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2005/03/31(木) 春にして、大いにコケる。
芝居で人生を区切って生きてきたので
クロムを手伝ったりしていてもやはり
1年近く自分の芝居をやっていないと
次第に日常から緊張感が失われていく。

「終らない日常」とか
「毎日が同じことの繰り返し」とか

ここ10年、あまり感じたことのない感覚が、
徐々に音もなく近づいてくるのが分かる。

いやいや、そういう感覚とは
永遠にオサラバしようと決めたのは
あれは19の春だったろうか。

春眠暁を覚えず。
脳細胞がふらついている。

実は先日、「追いかけっこ」をした。
追いかけっこなど何年ぶりだろうか?
全速力で、全神経を使って走り回った。

ジャンプ&クイックターン!
自分の動きがイメージできる!行ける!

そう思った瞬間、
着地点の窪みに足を取られ
体が大きく前傾姿勢となり
倒れまいとして倒れるより早く足を動かして
体を前に持って行こうとしたが追いつかず、
バタン!と派手にこけてしまった。

こけたのも、かなり久し振りのことだ。
この前はいつこけたのか、その記憶が全く無い。

いや、小学生の頃のことなら覚えている。
半ズボンで、こけると膝が直接地面に当たって
当然すりむいて血が出た。

マキロン塗ってスポンジで拭いて
メンソレ塗ってバンドエイドを貼った。

そう、保健室だ。
保健室に行って、保健の先生にやってもらった。
怪我をするのもいいものだ、と思った・・・。

2005/03/30(水) 鳴門メエルシュトレエム
渦潮を見るなら、小型船に乗るのが一番だ。
天気が良かったので、久し振りに淡路島を抜けて四国へ。

四国は大好きだ。
去年初めて行って、食べ物が全て美味いので嬉しくなった。

海を見るのが好きで、海の音を聴くのが好きで
時々車を飛ばして浜辺を歩く習慣があるのだけれど、
去年、子供の頃以来、本当に久し振りに鳴門の渦を見て
ああ、これは時々見に来たいなぁ、と思うようになった。

渦には規則性がある。
ただ眺めていても分からないが、
真上から撮影すると、その規則性が分かるらしい。

風呂の栓を抜いた時にできる渦を、じっと眺める。
渦は、吸い込まれて行く、という感覚を呼び起こす。
日常では忘れてしまっている、めくるめく感覚。

ブラックホールに対する畏怖は、死への畏怖に似ている。
渦巻きの向こうには何があるのか?
その分からなさが、怖いような、懐かしいような。

ちなみに、メエルシュトレエムというのは
小説好きなら誰でも知っている
ポーの小説に出てくる「渦」のことである。

このエドガー・アラン・ポーという人の小説は
今読み返してみると、細かい描写などがなかなかに面白い。

ちなみに、これも有名な話だが
日本の小説家・江戸川乱歩の名前は
このポーから取った、というか漢字を当てたものである。

エドガー・アラン・ポー
江戸川乱歩

確かに、そのまんまである。

乱歩自身は、非常にオリジナリティのある作家だし
そんな名前をつける必要など無いとは思うのだけれど
有名になっても本名に戻したりしないところが良い。

それにしても、「渦」を眺めていると言葉を失う。
ただくるくるまわるだけなのに、神秘性を帯びてくる。
そんな「渦」の不思議さを味わうには、直接見るのが一番だ。

2005/03/29(火) 上田假奈代、36歳。
で、行きは急ぎのJRなれど
帰りは安上がりの京阪電車で
淀屋橋まで帰ってきて
地下鉄に乗り換えて動物園前で降りる。

相変わらず閑散としたフェスティバルゲートは
この世の果て感がそこかしこに漂っている。

ここに、詩人・上田假奈代さんのいる
cocoroomがある。

確かここには、ダンスボックスdBという
ところもあって、やはりダンスや詩は関西では
この世の果てに行き着くのか、と感じ入る。

假奈代さんを初めて見たのは
今はなき扇町ミュージアムスクエアで
上映禁止映画「少女椿」by 丸尾末広の
秘密上映イベントが行われた時のことである。

この映画自体は、今見てみると
「上映禁止?」と思えるようなものなのだが
上映前のイベントが変で面白かった。

下半身丸出しの男子がうめきながらウロウロしたり
包帯ぐるぐる巻きの女の子が出てきたり
ああ、なんかこういう感じって懐かしいな〜
と思ったものである。

そんな中で、假奈代さんはプロだった。
この人は、詩の朗読で金が取れる人だと、すぐに分かった。
ずっと聴いていたい声の持ち主、上田假奈代。
不条理な展開ながらイメージに酔ってしまう、彼女の詩。

いっぺんでファンになった。

假奈代さんは今、36歳。
マイペースで表現活動を続けながら
いろんな人と知り合いになって、一緒に活動しているらしい。

好きな映画が
「アンダーグラウンド」by エミール・クストリッツァ
「汚れた血」by レオス・カラックス
というあたり、物凄く話が合いそうなのだけれど
実際にお話したことは無い。

ニュートラルのHPを開設しているせいか
知らない劇団や劇場などからメールが舞い込むのだけれど
いつの頃からか假奈代さんのcocoroomからも
メールが届くようになって、ついつい読んでいた。

假奈代さんの生の声を聴きながら、
距離が離れていても耳元で囁くような
その声の心地良さに酔いながら、
女性の年齢について考えを巡らせていた。

奥田ワレタ・28歳の芝居と
上田假奈代・36歳の、詩の朗読。

この続きは、また今度。
もう少し考えがまとまってから書こうと思う。

2005/03/28(月) 奥田ワレタ、28歳。
京都に、ワレタさんの二人芝居を観に行く。
京都に行く電車の中では、必ず眠る。
これが気持ちいい。

京都に住みたいとも思うが、
京都に行く電車の中で眠る至福も捨てがたい。

本人が、漫才やります、
と言ってたしチラシにもそう書いてあったので
漫才やるんだろうなぁ、
と思って観に行ったら本当に漫才をやっていた。

二人が口論するシーンが
結構思い切りよく喧嘩できてるぞ、と思ったら
「長い付き合いの中で、初めて喧嘩した」と
パンフレットに書いてあったので、納得。

ちゃんと喧嘩できるのが、少人数の醍醐味だ。

内容はというと、28歳・奥田ワレタの
等身大な背伸びしない感じが好感度な感じ?
色々と演出の遊びもあって楽しめた。

普段のまんまじゃん!とか、衣装普段着じゃん!
など、ワレタさんのことを知っている人なら
より楽しめる内容だったと思う。

大体芝居やってると男であれ女であれ
30歳で最初の壁が来てやめて行くので
28歳というのはまあ、微妙な年齢である。

そして物語は、28歳になったアイドルが
売れなくなったので漫才を始めようとするお話。

初めて自己プロデュースをして
この作品を世に出したワレタさんの心境とは?
などと考えつつ、次の小屋へと向かうために
京都の町を早足で歩き始めるのであった。

2005/03/27(日) 私のイチオシ(ポテチ篇)
クロムの東京公演の思い出と言えば、これに尽きる。

ポテチを主食として生きている森下君のブログで
カルビー「堅あげポテト」の関西発売を知る。

もともとは地域限定商品だったのが、
人気を呼んで全国に広がりつつあるらしい。

東京ではこればっかり買って食べていた。
関西には無いから、珍しいから、というのもあるが
何より単純に美味いのである。

森下君ほどポテチが好きというわけではなく
さらに言えば、オーザック以外はあまり食べないのだが
これはどんどん行けた。

基本的に製法が普通のポテトとちと違うので
油分が25%ほど少なくなるらしく、
食べた後の口の中に油の残った感じがしない。

そして、歯ごたえ!堅め!

袋の裏を見ると、どうやらこの製法は
アメリカに昔からあったものらしく
だったらどうして早くこれを出さなかったんだ?
と思うほど、ポテチとして優秀&定番感あり、なのだ。

惜しむらくは今のところ、ローソンで限定発売らしい。
近くにローソンが無い人は、お出かけ時にチェックだ!

2005/03/26(土) 私のイチオシ
以前何かの集まりで、

すべてのCMの中で
一番女の子が可愛いのはどれだ?

という話になった時
最初は色々と出たのだが
誰かが「ゼクシィ」のCMを挙げた途端
全員一致でこのCMに決まったことがある。

その頃は、
この女の子の名前が全く分からず
たぶんこのCMにしか出ていない人なのだと
長い間そういうことで納得していた。

一方で、加藤ローサについては
夜中にやってる番組に出てるけどあまり喋らず
見た目からしてハーフかな?とか
そんなことしか思っていなかった。

加藤ローサ=ゼクシィの子
と知ったのは、結構最近の事だ。

加藤ローサはもちろん
ヴォーダフォンとか上海冷茶とか
いろんなCMに出ている売れっ子だ。

だけど、ゼクシィの彼女と
それ以外の彼女との間には
絶対的な隔たりがあるような気がする。

初期の宮沢りえの可愛さが今となっては
奇跡だったとしか言いようが無いように
ゼクシィの加藤ローサの可愛さは
「可愛い」という言葉の定義を
根源的に照射したと言ってもいいほどの
まさに奇跡そのものであった。

自分でも何を書いているのか分からない。

とにかく、女の子がこれ以上可愛いCMは
今も見当たらない。
そして恐らく、加藤ローサ自身にも
この可愛さは乗り越え不可能かと思われる。

あるいは
現実に加藤ローサと結婚する者だけが
あの可愛さを越える表情を
目にすることができるのかもしれない。

2005/03/25(金) ノブクニ君イチオシ、杏さゆり。
クロムのノブクニ君が
「現在活動するグラビア・アイドルの中で
 僕的に最もストライクなのが、彼女です」と
公言して
公表して
公開してはばからないのが「杏さゆり」である。

現在活動するグラビア・アイドルという職業の女性が
この世の中に一体どれくらい存在するのか知らないが、
ノブクニ君は日夜全てのグラビア・アイドルに眼を配り
あらゆる点を鑑みて出した結論が「杏さゆり」である。

写真を見てみよう。

確かに、可愛い。
可愛いが、可愛いだけなら、
世の中には「赤ちゃん」とか「ワンちゃん」とか
可愛さにおいて引けを取らない存在がある。

そう言えば、電車の吊り広告で見たが
アコムのCM犬、ミニチワワのくぅ〜ちゃんが
急死したそうである。冥福を祈りたい。

最近、ため息の出る訃報が続く。
可愛いものばかりが消えてゆく。

話を戻そう。

グラビア・アイドルを
グラビアというメディア、
つまり雑誌のカラー写真のページにおいて
人気を博している人だと
仮に定義してみよう。

確かに、赤ちゃんは可愛いが
グラビア・アイドルにはならない。
そしてさらに言えば、男性のグラビア・アイドル
というものは恐らく、存在していないように思う。

若い女性だけが、グラビア・アイドルになる。
というか、グラビア・アイドルという言葉の中には
最初から、若い女性しか含まれていないのである。
そして、彼女達を支持するのは、概ね男性である。

確かに、この杏さゆりという人のこの写真は
可愛い、という感想を呼び起こす。
可愛くないよこんな女、などと言う奴は
ただのあまのじゃくである。

しかし、人が赤ちゃんや犬に対して「可愛い」
と言う時、その赤ちゃんや犬の人格(犬格?)
は抜きにして、ただひたすら見た目とか動きに
関して、可愛いというコメントがなされている。

それと同じく、
グラビア・アイドルにも人格は存在しない。
見た目だけの世界。
そこでは常に「可愛い」の言い放題である。

赤ちゃんや犬を見るときには誰もが
「可愛い」と声に出して言うことを許されている。
そして実は、誰もが本当は可愛いものに対して
声を大にして「可愛い」と言いたいのだ。

道を歩いていて向こうからとんでもなく
可愛いひとが歩いてきた時には
「あなたは無茶苦茶可愛いですよ!」と
声を大にして叫びたいものなのだ。

けれど、もしも実際に叫んでしまったら、
白眼視されて自己嫌悪の渦に飲み込まれてしまう。

女性は道を行く赤ちゃんやワンちゃんに向かって
「可愛い」と大っぴらに叫んでも許されるが
男性は道を行く若い女性に向かって「可愛い」と
叫ぶことは、基本的に許されていない。

なぜなら、若い女性には人格が存在するからだ。
けれど男性にとっては、赤ちゃんやワンちゃんより
若い女性に対してこそ「可愛い」という気持ちが
沸き起こってくる場合が多いものなのである。

女性だけが「可愛い」と叫ぶことができる。
男性にとってはこれは、大きな不公平であろう。

そもそも男性は幼少時より、
可愛いものは女の子のものとして遠ざけられ
サンリオグッズにしろ何にしろ
男が買ったり身に付けることは恥とされてきた。

けれど、男性の中にも可愛いものを可愛いと思う
気持ちは存在するし、叫びたい時だってあるのだ。
そして、そんな哀しい人々の「可愛い」のために、
今日もグラビア・アイドルは働き続けるのである。

結論。
杏さゆりは可愛い。
だけど、どんな人かは分からないので
それ以上のことは何も言えないし思わない。

声とか、人格とかが
見た目の「可愛い」をさらに増幅するものなのか
そうではないのか。その点が、グラビア・アイドル
から別のメディアへと移行する際のポイントである。

果たしてこの先、
杏さゆりの声や人格に触れる機会があるのかどうか。
それはまだ分からない。
ただ、写真の中に彼女の「可愛さ」だけが存在する。

2005/03/24(木) 18歳になった、松浦亜弥。
CM出身の監督が、当たり前になってきた。
CMは一番儲かるので、自動的に才能が集まる。

安藤美姫をDSにキャスティングした人物も偉いが
松浦亜弥に泣きながら歌を歌わせた人物も、なかなかだ。

もちろん、腐ったようなCMも多々あるにはあるが
こういうCMを見ると、得した気分になれる。

そして素晴らしいことに、今はブロードバンドがある。
おかげで話題のCMを、つまらん番組を見ずとも
直接見に行けるのだ。インターネット万歳!?である。

泣いている松浦亜弥を、ストリーミングで何度も見る。
演技ではあるが、そして上手い演技ではないのだが
なんとなく見てしまう。

松浦亜弥は実は、
村上龍原作のTVドラマとか蜷川幸雄監督の映画など、
そのアイドル・マシーンぶりとは正反対のノリの
「演技」を要求される作品によく出ている。

不可思議である。
不可思議とは、










※(フォント無し。禾へんに予)






恒河沙
阿僧祇
那由他

に続く単位で、「一不可思議」を数字で表すと
1000000000000000000000000000000000000
0000000000000000000000000000 となる。

ちなみに、不可思議の次が「無量大数」。
これが最後の単位で、それ以上は、無い。
ことになっている。

しかし、実は中国ではもっと巨大な数を
漢字で表現していたらしい。
そのあたりのことは、ネットで調べると分かる。

無断リンクを貼りたくないので
「無量大数の彼方へ」というタイトルで
検索してみて欲しい。ページの一番下にその
途方も無い単位のことが書いてある。

これを考えた昔の人は、はっきり言って
相当に暇だったに違いない!

話が横道にそれたが、
松浦亜弥は一体どうなりたいのだろうか?
と、そういう文芸寄りの作品に出ている
彼女を見るたび、少々困惑していたのだが、
泣くCMを見て思った。
色々やりたいんだな、と。単純に。

彼女は10年後も芸能界にいるだろうか?
僕としては生き残っていて欲しいが
こればっかりは、どうにもよくわからない。

2005/03/23(水) 彼女のいない世界で、生きてゆく。
イ・ウンジュ自殺のショックから
なかなか立ち直れない。

いや、別に普通に生活はできているのだけれど
胸の奥にずっと、暗いわだかまりがくすぶっている。

ネットで彼女に関する情報を集め続ける。
生前の、インタビューに答えている記事もある。

彼女は休日には、ずっと家にいるのが好きだった。
出かけることなく、本を読んだりビデオを見たり。
そんな風にして、ひたすら家の中で過ごすという。

今読んでみると「ひきこもりがち」という言葉が
当てはめられるのかもしれない。どうでもいいけど。

例えば近い将来、ネットがとてつもなく高速化して
ハイビジョンクラスの映像を配信できるようになって
家でミニシアター系の映画も観られるようになれば
僕もほとんど出かける必要が無くなるかも知れない。

ビデオ化されそうにない映画や、
小さな劇団の芝居が好きなので
それらに触れるには
出かけるしかないので出かけてきたが
好きな劇団もどんどん少なくなってきたし
家でそんな映画が観られるなら映画館は必要無い。

理想は、ひきこもりがちなイ・ウンジュと
ソファに座ってマイナー映画をだらだらと観続ける休日。
テキトーなご飯を食べて、昼寝うたた寝をして
起きてちょっとカードでゲームをしてお茶を飲んで、
またポーランドやウズベキスタンの映画を見始める。

あるいは、同じ部屋にいて別々の本を読んで
読み終わったら交換して、後で感想を言い合ったり。

そんなこんなのすべてが
例え空想であっても、そういう理想の世界の全てが
イ・ウンジュと共に消え去ってしまった気がする。

もう、心地良く引きこもることはできない気がする。
さようなら、イ・ウンジュ。

2005/03/22(火) 女優、イ・ウンジュ。
これから公開される映画を待つ。
だけど、死んでしまう役が多い。
多分、普通に見られないと思う。

3月絵日記の続き


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