03/08(月) 画家アドルフ
「アドルフの画集」という映画を観た。
これから観ようと思ってた人は
ネタバレなので観てから読んで下さい。

アドルフというのは勿論、あのヒトラーのことである。

彼は若い頃、画家を志していた。
それが何故、ああいう人生を送ることになったのか。

水木しげるの漫画で多少知ってはいたものの
ずっと気になって、引っかかっていた。
そこを、この映画が見せてくれた。

ブッシュにしたってヒトラーにしたって
あるいは画家にしたって作家にしたって

「妄想で世界をデザインする」

という意味では、同じである。
ただ、権力者は他人を殺すのが仕事で
画家や作家は紙を相手にしているだけだ。

映画の原題は「マックス」。

マックスという名の、ユダヤ人で片腕の画商がいて
アドルフに注目して彼に
「俺が売るから君は絵を描け!」と言う。

アドルフは技術はあるが、
まだ自分のモチーフを掴めないでいる。
そして何度もマックスに尋ねる。「俺に才能はあるのか?」と。

彼は逆に、演説の才能を認められて
軍からは重宝されるようになっていく。
でも、絵は捨て切れない。
マックスが、彼を絵画の側に引き止めている。

ある日、マックスはアドルフの部屋で
彼の頭の中にある架空の「第三帝国」の
建築や軍服のデザイン画を発見し、「これだ!」と叫ぶ。

マックスはこれこそアドルフの才能だと確信し、
彼を「未来派」の一人として売り出そうと考える。

しかしマックスは
アドルフとの待ち合わせ場所に着く前に暗殺され、
それを知らないアドルフは、
完全に裏切られたと思い、立ち去ってしまう・・・。

ここで映画は終わる。
これが実話なのかどうかは知らないが、
その後のアドルフは、
絵の中にあったイメージを現実化させてしまう。

友達のいなかったアドルフの
唯一の友人とも言えるマックス。

アドルフがいなくても
ドイツはああなったかも知れないが、
本当に真剣に画家を志していた、というのが哀しい。

「俺はもう30だ!なのに誰も俺のことを知らない!」

・・・この映画は青春映画だった。

その後の展開を、私達は「歴史」として知っているが
アドルフにとっての世界は、
マックスに裏切られたと思った時に、一度終わってしまったのだ。

だから彼はもう一度自分の手で
世界を作り出さなければならなかった。
たまたまそれを喜ぶ人たちがいて、彼を支持した。

そんな単純なことではないのかもしれないけど、
30を超えて芝居や音楽を止めてしまう人々の
その後の人生のことを、いつも考えてしまう。

アドルフにも青春時代があったのだ、当たり前だけど。

それにしても、ブッシュとフセインが無人島で知り合ったとしたら
それでもやはり、敵同士になっていたのだろうか・・・?

2004/03/07(日) 記憶のしくみ
昨日の日記を読んだ森下君から
ツッコミのメールが届いた。

文中に挙げた彼の台詞は、
正確には以下のようなものだった。

「今、君ら、とっても大事なことを
 トロトロトロ〜っと吐露したね。
 ツラツラツラ〜っと連ねたね。」

トロとツラの順番が逆で
しかも2回ではなく3回繰り返している。
これはいったい何を意味するのか?

つまり私は、
「カタカナで2回繰り返す語感が好き」
ということを言いたいがために、
自分が何度も聴いた台詞の記憶を
都合よく作り変えてしまっていたのである!

・・・まあこれは、よくあることだ。

ことほどさように、人間の記憶とはいい加減なもので
「過去」は往々にして「現在」の自分にとって
都合のいい形で思い起こされるものである。

ただ、世の中には時々
すべての記憶を自分の都合のいいように
作り変えて生きている人がいる。

誰もいない場所で何かやった記憶なら
自分しか覚えていないのだからそれでもいいが、
何人もが記憶を共有するような場面を
自分の都合のいい形で「回想」する人がいる。

それはもう、妄想、と言っていいかも知れない。

イラクは大量破壊兵器を隠し持っている
というのはブッシュの妄想であったことが
ハッキリしてきたが、今度は自分のCMに
9.11の映像を使って批判を浴びているらしい。

麻原とか宗男とか、こういう妄想派の人間が
トップに立つとロクなことがないのだが、
案外そういう妄想の「強さ」に一般大衆は弱い。

基本的に世界は曖昧なので、
妄想だからこそ強い、のかも知れない。

かくいう私も妄想好きである。
電車のドアのところに立って
流れる景色を眺めながら、妄想するのが一番だ。

2004/03/06(土) メロメロ。
アンパンマン、というのをご存知だろうか?
読売アンデパンダン展でパフォーマンスする人、ではないし
シンナー吸引者?と思う人は、元ヤンキーに違いない。

そうではなくて、日本が世界に誇る発明品、
あの「餡パン」が顔になっている絵本のキャラクターである。
って誰でも知ってるわな。

このアンパンマンというのは、恐ろしい設定の話である。
主人公の顔というのは、アンパンのように見える顔、
ではなくて、「本当に餡パン」なのである。

だから、濡れると顔がへなへなになって弱くなるので
ジャムおじさんが焼いた「新しい顔」に取り替えてもらう。

前の顔を取り外して、いったん首から上が無い状態になって
そこへ真新しい餡パンを取り付けると、
そのパンが「顔」となって動き出す・・・。

果たして、濡れてしまった「前の顔」はどうなるのか?
さっきまで動いていたはずの顔が、
ただの濡れた餡パンへと変わり果てて・・・。

その行方は残飯置き場か死体置き場か。

などと思いながら見ていたわけではないのだが、
このアンパンマンのアニメ版を朝からテレビでやっていた。

キャラクター設定がまた安易で、
食パンマンとかカレーパンマンとか、
パンの後ろに「マン」を付けただけの奴がうようよいる。

その中で、メロンパンナちゃん、というのがいた。
他はみんな「マン」なのに、メロンパンは女の子!
この作者のこだわりには、やはり拍手を贈りたい。

そしてさらに、作者のこだわりが炸裂するのが
メロンパンナちゃんの必殺技、「メロメロパンチ」である。
メロメロパンチ!ああ!なんというネーミング!

だいたい私は、メロメロとか、リルリルとか、
カタカナで2回繰り返す語感が大好きである。

学生時代にボートレースの大会があって
クラスから2チーム出す、ということになった会議で
チーム名に関して私は、自らの意見を強硬に押し通した。

その名前とは、
「リカちゃんカリカリ号」と
「バービーちゃんビバビバ号」である。

クラスの女子の白い視線にもめげず、私は信念を貫いた。
最近演出のお手伝いをしているクロムモリブデンの、
先の公演「なかよしSHOW」にも、次のような台詞があった。

「今、君ら、とっても大事なことを
 ツラツラ〜っと連ねたね。トロトロ〜っと吐露したね」

・・・これなどまさに、
「まだ日本語に、このような可能性が残されていたのか!」
と言語学者がうめき声をあげるような、世紀の名台詞である。

ちなみに、この台詞をつぶやいた森下君は
「音楽が呼んでいる」にも出演するので、お見逃しなく。

で、話はメロメロパンチに戻るのだが、
メロンパンナちゃんが戦う時の、決め台詞はこうだ。
「悪い子には、メロメロパンチよ!」

悪い子にしていると、
メロメロパンチでメロメロにされてしまうのだ!
そんなことなら、みんなが悪い子になってしまうじゃないか!

ああ早く、私も悪い子になってメロメロパンチされたい。
この際マゾと言われても構わない。
誰か、メロンパンナちゃんを呼んできてくれ!

2004/03/05(金) どこまで行くのか車谷。
そういえば、「遠くまで」
という感じを体現している作家で
車谷長吉という人がいる。

芥川賞取って文庫本でも何冊か出ていて
「赤目四十八瀧心中未遂」は昨年、
寺島しのぶ主演で映画も公開された。

私小説と呼ばれている。
自分のことを書いている、ということなのか。

私は保坂和志という作家が好きで、
この人も主人公=自分?という風に書くが
小説内世界は明るい光に満たされている。

しかし、車谷氏の小説では
世界は影に侵食されつつある。
主人公の心はどんどん空虚になっていき
果てへ果てへと向かっていってしまう。

やる気が起きない、期待を裏切ってしまう、
知ってる人のいない土地へ行く、仕事が続かない、
・・・そういう流れがどんどん加速していく。

嘘臭い設定の冒険小説より
よっぽど手に汗握る。
どこまで行ってしまうのかが、怖い。

なぜ怖いのか。
たぶん、わからないけど「わかる」からだろう。
自分の中にある「果て」を感じてしまうからだろう。

音楽だけじゃない。
映画だって小説だって人を果てまで連れて行く。
演劇の中にも、そういう作品があって欲しい、と思う。

2004/03/04(木) 遠くまで。
えー、昨日は「音楽」と私についてだったので、
今日は「呼んでいる」と私、について書いてみようと思う。

何が私を呼んでいるのか?
いやいや、何も呼んでない。ハメルンの笛吹きはいない。
ただ私自身が、「呼んでいる」と思っているだけである。

何故私は「呼んでいる」と思ってしまうのか?
呼んで欲しいからか?
何に?

多分それは、私を遠くまで連れて行ってくれる何かだ。

遠く、というのは物理的な意味に限らない。
体が旅することは、心が旅することの一形態である。
「音楽があれば、ここにいたままでも旅はできる」
と、W・ヴェンダースも言っている。

歳を経るにつれ、分かってきたことは
遠く、あるいは辺境といった場所は実は
自分の心の中にあるのだということ。

そこへは、どうも一人では行けない気がしている。
一人で行ったら、帰ってこれないかも知れない。
いつも、一緒に行ってくれる誰かを探している。

つまりはそれゆえに、
「呼んでいる」と思ってしまうのかも知れない。

2004/03/03(水) 音楽と私
という題で今回、役者さんたちに原稿依頼してます。
だけどこれが、なかなか出てこないんだよねぇ。

みんな、他人がどんなの出すか探りあってるのか、
単純に忘れてるだけなのか分からんけれども、
とりあえず依頼した本人=私が書いとくか、ここで。

音楽と私。

ZZZ...

いかん、また寝てしまった。
本当に寝不足なので、パソコンの前でも気を失う。
バスとか電車の運転手やってたとしたら、絶対事故だな。

ていうか、今度の「音楽が呼んでいる」こそが
音楽と私、みたいな作品になるような気がしてるので
そっちを観てもらったほうが早いかな。
音楽のことだし、言葉にできないこともあるし。

そんなのただの宣伝だ、公演案内だ、日記とは呼べん!
と怒る人がいるかどうかは分からないけれど
少しだけ書いてみる、「音楽と私」について。

曲名が分からないで、ずっと探していた曲を
ふとしたことで「発見」してしまうことがある。

そういう時、驚きとか喜びとかもあるにはあるんだけど
何かが終わってしまった感じ、のほうがかなり大きい。

ずっと探し続けたい曲、
というのはそうそうあるものではなくて、
そういう曲とまた出会えるのかどうかは、分からない。

その分からなさが、少しばかりの不安を運んでくる。
探し続けたCDを手に入れての帰り道、
いつも通る公園の電灯が、頼りなげに光っている。

2004/03/02(火) 2日目、眠い。
今週は、森下坂口両氏が出演の吹田メイシアター近松劇場がある。
鹿殺しも208+も魚灯もある。台本も書かねばなるまい。
どんどん睡眠時間が消えてゆく。で、最近昼間に気を失う。

ふと気がつくと、30分くらいたってる。
何人かで喋っている最中だが、さっきより話は前に進んでる。
その間意識が無かったことを、誰かに悟られてしまったのでは?

でも、気を失ってたから誰が見ていたかも分からない。
分からないままどんどん時間が過ぎてゆく。

あるいはもしかしたら、そこにいる全員が交互に気を失ってて
誰もがそのことに気づかれまいと、平静を装っているのでは ・・・?

3月絵日記の続き


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