ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2005年4月
前の月 次の月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
最新の絵日記ダイジェスト
2006/10/22 大沢@旅日記、引越しました!
2006/09/09 大沢@旅日記、引越します。
2006/09/06 アンジェラ症候群。
2006/09/05 そう言えば、あの映画で。
2006/09/04 夏休みが終わり、学校が始まる。

直接移動: 200610 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200512 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200412 11 10 9 8 7 6 5 4 3 月 

2005/04/28(木) JR宝塚線、またの名を福知山線。
僕が毎日利用していた路線。

だから、あそこがどこの場所なのかも
TVを見てすぐにはっきりと分かった。

あの列車に僕が乗っていた可能性とか
知り合いが乗っていた可能性とかいうのは
それなりにあったと思うと、やはり怖くなる。

生と死は紙一重で、明日死んでも不思議ではない。
そんな、決まり文句のような言葉が
突然リアリティをもって迫ってくる。

ハンドルを握ったまま死んだ、疲れ切った運転手。
月曜日の朝、既に入社した頃の仕事への希望は失せ、
気がつくとまた、オーバーラン。激しくなる動悸・・・。

人減らしとサービス競争で、人間が疲弊してきている。

そもそもあの路線は、
月に2〜3回は必ず朝のラッシュ時に延着が発生して、
ダイヤが守られていないという印象があった。

だけど、運転手は運転手で、ダイヤを守ろうと必死だ。
ダイヤが守られていないといっては怒られ、
ダイヤを守ろうとするプレッシャーから事故が起こる。

例えば、飛行機が欠航になったり時間が遅れても
人はどこかで「まあ、落ちるよりましだ」と感じて
心の中に諦めのような気持ちを持つことができた。

一方、電車は落ちることが無いから、これまで、
ダイヤの乱れを「仕方ない」と諦める人は少なかった。
けれど、これからは事情が変わってくるのだろう。

当然、出口が近くても1〜3両目に乗る人は減り、
オーバーランした後スピードを上げずに延着しても
なぜかほっと胸をなでおろす人の姿が見られるだろう。

しかし、それでスピード社会が緩和されるわけではない。
個人がスローライフを目指しても、社会はまだまだ
スピードを求めている。早く、早く、もっと早く・・・。

そして事故が起こって、犠牲が出て、人は思い出す。

本数が増え、便利になったダイヤの裏には、
「スピード」や「便利」といった言葉の裏には、
多かれ少なかれ危険が潜んでいるのだということ。

そして今や誰もが、明日事故に遭っても不思議ではない
社会に、私たちは生きているのだ、ということを。

2005/04/27(水) 色を変える。
多忙の末、体調を崩してしまいました。
ので、なかなか更新できていません。

読んでいただいてる方に申し訳ないので
ちょっと色を変えてみました。

ブログに変えようかどうかというのは
ずっと迷っているのですが、正直言って
日記としてはこっちのほうがシンプルで
使いやすかったりするし、他の機能まで
考えるとブログも魅力的だし・・・。

GW中には、サイトのことをもう一度
考え直してみようかと思っています。
が、今はちょっと頭が働かないので、
吾妻ひでおの「失踪日記」を読みつつ、
まったりと過ごしています。

そのうち怒涛の更新が続くと思うので
それまで待ってて下さい!お願いします!

2005/04/16(土) さようなら、少女単体。
この時点で、劇場内に残っている観客数名。
出てくれば、苅谷さんを見る事ができる
と分っているのに出てこない人たちだ。

世の中いろんな人がいるよなぁ、と
苅谷さんと残った観客達を見比べつつ
妙に感心する。

通行人の方々も、不思議そうに2階の苅谷さんを
眺めて立ち止まったり足早に通り過ぎたりしている。
彼女はと言えば、窓枠から半身を乗り出して
ティッシュを道路に投げ捨てながら喋り続けている。

やがて、彼女は楽屋に消えたかと思うと
小屋の中に戻った観客たちの間をすり抜けて
正面の出入り口から外へ走り出してしまった!!!

ところで、この「外へ走り出してしまう」という事態を
東京公演で体験済みだった僕は少しもあわてず、
すっくと立ち上がってすたすたと彼女の後をついて行った。

ところが、彼女に追いついて後ろを振り返ると、誰もいない。
苅谷さんも「あれ?一人だけ?誰もついて来れてないのかぁ!」
と困惑顔。そして、僕を見つめると「すいませんけど、戻って
お客さん呼んできてもらえますか?」と真顔で頼んだ。

ずっとビデオカメラを手放さず、
公演をDVD作品化しようとしている彼女にしてみれば
誰もついて来ないという事態は、ちょっと予定外だったらしい。

で、僕はすぐさまUターンして、観客を呼びに行った。
戻って来た時には15人くらいの客が後からついてきた。
呼んでも来ない観客も何人もいて、「勿体無い」と思ったが
世の中にはいろんな人がいるのだから仕方がない。

それから予想通り、苅谷さんと観客たちは地下鉄に乗った。
切符は劇場で行われたあれこれの中で、既に配られていた。
苅谷さんはセーラー服姿で、ずっとビデオカメラを回している。
観客たちが、それをじっと見つめている。

ところで、車内にはもちろん、関係ない乗客も乗っている。
そのうちの何人かは、あたりに漂う一種異様な空気と
その中心にいる苅谷さんの存在に気付く。

まるで、今から宗教団体の儀式が車中で行われるかのような
静かな、そして薄ら寒い雰囲気に、席を立つ客もいる。

なんだかすごくいけないことをしているような気がしてくる。
大した事じゃないんだけれど、ただついて来てるだけなんだけど。

やがて地下鉄は新大阪に着き、苅谷さんは観客全員分の入場券を
購入。みんなでホームへ行って、苅谷さんを見送る。
新幹線の中でも、彼女はビデオカメラを回している。

そんな場合じゃないだろ?!妊娠してるんじゃないの?!
などと突っ込む気持ちはサラサラ起こらない。
なんだかここまでくるともう、あっぱれという気持ちである。

彼女を乗せた新幹線が去った後の、線路を眺めながら思った。

「少女単体」とは、生き方である。
それがどこまで行けるのか?どこまで続けられるのか?
彼女を突き動かすものに触れて、僕は少しだけ元気になった。

2005/04/14(木) 久し振りに睡眠が取れたので、
何日か分の日記を書きためる。
今日から数日間は、その分が自動でアップされるはずだ。

まずは、少し前だけど「少女単体」大阪公演。

作・演出・出演・照明・音響・美術・衣装・舞台監督・
宣伝美術・宣伝写真、これらすべて苅谷文(12)と
チラシには書いてある。しかも写真は、合成っぽいヌード。

そんな怪しいチラシにつられて、東京公演では
勘違いした怪しいおじさんたちが集まって警察まで来る
騒ぎになったが、大阪の客席は真面目そうな若者が多い。

東京公演と同じく、というか毎公演そうらしいのだけど
3回あるステージはすべてやることが違う。

1回目を観たクロムの青木さんの日記では
本人が妊娠の疑いがあるというので、楽屋で検査薬を
試してモニター越しに観客に結果報告したらしい。

で、「妊娠中」とい結果が出たらしいのだけど
どうやらこれは本当のことらしい。つまり、「芝居」
ではなく「現実」に本番中に妊娠検査をしたらしい。

こういう「表現」をなんと呼んだらいいのか、よく分からないが
劇場のシャッターが開いて登場したりビデオ上映があったりと、
少女単体にしては、なかなかサービスの多い回だったようだ。

2回目のステージでは、
本人はずっと楽屋にいて客に色々命令するだけ、
という、塚本さんいわく「一番ひどい」回で、
アイホールの志賀さんは途中で帰ってしまったという。

で、僕が観たのが3回目の最終回。
やっぱり本人はなかなか出てこないで
前の回に来ていてリピートしている一人の客が
カメラ持たされて、間を持たせるために
1時間以上色々と喋らされて、その間本人は
ずっと楽屋に篭りっきりの状態だった。

で、いきなり劇場裏のシャッターが開いて
その向こうから本人の声が聞こえてくるので
立ち上がって劇場を出てみると、
苅谷文その人が2階の楽屋の窓枠に腰掛けて
劇場裏の道路に出てきた我々観客を見下ろし
「妊娠したのにこんなことやってる場合じゃない」
とかなんとか叫んでいた・・・。

続く。

2005/04/11(月) 多忙は続くよどこまでも
まだまだ暴力的な忙しさの中にいる。
なんだかほとんど寝ていない気がする。

別のところに神経を使いすぎているせいか、反射神経が弱って危険を回避できない。
このまま死ぬんじゃないかと二度ほど思った。

まだまだゆっくり日記が書けない。
少女単体、映画、そして死ぬ気で時間作って駆け付けたローザス。

今回も携帯から書き込み。
PCを開いている時間も無い。

知り合いが結婚する。
そんな話題とはかけ離れた場所にいた私には、それは何か、別世界からの啓示に思えた。

2005/04/04(月) 多忙weekに突入!
恐ろしいほどの忙しさの中にいる。
書きたいのに書けないこの日記。

実は、今回初めて携帯から書き込んでます。

週末に『少女単体』こと苅谷文さんの大阪公演と映画を一本。

とりあえず、今日は苅谷さんの写真を載せておく。
報告は近々。待ってて下さい!

2005/04/02(土) そして歴史は繰り返し、私はまたこける。
私はいつものように、バスに乗ろうとしていた。
その日はたまたま、バスを待つ行列の一番前にいた。

ほどなく、いつものバスが停留所に滑り込んできた。

私は鞄から素早く定期入れを取り出して
ドアが開くと同時にステップを上って運転手に示し、
素早く折りたたむと足早にバスの中を移動して
一番後ろのドアに近い座席に優雅に腰を下ろし、
続いて乗り込んでくる人々の様子を
ぼんやりと眺めて過ごす予定だった。

しかし、予定通りに事は運ばなかった。

鞄から慣れた手付きで素早く定期入れを取り出した
ところまでは良かったが、次の瞬間、バスのステップに
したたか左の脛を打ち付けて、私は大きくころんだ。

予想外の出来事に驚き、顔を上げると
運転手が心配そうに「大丈夫ですか?」と声をかけた。

その声に同情や嘲笑の響きはなく
純粋に、突然こけた乗客を心配する気持ちが感じられ
救われた思いがして体を起こし、足早に歩いて席に着いた。

私の後ろには、乗車を待つ行列があった。
全員に見られていたかも知れないと思うと、
かっこ悪さに愕然となった。

私の真後ろには、いつも同じバスに乗る
落ち着いた感じの美人が並んでいて
彼女の前でぶっこけたと思うと、
かっこ良く乗車しようとしていた先刻までの自分が
なんだかひどく滑稽に思えてきて、突然笑けてきた。

自分の中に不意に笑いが起こってくると
つい先日には追いかけっこの末右脛を打ち
今日は衆人環視の中左脛をしたたか打ちつけたうえに
目や鼻も花粉でむずむずし続ける今の自分の状態が
なんだか妙におかしくてしょうがなくなってきた。

さらにはさっきの派手なずっこけが
背後に並んでいたあの美人の中にある
「同じような毎日が続いていく」感覚をも
多少なりともずっこけさせることができていたなら、
と、勝手な妄想も膨らんで、楽しい気分が広がってきた。

恥ずかしく情けない出来事のはずなのに
先日既に一度大きくこけていたことによって
今回こけたことの意味が変化したようだった。

長らくこけたことなど無かったのに
この短い期間の中で2度もこけるとは。

そのことが意味も無く面白くてたまらず
まるで、窓からの風に舞う春の花粉の中に
ワライダケの粒子が混じっていたかのように、
バスの中で私は、笑いをこらえ続けていた。

2005/04/01(金) こけてもなお、私は生きる。
(昨日の日記より続く)

子どもの頃にこけるのは
甘酸っぱい思い出にもなるだろうが
大の大人がこけてしまうと
それはもう、哀愁漂う光景となる。

追いかけっこの最中にこけたまま
私は地面の冷たさを久し振りに感じていた。
右の脛と右肘で、痛みが自己主張していた。

幸い血は流れず、
打撲と内出血となった。
さらに不思議なことには、
着ていた春物のコートには一切傷も破損もなく、
体だけが傷ついていた。

新しいコートは破れると元には戻らないが
体なら1週間も食べて寝ていれば治ってしまう。
人体万歳!自己治癒力礼賛!治療費無料!

しかし、傷ついたのは体だけではなかった。
こけたまま地面の冷たさを感じているうち、
その冷たさが心を冷やしていくのが分った。

私は落ち込んでいた。
自分がこけたことに関して、確実にへこんでいた。
もはや起き上がりたくない。
そんな気持ちが、私をこけたまま
地面にうつぶせにさせ続けた。

私に追いかけられていた者が
心配して近づいてきたが
うつ伏せになったままの異様な雰囲気に圧倒され
ある距離からこちらに近づけないでいた。

「大丈夫?」とその者は尋ねた。
「大丈夫じゃない」と、心の中で私は答えた。

その日以来、右脛と右肘の痛みが
私の心を萎えさせ全てをどうでもよくさせ
昼飯はマクドでも何でもいいやな、というような
投げやりな気持ちで一杯にさせた。

けれど、そんな日々は長くは続かなかった。
更なる試練が、私を待ち受けていたのである。


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.