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2007/04/19(木)
ことばだけじゃ、
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聞くことばも、発することばも、 読むことばも、書くことばも、 脳で創られたあとは、口や手を動かせば音や形になる。 そこまでいってしまったら、取り返しのつかない現実のことばに変わる。
ただ待つしかない聞きたいことばもあるし、 発するのをためらうことばだってあるけれど、 それはまだ形のない、ことばの種。観念に毛が生えたような。 空気と混ざり合って初めて、道具になる。
親しい人からのことば、 見知らぬ人からのことば、 忘れてしまいたいことば、 たいして記憶に残らないことばも。
ことばなんて、存在しなくなってしまえばいいと思うこともある。 でも、耳をふさいでも、口をつぐんでも、 ことばの種は脳の中で創られていく。応答の鎖がどんどんできあがっていく。
メールには返信が必要なのか、とか 一方的なことばに返すことばは、とか 発したことばの不完全さがもどかしい、とか なぜ独り言という単語があるのか、とか。
ま、ことばだけを道具として生きているわけじゃないし、深く考えるのはまたの機会に。 「こころ」に続いて、再読したい本がまた出てきた。 高橋源一郎「さようなら、ギャングたち」が次点です。今度探してみよう。
本日の画像は、昨日買ったサボテンの刺のアップ。 欲しかった品種なのです〜♪ しかも蕾もついてました。 虫ではありません。動きません。なんかの顕微鏡写真でもありません。 全体像はまた後日アップするとしましょう。
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