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2004/10/03(日)
あっ!これがぼくの原風景だ
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ぼくだって、やればできるんだーッ! 今日だけで5日分の日記を書き上げたぞ。 名誉なことでも何でもないけど、とにかく最高記録更新だ。 やっとの思いで入院中の出来事を発表できたから、これでやっと次に進めるような気がする。 でも、「じゃあ、次に何すんだよ?」と聞かれると、かなり困っちまう。 今のぼくには連載モノを書き進めるだけの時間も力もない。 とにかく日記形式でしか書けないんだから、予定ってものがない(…笑) その日の出来事や感じたことなんかを書くしかないんだ。
人間にはそれぞれ原風景とゆうものがあって、ふとしたときにその原風景を思いだし、懐かしさに浸ったり、勇気づけられたりする。 ぼくにとって原風景らしきものはあったけど、具体的にどの景色なのか…わからない。 ぼくは日記を書きながら朝になるのを待ち、少し肌寒かったけど、ベランダに出てみた。 手すりに頬杖をつき、ぼんやりと長い時間じっと海のほうを眺めていた。
波ひとつない紺碧の海、瀬戸内の海に浮かぶ小さな島、ゆっくりと走る小型フェリーと漁船・・・。
「あっ!これがぼくの原風景だ」 ぼくがこの世に生まれてきたことの意味が、今なら少しわかるような気がする。
◇ ◇ ◇ ◇
ぼくが生まれたとき父ちゃんは17歳7ヶ月、母ちゃんは16歳4ヶ月だった。 ふたりとも中学しか出ていない。 「高校中退」じゃなくてホンモノの「中卒」だ。 父ちゃんは漁師(そこそこ資産家)の息子だったが、連れ子だったため継父にイジメ抜かれて育ったらしい。 そのせいで、早くから結婚願望旺盛な少年だった。 母ちゃんの実家は近所でも札付きのお騒がせ極道一家で、ガラの悪いアンちゃんたちの巣屈になっていた。 だから、こちらも家を飛び出したいと願っていた。 それぞれの実家はわりと近所で、300メートルほどしか離れていない。 中学では1年先輩と後輩の間柄だ。
ぼくの両親は何を隠そう、漢字の読み書きができない。 これはホントのことで、自分の名前を書いたり、「一、二、三…」「東西南北」「左右」程度しか書けないし、読めない。 ぼくは小学校低学年の頃から、学校への提出書類なんか、親の名前も全部自分で書いていた。 学業成績なんかは推して知るべし…聞かないでほしい。 ぼくの文章が難しい漢字を多用せず“ひらがな”と“カタカナ”にかなりの部分頼っているのは、この両親の影響によるものだ? それは冗談だけど、ぼくはひらがなが好きだし、変テコリンな漢字はカタカナで書いたほうが圧倒的に読みやすい!
さて、父ちゃんは中学卒業と同時に家業の漁師を手伝っていた。 ハッキリいって男前!美男子とゆうより、“男前”とゆう表現のほうがピッタリくる。 幼な系のぼくとは大ちがいで、父ちゃんは男らしく精悍、芸能人でゆうと高倉健(若い頃の!)タイプに属する? ぼくはこうゆう顔に生まれてきたかったもんだと、今も悔やんでいるほどだ(笑) とにかくカッコよくて運動神経抜群だったから、中学の頃は相当モテたようだ(本人談?)
一方の母ちゃんのほうは、近所の海産物加工場で働いてた。 “かわいい系美人”で、酒井法子タイプに属する! 母ちゃんに好意を寄せる同級生も多かったみたいだけど、極道一家の娘だってことが災いして(?)、残念ながら積極果敢にアタックしてくる男の子はひとりもいなかった。 で、後日、初めて付き合う人が父ちゃんってことになる。 「祐弥くんのお母さんって、若くてチョーきれい!」 と、みんなからいってもらえるから、ぼくは参観日が好きだった。
美形である代わりに極度のパープー! 天は二物を与えず…とゆうけれども、ぼくの両親はあまりにも典型的な例だといえる(…笑)
◇ ◇ ◇ ◇
【ぼくの原風景】 ↓ ↓ ↓
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