【青春交差点】
 
いつもどんなときも。ぼくはぼくらしく。
 
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2004/10/07(木) 命名☆ゆうや
 
サイトを通じて知り合った友だちから、ぼくは「ロンメル将軍」とか「ロンメルさん」と呼ばれる。
それがHNだから当然のことだ。
たまにだけど、ぼくに敵意を持っている相手からは、「やい!ロンメル」などと呼び捨てにされる。
人格攻撃をしかけてくるタチの悪い相手は、わざと実名の「前田」と呼んで恐怖心をあおろうとする。
こう書いてくると、また荒らしの分析かって思うだろうが、そうじゃない。

久しぶりに彼女ができてから、名前で呼ばれることが多くなったなあ…と感じている。
仕事のときも「前田くん」と呼ばれることがほとんどだし、ぼくの場合とくに、本来なら名前で呼んでくれる回数が最も多いはずの親がいないから、よけいにそう感じるのかもしれない。
彼女と会って話しているときに「ゆうやクン」と呼びかけられたり、メールの文中に「ゆうやクン」の文字を見つけると、たったそれだけのことで特別な愛情が込められているような気がしてうれしい。

ぼくは自分の名前が好きになったみたいだ。
では、前は嫌いだったのかとゆうとそうでもない。
「ゆう」の音には優しい響きがあるし、ひらがなの「ゆ」は50音のなかでも一番かわいい文字だと勝手に決め付けていたくらいだから、「ゆうや」って名前が嫌いなはずがない。
最近もっと好きになったってことだ。

ぼくは誰にどうやって名付けられたんだろう・・・。
話は、父ちゃんと母ちゃんが出会ったころにまでさかのぼる。

 ◇ ◇ ◇ ◇

父ちゃんは、母ちゃんが勤める水産物加工の工場に毎日獲れたての魚を届けていた。
そこで、父ちゃんは母ちゃんにひと目惚れ。
なにしろ母ちゃんは、極道一家の末っ子(男5人、女2人の計7人兄弟!)とゆう点を差し引いても、完全無欠に可憐だった(そうだ)。
猛アタックの甲斐あって、交際開始からわずかの間に母ちゃんのお腹には早くも新しい命が宿った。
それがぼくだ。

が、当時父ちゃんは16歳で、母ちゃんはまだ15歳だった。
「ふたりとも若すぎるし、今回は堕ろすか」
本人たちも周囲も実に怠惰な雰囲気で、このままじゃぼくの命は危うかった。

中絶に傾いていた世論を打破し、ぼくの危機を救ってくれたのは、母方のじいちゃんだ。
ある日、父ちゃんを呼びつけて一喝!
「娘の腹におる赤子、おまえはどないするつもりや?アンッ!」
ビビッた父ちゃんは、ヘビににらまれたカエルだ。
もうこうゆうしかない。
「はいっ、産んで育てます」
独裁帝王、極道じいちゃんのお言葉で、ふたりは勢いづき「デキちゃった婚」へと突っ走る。
父ちゃんは血筋の悪い娘との結婚を理由に、実家から勘当された。

こうして1980年2月9日、ぼくは赤十字病院で生まれた。
「祐弥」って名前は極道じいちゃんが、「天のたすけをたいそう浴びる子になりますように」と願いを込めて名付けてくれた。
今になってよ〜く意味を考えてみると、すっかり他力本願じゃねーかよ(…笑)
でも、小学生の頃、先生から「自分の名前の意味を親に聞いてきなさい」といわれ、母ちゃんに聞くと、即座に答えてくれて感激したもんだ。

さて、このじいちゃんは名付け親だけでは飽きたらず、5ヶ月間限定でぼくの父ちゃんになったこともある。
ホンモノの父ちゃんは、ぼくが生まれたときにはまだ18歳未満だったため、婚姻自体が認められなかった。
したがって、ぼくは戸籍上じいちゃんの子どもとして養子縁組されることで、ようやく日本国民となった。
5ヶ月後のその年7月、晴れて戸籍上でもホンモノの父ちゃんの子どもになったんだ!

 ◇ ◇ ◇ ◇

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