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最新の絵日記ダイジェスト
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2004/05/26(水) やがて僕らは、静かに消えてゆく。
三宮のアサヒシネマが消える。

「ぴあ」の映画欄を見ていると
映画のタイトルが並んでいるのが
ある日を境にふうっと途切れて
「閉館」という文字がそこにある。

まあ、生きてると
色んなものが消えていくし。
いつか自分だって
消えていく運命なわけだし。

感傷を口にしたって始まらない。

アサヒシネマは客が少ないから
閉館したにすぎない。
扇町ミュージアムスクエアだって
近鉄劇場・小劇場だって
明らかに客が少なくなったから
当然の帰結として無くなったのだ。

もちろん、客が多いものが
素晴らしいものとは限らないし、
客が少なくてもすばらしい作品は
本当にいくらでもある。

ただ今は、
客は少ないけれど面白いものを
守っていけるほど社会は豊かではない。

それに、家で名画のDVDも観られるわけで
わざわざ苦労してまでどこかに出かけて
何かに出会おうとする動機が失われつつある。

50年たてば日本の人口も今の半分の
6000万人位になるらしく、
人を集めて盛り上げよう、みたいなことは今後
ますます困難になっていくに違いない。

場所、が消えてなくなってゆく。
だから代わりに、ネット上に場所を作る。
その場所を使って何ができるか。
今ずっとそのことを考えている。

2004/05/22(土) 山崎
明日、山崎に会いに行く。
会うのは初めてだ。顔も知らない。

とある場所のスターバックスの前の
小さなラジカセから音楽が流れていた。

しばらくその曲に聴き入ってから
カウンターに行ってラテを注文し
レジを打つ女の子にお願いしてみた。

「今あそこで流れている
 曲の名前を知りたいんですけど。」

爽やかで明るくて感じのいい彼女は
すぐさまラジカセに向かうと
CDを取り出した。

そのCD、いやCD−Rには
青いマジックでこう書いてあった。
<山崎 クローズ用 色々・・・>

「・・・これは山崎が曲を集めて作ったもの
 ですね。明日なら本人シフト入ってるんで、
 番号教えてもらえれば電話させますよ?」
「あ、そうですか。じゃあお願いします」

ラテを飲み始めて5分後、

「今、山崎に電話したんですけど、
 曲名分かりました!」
「え、もう?ありがとうございます!」
「それでですね、山崎が言ってるんですけど
 このCDお貸ししましょうか?また都合の
 いい時に持ってきてもらえればいいんで。」
「え?・・・いいんですか?そんなにしていただいて」
「・・・なんかね、嬉しいらしいんですよ、本人が。
 だから、良かったらお貸ししますって言ってるんですけど。」
「・・・そういうことなら、ぜひお借りします」

私には、山崎の気持ちが死ぬほどよく分かる。
逆の立場だったら、私も間違いなく同じことをしただろう。

時間をかけて捜し歩いた末に巡りあった、大切な曲たち。
その選りすぐりをパッケージして、バイト先で流す。
「これ、なんていう曲ですか?」
その一言ほど嬉しいものはない、少なくとも私にとっては。

で、それが一週間前の出来事。
明日はCD−Rを返しに行く。

山崎は、いや、山崎さんは
シフトに入っているだろうか?
ちょっとブリティッシュ・ロックについて
語りあいたい気がしてるんだけれど・・・。

2004/05/21(金) 雨の日には、すべてが美しい。
雨が降っている。

誰かと思い出を共有する。
共有する誰かと話をする。

そのことで、記憶の中から
自分がかつて生きていた時間が
輪郭をもって立ち上がってくる。

雨が降ると、匂いがする。
コンクリートやアスファルトに
覆い尽くされたわけではない
街の匂い、生きている匂い。

ひなびた食堂で食べる
ランチやカフェ飯ではない、
昼ごはんの味にほっとする。

埃まみれだったり
薄汚れていたりする風景も
雨の日には光る水滴に飾られて。

こんな雨の日には
車を走らせながら
美しい季節を思い出しながら。

2004/05/20(木) 亜弥とあやや
こういうタイトルの本が出ていて
すぐさま手に取りレジに向かった。

私は松浦亜弥が大好きである。
と言っても別にCDや写真集を買ったり
コンサートに行ったりするわけではない。

けれど、この本は
私のために作られたかのような本である。

まずタイトルがいい。
そして、表紙の写真がいい。
さらに、ページをめくると
幼少時からの写真が続いているのがいい。

文章の内容は「早すぎる自叙伝」。
と言っても実際は
遊園地で遊びながらのインタビューで
まるでもう一人の自分が
この本を作ったのではないか?と錯覚する。

1999年に東芝EMIから
宇多田ヒカルと椎名林檎が
同時に出てきた時にはついに
時代を画する人達が出てきたと思った。

そして今、
松浦亜弥や氷川きよしが出てきて
ああもう完全に変わったなと思う。

今の女子はみんな
自分をキレイに見せるのが上手くて
逆に言えばそこそこキレイな人は
結構どこにでもいる時代である。

で、
私が女子を気に入る一番のポイントは
キレイ=顔が整っていることよりむしろ
見ていて飽きないことなのであるが、
松浦亜弥はそれを完全にクリアしている。

見ていて本当に飽きない。

なぜ飽きないのか?
それはシンプルに言えば
松浦亜弥が「強い」からなのだと思う。

そして、その強さにもかかわらず
「あやや」という、
聞いただけで腰くだけになるような
ほっこりしたネーミング。

兵庫県姫路市生まれだと言う。
三宮とかに出てきていたら
すれ違っていたかもしれない。

数年前に平日に一人で姫路美術館に
デルヴォーを見に行った時に
バス停留所に立っていたかもしれない。

そんな勝手な想像をしながら
本のページをめくる。
彼女はまだ17歳である。

2004/05/19(水) ゴールデングレープ!!!
昨夜遅く、森下君からメールが届いた。

「大変です、今セブンイレブンに行ったら
 ファンタのゴールデングレープが・・・」

メールはそこで終っていた。

朝になってからそれを読んだ私は、
今日中に必ずどこかのセブンイレブンに
行ってやると、頭の中はもうそれ一色だった。

ファンタのゴールデングレープは
私の世代にとってはまさに幻のファンタ。
少年時代がゴールデンイヤーズだとすれば
それを象徴するのがこのゴールデングレープだ。

はっきり言って、
すべてのファンタの中で一番美味い。
もうこれは独断と偏見で断言する。

オレンジとグレープに使われている
合成着色料が敬遠され始めた当時、
着色料を抜いた色の薄い商品である
「レモン」と「ゴールデングレープ」が発売された。

天然着色料を使った商品が
量産可能になるまでの間の
一時的な短命の商品だったが
これが無くなったせいで
私はファンタを飲むのを止め
スプライトやキリンレモンに移った。

ニュートラル#10「ふしぎのとも」でも
ゴールデングレープを話題にしたし、
1本1000円で売っていたとしても
私は買っただろう。それくらい好きだった。

そして考えた。
この商品の復刻発売を企画した
セブンイレブンのスタッフは
私と同世代の人間に違いない。

今、時々生活の中で感じる懐かしさは実は
同世代の人間が演出したものかも知れない。

まあそんな話はどうでもいいや!
とにかく今日はゴールデングレープで乾杯だ!

できればビンで復刻して欲しかったが
それは贅沢すぎる欲求だろう。
セブンイレブン限定だから、
そのうちまた世の中から消えてゆくのだろう。
そしてまた伝説になっていくのだ。

それにしても・・・
ついに再会したぞ!ゴールデングレープ!

2004/05/18(火) 永遠の一日
押井守の「イノセンス」を観た。
美しい映画だった。

なんだかんだ言って、
押井作品はわりと観ている。
で、結局今でも一番好きなのは
「ビューティフルドリーマー」だ。
あれはとにかく、設定が良かった

学園祭の前日、という一日が
何度も繰り返されてゆく・・・。

175Rが
ジュンスカイウォーカーズを
リスペクトしてる、みたいな記事を
どこかで読んだ。

ジュンスカのメジャーデビュー曲は
確か「全部このままで」だった。

全部このままで今のままで
この時間がずっと続いて欲しいと
思えるような一日を持っている人間は
幸福であると思う。

けれどそんな一日は
その後の日常の中にフラッシュバック
のように襲来して裂け目を生じさせ
今の自分はあのときに比べて
楽しくない喜びがない何もない
などという考えを植えつけてゆく。

一瞬の絶頂とその後の倦怠。
再び絶頂を味わおうともがくが
同じ時間は二度と戻らないことを
思い知らされるばかり・・・。

こうなると
トータルでプラスマイナスで
そんな一日を過ごしたことが
幸福だったのかどうか、
分からなくなってくる。

けれどもやはり死ぬ時には
自分の人生に
そんな日があってよかったと
思うに違いない。

「全部このままで」な一日が永遠に続く
「ビューティフル」な夢を夢見つつ、
もがき続ける一生である。

2004/05/17(月) 去りゆく人、残される人。
映画「ビッグフィッシュ」を観た。

ティム・バートンの最高傑作とか
どこかに書いてあったが、

「キルビル」が予想通り
タランティーノがもはや
「レザボアドッグス」そして何より
「パルプフィクション」を
超えられないことを
改めて示した映画だったので、

ティム・バートンも結局
「シザーハンズ」を超えられない
だろうと思っていたのだが、
この「ビッグフィッシュ」は確かに
最高傑作というか集大成的な作品で、
観終わってかなり満足した。

この映画では、
別にティム・バートンは
何も新しいことを言っていないし
新しい手法を使っているわけでもない。

今まで言ってきた事を
今回もまた繰り返しているに過ぎず
映画としては失敗だった「エド・ウッド」と
テーマ的には大して変わらない気がする。

けれど、今回の「ビッグフィッシュ」は
タイトルも含めて語り口が良かった。
映画は「語り方」だな、と改めて思った。

そう言えば、このところ
「グッバイ、レーニン!」
「みなさん、さようなら」
そして「ビッグフィッシュ」と、
死にゆく親と寄り添う子どもの物語を
立て続けに3本観てしまった。

けれど、少しも飽きた感じがしないし
「またこのテーマか」なんて思わない。

3本とも切り口や語り口が良くて
多分それぞれすごく
パーソナルな感情が出ていて
だから3本とも良かった。

3本に共通するのは
やはりラストが良かったことだ。

周到な伏線?に基づく
軽く、抑えたタッチの果ての
どんでん返し的なクライマックスがあって
ああやられた、と思った。
3回もやられてしまった。

最後に親が死ぬ、
という流れは分かっているのに
一言では言えない、映画を観ないと分からない
時間の積み重ねがあってラストが訪れる。

そうだ、「時間の積み重ね」だ。

毎日がある、毎日の積み重ねがある。
普段は平穏に生きている、生きている気がする。
それがある日突然、激情が走る。
走り出す、動き出す、叫んだり泣いたりする。
積み重ねの果てに、感情が爆発する・・・。

そして今夜も私はこの日記を書きながら、
思い出し思い馳せる時間を
積み重ねてゆくのだろうか。

2004/05/16(日) 西 IS BACK!
西未花が日本に帰ってきた!
何年ぶりだろうか?

ニュートラルを始めた時から
「この人には出てもらわなければ」
と思い続けていた女優さんで、
3回目の公演「月曜日のキリン」で
それがやっと実現した。

舞台監督の塚本さんなどは今でも
ニュートラルの作品中で
この「キリン」が最高だったと
懐かしい目をして語ったりする。

この「月曜日のキリン」という作品は
月曜日の動物園に集まる人々の
ささやかな交流?を描いた
地味な作品である。

しかし、実際にフランス語が堪能で
それで貿易の仕事などしていた
西未花の流れるような語りと
古いシャンソンの歌声がマッチして
フランス好き動物園好きの
私の趣味を全面に押し出した
自分としても凄く気に入っている作品である。

西さんは正直、主役ばかりやってきた人で
黒田なおめさんと2枚看板だった
劇団ちゃかぽこ調書は、毎公演東京・大阪で
公演をして人気を集めていた。

そんな人だから、基本的に自分が主役で「当然」と
思っているのだが、思っているからこそ
周りの人への配慮を忘れない
器の大きな「女優様」だったと、私は思っている。

そういう「女優様」が、今は本当に少なくなった。

そんな西さんが、
スイスの大富豪の御曹司と結婚して
大教会で式を挙げて披露宴は船上パーティーで
余興はその船にボートで迫ってきて
海賊の衣装で乗り込んでくる新郎の友人達による
パフォーマンスで、船を降りたら貸切の
ダンスパーティー会場で、みんな高価なドレスで
一晩中踊り明かして、次の日には専用機で
ハネムーンへ・・・。

みたいなスライドを見せられたときは
本当にびっくりした。
流石「女優様」は凄いなと、ため息が出た。

今、彼女はスイスで暮らしている。
そして、久しぶりに日本に帰ってきている。

前にも書いたが、
チラシの向井さんや役者の森崎進が戻ってきて
時間がまた一巡りしたかのような気分に
包まれているのだが、
西さんの来日はその流れを決定付けるかのような
すごいタイミングの出来事で、びっくりした。

いやいや、人生まだまだ面白いなと
なんだか楽しくなってまいりました。

2004/05/15(土) 世界の見え方
前の日記から1週間空いた。

この1週間、
かなりいろんな事が嫌になっていた。
それが今朝目が覚めて、急に変わった。

どん底から抜け出した朝というのは、
長い長いトンネルを抜けて
いきなり景色が開けた瞬間に似ている。

しばらくの間
どうしようもない事について考え続けていた。
どうしようもない事なので
考えてもどうにもならないし何も変わらない。
けれどその事ばかり考えてしまって
どうやって抜け出したらいいのかわからない。

そういう時間が、突然終った。

トンネルを抜けると、
きらきらと光る新緑が目に飛び込んできて、
眩しい。

多分いくつかの伏線があって
それがいきなり一つに結びついて
急に世界の見え方が変わった。

世界の見え方を変えてくれる出会いを
求め続けて生きているのかもしれない。

それは映画であったり、音楽であったり
そして何より具体的な生きている誰かだ。

人はたった一つの人生しか
選ぶことができないけれど、
別の人生とつながる、
あるいはつながりを感じることで
一つだけど一つじゃない人生、みたいな
時間を生きていくことができるのではないか?

などという、書いてしまうと何か
青臭いんじゃねえか?みたいなことを
でもすごくリアルに感じた。

今朝は、そんな朝だった。

2004/05/08(土) 映画館派
ビデオをレンタルする習慣が無い。
だからDVDプレイヤーも買ってない。

映画は映画館で観る「映画館派」である。
映画館で、一人で観ることが多い。

最近は、一人で映画を見に来る人が増えた。
それが別におかしなことではなくなった。

北村薫氏が、小説を書く理由として
「人間はたった一つの人生しか生きられない
 という運命に対する反抗心からです」
みたいなことを書いていたが、
映画とか芝居を観る理由の一つも
多分そういうことになるのだろう。

生きていると
別の人生への扉が見える
さらには開きかける瞬間というのが
あったりする。

しかし、人生は一つしか選べない。

なにかそれは
とてつもなく理不尽なことのように思えてくる。
人間には想像力がある。
けれど肉体や現実はその想像力を超えられない。

で、映画がある。
一つしか選べない代わりに、
別の人生をパッケージに詰めて見せてくれるし、
上手くいけば主人公になりきることだってできる。

そして私の場合、自分の部屋だと
そういうことが上手くいかない。

ビデオが終ってブラウン管に自分が映ったり
まわりがいつもの部屋だったりしたら
すぐに冷めてしまう。

映画館に出かける行為そのものが
非日常への道行きとなっている。
だからどんなに技術が進歩して便利になっても、
映画館はいつまでもなくならないで欲しいものだ。

5月絵日記の続き


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