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2004/10/14(木)
やってできなくても、それは成功の架橋
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「やればできる」は魔法の合いことば。 これは2004年度高校野球界の最優秀チーム、済美高校(愛媛)の校歌「光になろう」の一節だ。 夏の全国大会決勝で駒大苫小牧に敗れた済美に対し、最優秀の称号を冠するのはおかしいと思う人がいるかもしれない。 が、春センバツで優勝、夏も準優勝した同校を、年度単位の活躍とゆう点で上回ったチームはひとつもない。 したがって、ヒイキの引き倒しといわれようとも、頑として(…笑)最優秀と呼ぶにふさわしいのは済美なんだ! 金に飽かして築いた野球バカ学園だとか、脳が腐りそうな校歌だとか、つまらん中傷なんて気にするんじゃねえぞ。
さて、体育会系の権化、浦越所長が朝礼で威風堂々の訓示をした。 「私はずっと体育会系で育ってきましたので、こと挨拶については皆さん厳しいと感じているかもしれません」 エーッ!どこが厳しいの?教えてよ。 いってきます、ただいま帰りました、お疲れさまです…これさえ全然いわねえヤツがいるじゃん! 「今月も半ばを迎えて成績が芳しくありませんが、まだまだやればできる!予算達成を信じてがんばりましょう」 誰も聞く耳を持たねえよ(笑)そんな甘いもんじゃないことを知ってんだから。 おまえはここを攻めろとか、これじゃ値段が高すぎるから値引きしろとか、具体的に戦略や作戦を出してくれよ。 それもなしに「やればできる」といくら呪文を唱えたって、できっこねえだろがっ!
浦越所長が「やればできる」と訓示したのは、小泉総理の所信表明演説(12日)に触発されたからだ。 本人がそういったんだから、まちがいない。
では、第161回国会での小泉総理の所信表明演説「結び」より。 「やれば出来る」は魔法の合いことば。 この夏の全国高校野球選手権大会で活躍した高校の校歌の一節です。 自らを信じて努力すれば、明るい未来を切り拓くことができる。 (中略) アテネオリンピックでもパラリンピックでも、日本人選手が多くの種目で素晴らしい活躍を見せ、我々に熱い感動と勇気を与えてくれました。 (中略) ある選手は、「色は銅になってしまったけれど、私の人生の中では金以上の経験です」と笑顔で語りました。 日本の選手ばかりではありません。 ブラジルのデ・リマ選手は、マラソンでトップを走っている最中に、予想もしなかった妨害を受けたにもかかわらず、ひるむことなく笑顔で完走しました。 その何事にも屈しない力強い精神と明るさは、多くの人々に爽やかな感動を与えました。 (中略) いかなる困難があっても、挫けることなく努力する。 失敗しても、次の成功への挑戦と受け止める。 やればできる。 勇気と誇りを持って、日本の明るい未来を築こうではありませんか。
この演説って、どこかなにか変だよなあ…って思うのは、ぼくだけか? 済美高は夏の選手権に限っていえば準優勝で、最後の最後に負けてるわけだし、浜口選手とデ・リマ選手は銅メダルだ。 準優勝と銅メダルをバカにしているわけじゃない。 立派な成績だ。 けれど、溢れるほどのやる気を示すべき所信表明で引き合いに出すのは、やっぱおかしいぞ。 夏の高校野球を語るなら、北の大地から出てきて初の頂点に立った駒大苫小牧をまずは称えるべきでしょ。 済美を愛媛の誇りだと思ってるぼくでさえ、そうゆうふうに思う。 アテネ五輪なら北島、野村、谷の3選手あたりかな。 パ輪(って略すの?)のほうは、絶対に成田選手で決まりだよ〜。
ぼくはこう思うんだ。 やればできる! さあ、これからがんばろうよ! 国民を奮い立たせるような演説をするには、絶対に勝者を引き合いに出すべきだ。 もっとゆうと、小泉総理のように敗者(あえてそうゆうけど)に焦点を当てると、まるで最初から逃げ道を用意しているかのように聞こえちまう。
任期はあと2年あるし、やるだけやってはみるけどさー、もしダメならゴメンね〜。 「やればできる」の心意気でがんばるんだけど、やってもできないことだってあるからね。 もし失敗しても、次の「成功の架橋」だって受け止めてよ。
日本国の総理たる者、未来への決意表明の場で、「やってもできないかもしれないけど…」と自信がないのなら、「やればできる」なんて言葉を使うな!
ぼくが思ってることが、うまく伝わるかなあ…。
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