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2004/10/26(火)
一期一会
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最近、色んな人とのふれあいの多い彼女は、今日もまた、一つ出会いがあった。 明るく振舞う人なのだけど、実は病気持ちで来月手術を控えている。
「さいわい、妻や子供もいない。もう死んでもいい」
そんな風な言葉を言われた。 彼女はつらい気持ちでいっぱいになる。 そこには、重ねてしまう思いがあるから。
彼女の父親は子供の頃から病気で彼女が小学校4年生の時にこの世を去った。34歳だっただろうか。 最後に自宅で姿を見れたのは、子供の頃の彼女が絵の賞をとった日。帰宅後すぐさま父の部屋へ向かうといつもの笑顔での「おかえり」を言ってくれず、かすれた声で「救急車呼んで」という。
しばらくして父は救急車に乗せられてゆく。 子供には、分からないことが多すぎて、ただ立っているだけ。 「何で今日は絵を見てくれなかったんだろう」 ただ、それだけ。それだけだった。
最後の場面は、遠くに見えるTVの画面みたいで小さくみえる。 管を体中に沢山つけた父がベッドに横になり、大人達がそれをかこむ。横にある小さな画面にはグラフみたいなのが上がったり下がったり。ハートのマークの横に数字がたまに動く。 「頑張れって言ってあげて!」誰かが子供の彼女へ言った。 こんなのテレビでしか見たことないよ。恥ずかしいからいやだよ。 ただ黙って見つめていると。 グラフが真っ直ぐな横線になり、数字が0になる。
その後の記憶はない。 その場の空気が息苦しくて、逃げ出したかったのはおぼえている。 母の顔も覚えていない。 子供ながらに気を使い、見ないようにしていたのかもしれない。
ただ、自分を責めた。何もしてあげなかった自分を責めた。 大切な人が居なくなった事に気がついたのは、それから数年後。 それまでは、居なくなったとは一度も思わなかった。思いたくもなかった。ただ、弟・妹を守ること。それだけ頑張った。
生きること。残されること。 誰もが「何か」を経験しないと気がつけない。
だから、彼女は目の前で明るく振舞いつつも、心の中では不安に押しつぶされそうになっているその人を応援したいと思った。
「何か」があると、きっと違う。「誰か」が居るときっと違う。 父が教えてくれた何かだと思う。 心の傷は一生なおらないし、なおさない。 「なぜか」は言葉には到底できそうもない。 今日も生きれた事に感謝。 皆が居る事に感謝。
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