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2005/06/12(日) 永遠の、イ・ウンジュ。
「スカーレットレター」の冒頭で
彼女がバンドをバックに唄うシーンがあった。
その歌声は、バネッサ・パラディに似て
少々ハスキーで、少々あどけなさを残していた。

ピアノが上手くて、
ピアノのシーンは吹き替えなしだった。
だから美しいその手が、
画面の中でなめらかに動くのを見ることができた。

そして彼女は、寂しく笑う人だった。
笑顔を見せても、どこかに寂しさが感じられた。
そのことが心の隅にいつも引っかかって、
やがて彼女が気になって仕方がなくなってしまう。

鎌田敏夫のシナリオに確か、こんな台詞があった。
「あなたは私と同類ね」
「どういうこと?」
「どこにいても、誰といても、寂しい。そうでしょ?」

彼女の死に関してよく引き合いに出されるのが、
同じく人気絶頂の中で死んだ、レスリー・チャンだ。
彼の笑顔もまた、秘めた寂しさを感じさせた。
彼の死を、イ・ウンジュはどう感じていたのだろうか。

「スカーレット・レター」のイ・ウンジュは
これまでの作品の中でも、トップレベルの美しさだ。
けれど、映画を見終わった後に思い出したのは
「ピクニック・オン・ザ・ハンギングロック」という
別の映画だ。

女子校がピクニックに出かけた岩山で
4人の生徒が行方不明になり、
1週間後に1人だけ生還するが口を硬く閉ざし
残りの3人は行方不明のまま、死亡とされる。

この映画の中で、
その女生徒たちが消える直前の姿が
スローモーションで何度か流れる。
そのシーンがとても美しく、それが映画の中心でもある。

イ・ウンジュの美しさが
死にゆく直前ゆえのものなのかどうかは、分からない。
ただ、それは既に映像の中だけのものである。
それを思うと、映像とは寂しいものだな、と思う。

現実の彼女は焼かれて灰になって、
風に乗ってこの世界を旅しているのだろうか。
世界に偏在する、イ・ウンジュ。

皮肉なことだが、
今僕が日々世界を新鮮に感じているのは
イ・ウンジュが死んでしまったから、かも知れない。
ここは既に、彼女のいない世界なのだ。

時々ふと、彼女の声が聴こえてくる。
他の韓国女優の誰とも違う、あの語り口。
寂しげなその笑顔の奥に秘められた謎は、
永遠に謎のまま、フィルムに焼きついている。

2005/06/11(土) 最後の、イ・ウンジュ。
遂に、遺作である
「スカーレット・レター」を観に行く。

この映画は、
「シュリ」や「八月のクリスマス」など
主演作をすべてヒットさせる男、という異名をとる
ハン・ソッキュの2年ぶりの新作でもある。

韓流ブームを本格化させたのは
「冬ソナ」だったかもしれないが
90年代にその扉を開き、準備してきたのは
一見地味で決してハンサムではない、ハン・ソッキュであった。

久しぶりに映画のパンフレットというものを買って
ハン・ソッキュのインタビュー記事を読むと
やはりこの人は、大変まじめな人であることがよく分かる。
職業としての俳優、というプロ意識が強く感じられる。

インタビューの中で、彼は重要な指摘をしている。

出演作のほとんどが、監督のデビュー作・もしくは2作目
ということに関して「意識的にやってきたことです。
新しい韓国映画に出たいと思っていたところ、同時期に
新しい映画精神を持った監督たちが登場しました。
これからも若い監督たちと組んでいきたいと思っています。
でも同時に、韓国映画界には5作以上の作品を撮っている
監督がとても少ない。1作か2作だけ撮って消えていく監督が
あまりにも多いことは、危惧すべきことだと思っています」

・・・と、長々と引用したが、ハン・ソッキュだからこそ
指摘できるこの事実。この人は、成功を収めつつも
苦い経験を色々と重ねてきていることが感じられる。

と、ハン・ソッキュのことばかり書いているが
実はこのインタビューの中に、私がなぜこれほどまでに
イ・ウンジュに傾倒しているのか、その理由の一つが
記されている。

正直、メイクや髪型やエステや整形や、その他もろもろ
色々なものが発達して、女性が自分を魅力的に見せる
ことに長けてきて、また時間とお金を使いまくる現在、
美人である、ということには、それほどの価値は無い。

美人なんて、いくらでもいる。
韓国映画界にも、イ・ウンジュより美人はいるだろう。
だけど、彼女のように、すべての動き・表情・視線に
確かに見えて、ふっと消えていきそうな不安定さと、
謎を湛えた女優は、そうそう見つかるものではない。

ここで、演技の極意の話になるが
以前にも書いたと思うけど、演技の極意は
はるか昔に世阿弥が言い当てている。
「離見の見」である。

僕はこれが
「ノリつつシラケ、シラケつつノル」と同義であり
「コントロール・オブ・アウト・オブ・コントロール」
と言い換えることができると考えている。

イ・ウンジュのことが書きたいので、詳しい解説は抜きだ。

アウト・オブ・コントロール。
自分をコントロールできない状態に、自分を追い込む。
映画の中で俳優は、人生で初めて直面する事態に
まっさらな状態で向き合う人間を演じなければならない。

どうするか。想像する。
今までの自分の体験。誰かの体験。小説の中の人物の体験。
その人物の設定について考える。
置かれている状況について考える。
あるいは、全く関係の無さそうなところから、ヒントを得る。

そうして、さまざまな時間を内に秘めて
舞台に立った時には、すべて忘れる。
忘れて、まっさらな状態で事態に向き合う。
自分を、制御不能な状態へと放り込む。覚悟を決めて。
そして、制御不能になっている自分をもう一人の自分が
1〜2メートル上空から眺めて、冷静に演出する。

こういう作業ができてこそ、役者だと思う。
そういう役者を見たいと願って、芝居などやっている。
正直、役者がそういう状態になれる環境さえ作れれば
それさえできれば、作品は完成したも同然なのだ。

ハン・ソッキュは、そのことを分かっている。
そういう仕事をしたいと思っている。
そして、相手にイ・ウンジュを選んだ。
彼女にならできる、と分かっていたからだ。
「地獄を見せよう」と話し合い、撮影終了後には
「これでもう、どんな役が来ても大丈夫だ」と
話し合っていたという。

彼女は、自分自身を制御不能の領域に
投げ出すことのできる、力のある女優さんだった。
けれど彼女は最後には、自分が飛び込んだ
アウト・オブ・コントロールから帰って来れなくなった。

「一人の女優が誕生して、僅かな期間でこれだけ大きな
ステップを踏んで成長するのは、とても稀なことです。
だからああいう結果になったことに対して、今はただ
とても残念です、としか言葉が見つかりません。・・・
今でも、私自身の中に、悔いの気持ちが残っています。」

・・・つづく。

2005/06/09(木) 顔の小さい彼女の結婚。
顔の小さい女の子と、知り合いになる。
背は、ヒールを履くと170センチ位
になるのだけれど、とにかく顔が小さい。

顔が小さいというのはもちろん
身長とのバランス、つまりは何頭身で
あるかという話であって、顔そのものの
大きさを問題にするなら、赤ちゃんが勝ちである。

ちなみに、世界で一番顔が小さいのは
言うまでもなく「吉川ひなの」であるが
彼女は「吉川ひなの」と並んでも
遜色無いほどの顔の小ささで、しかも美人である。

この人が、20代前半ながら、まもなく結婚するという。
結婚して3年くらいは夫婦であちこちを旅行して
それから子供を作っていくつもりだと楽しそうに話す。

こういう話は、昔ならよくある話だったのだろうが
今聴くと何故かすごく新鮮である。
昔は普通だったことが、今は普通でなくなりつつある。

人間の幸せは、そんなところには無いのじゃないか?
では、一体どこにあるんだ?探せば見つかるのか?
といった感じの状況下で、彼女の普通さが眩しい。

彼女が楽しそうに話す、その空気感を思い出すたび
かつて普通さが持っていた光、といったようなものを
感じる。そして彼女は顔が小さい。昔の人ではない。

日常のあちこちで、不思議な光と出会う。
そんな光を、写真に納めたいものだと思う。

2005/06/08(水) ボーグを脱げ!
青木さんのコラムが止まっている。
2週間以上更新されていない。
これは間違いなく、「ボーグ」の
台本が追い込み状態である証だ。

ボーグを脱げ!というタイトルは
かなり以前から予告されていて
剣道と特撮というモチーフに
僕はものすごく期待してきた。

今回のチラシには載っていないが
以前の予告コピーは最高だった。

コテ!コテコテ、コテー!
今度の試合に負けたら、お前を特撮にしてやる!
大地にそそり立つ、森下初号機・・・。

ああ、なんというイメージ!
TEAM発砲-B-ZIN主宰のきだつよし氏が
どうやら仮面ライダー響鬼の台本を書いている
ようだが、青木さんにこそ特撮モノの台本を
任せるべきである。必ずや名作が生まれると思う。

というか、特撮モノってやっぱり楽しそうだ!
台本で無茶苦茶書いても、すごいスタッフさんが
特撮で何とかしてくれそうだし。
ああ、僕も特撮をやってみたい!!

2005/06/07(火) オシャレな人がいる。
本当にオシャレな人というのは
どういう人を言うのだろうか?

大概の服は、
アパレル業界によって決定された
「今年の」流行に沿って作られ、
多少手が込んでいるとかブランドの
マークが入っているだとかの違いはあれ
大体無難な範囲の中でデザインされている。

以前、あるお芝居をやった時に

「この女の子の着るセーターは、こういう
 デザインで、こういう色でなければ駄目だ!」

と猛烈にこだわり、結果、海外ブランドの
数万円するセーターを衣装として購入したという
大浪費の過去を持つ僕が思うに、流行から離れて
本当に欲しいデザインを探し始めると、まずは
大量生産の世界から離れ、ついには既製品の世界
からも離れていってしまうものだ。

適当に流行に合わせていれば、そこそこの出費で
済むが、いったん流行を外れて冒険の旅に出ると、
そこには高額出費のリスクが待ち受けているのである。

確かに、街を行く人々を見てみると
基本的に驚くような服を着ている人はいない。
だが時々、「この人こそオシャレ!?」という人に出会う。

某有名ファッション評論家によると
結局オシャレとは、その人に合う服を着ることだそうで
ならば、自分に合う服が既製品の中に無いと感じた人は
どこに売ってるんですかそれ?といった服を着ることになり
結果、自然と目立ってしまうものなのである。

その代表選手の一人が
三代目魚武濱田成夫だろう。
自分で服を作る。これが究極の姿だ。
これまで僕が知り合った中にも、
自分で作った服を着る男が2人いた。

一人は微妙に左右非対称の服を作り続け
一人は染めを導入した和風素材の洋服を作っていた。
彼らは胸を張って、オシャレ自慢をしていいと思う。

あと、時々終電で一緒になるおじさんがいて
このおじさんがやたらかっこいい。
背が高くて顔が整っているうえに
常に長いスカートのようなものを履いていて
髪型は「デザインされたモヒカン」とでもいうべき
独特のスタイルだ。

やたら目立っていて、
どんなにオシャレしたつもりでいる若者がいても
同じ車内にいると霞んで凡庸に見えてしまう。
流行りモノを嬉しそうに着ることの気恥ずかしさを
思い知らされてしまうような、本物のオシャレさん
が、このモヒカンおじさんだ。

そういう人は、案外少ない。
多くの人が、既製品のカテゴリーの中で生きている。
そのことが時々、不思議に思えたりもするのであった。

2005/06/06(月) いろんな人がいる。
夜、乗っている電車が駅に着く。

よくある服装の人たちに混じって
黒のチャイナ風、ノースリーブの
ロングドレスに、黒くて長い手袋。
黒い帽子にサングラスといったいでたちの、
一見夏木マリよく見ると黒柳徹子ライクな
おばさまが、独特の踊るような身のこなしで
混み合った列車に乗り込んできた。

どこぞのお金持ちやら、と思っていたが
ふと見るとヘッドホンをしており、その
コードは、腕の方に向かって続いている。

腕組みした両腕の、
右腕、腕時計のすぐそばには、
CDプレーヤーが取り付けられていた。

黒ずくめの黒柳徹子の腕に光る
円盤状の銀色のCDプレイヤー。

不思議だった。
一体何の音楽を聴いているのか
確認したいと思っているうちに
その人は列車を降りていった。

わざとなのか?ファッションなのか?それとも、
周りの誰も注意してこなかった結果がこれか?
・・・分からない。だが腕にCD、は初めて見た。

2005/06/05(日) クロム史上、bP!!
クロムモリブデンのお芝居を
ずっと以前から見ている私は
クロムモリブデンのチラシを
ずっと以前から見ているわけで。

クロムのチラシのビジュアルは
ことあるごとに変動を繰り返してきた。

イラストレーターさんがついてたり
スタッフが不変の劇団と違って
クロムはその時々のメンバーが
スタッフワークに大きく関わっており
メンバーの変化に従って、チラシも変化した。

そんなこれまでのチラシはクロムのHPで
見てもらうとして、要は何が言いたいかというと、
次回公演「ボーグを脱げ!」のチラシを
初めて見たんだけど、これがとてもいい!!

クロム史上最もメジャー感に溢れていた
「直接KISS」のチラシよりさらに
洗練されたデザインで、とても美しい。

表面は、写真に対して「ボーグを脱げ!」
というタイトルが突っ込みになっている。
そして、裏面へと進むと連続写真が並び、
「え?逆でしょ?タイトルと逆じゃない?」
と画面に突っ込みたくなるような展開である。

そして、青木さんの文章はいつもどおり
文字を追う者を煙に巻きたくて仕方が無い
ウズウズした感じに満ち溢れた、不親切で
いい加減なタッチのつまりは笑いが満載である。

何のことやら分からない人は、是非とも
HEP FIVE 8FのHEPホールで
クロムのチラシを見てほしい。置いてるはず!
特に、ザネリ・ファンは今すぐ入手すべし!!

前回公演より入団したHPも担当するカメラマン
超スリム・シカタコウキ君・入魂の写真がそこに!

2005/06/04(土) ババロワを観に行く。
タカセさんとミッチーさん夫妻が続けている
ユニット?劇団?であるババロワを観に行く。

ババロワも、いつの間にやら10回目である。
もう?というより、まだ?という感じがする。

というのも、最近はHEP FIVE たぶん8Fの
HEPホールなんかでお洒落セットな公演を
やっていて、以前この日記でも書いたとおり
HEPホールにお似合いの芝居なのであるが。

初期のババロワは、それはもう狭い狭い小屋で、
下着も付けずに局部も含めて全身靴下だけを
付けた人と、全身が白い人などが話し合ったり、
異様な呪われたバンド活動を繰り広げたりと、
明らかにアングラライクな怪しいビジュアルで
わけの分からない笑いを追求していたわけで。

その頃から考えると、
今のババロワはかなり変わった。
急速に、見やすく洗練されてきた気がする。
だから、まだ10回目?と思ってしまうのだ。

ただ、当初から全く変わらないのは
タカセさんとミッチーさんの濃いキャラである。

僕も色々とお芝居を観ているけど
この2人のキャラは、唯一無二、という気がする。
こんな人たちは、他にはいない。
そして10年後も、2人は変わらない気がする。
久しぶりに見て、変わらなさに安心すると同時に、
変わらないってスゲェ〜、と思ってしまうのである。

ところで、あの全身靴下の人は今、
どうしているのだろうか・・・。

2005/06/03(金) 面白さ不明。
今さら?ではあるが、初めて「笑いの金メダル」を見た。
本屋の店先で平積みになった「ヒロシです。2」を
立ち読みして結構面白かったので、NECのCMなんかに
出るほどに売れている、本人の芸が見たくなったからだ。

ヒロシの語りは、確かに面白かった。
ずっと曲が流れていることも分かった。
ただ、あとの芸人達がつまらなすぎる・・・。

ヒロシの芸を編集で分割して小出しにしていく演出は
とりもなおさず、番組のスタッフもヒロシ以外は
見せるに値せず、と思っている証拠に思えてならない。

これでは、「エンタの神様」も見る気が起こらない。
どうしてこんなにつまらないのか?なのにどうして
今、お笑いがブームだということになるのか・・・?

わからない。
謎が深まる。

ところで、このページの一番下に
いつの間にか広告が出るようになったんだけど
気にしないで下さい。無視して下さい。


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