【青春交差点】
 
いつもどんなときも。ぼくはぼくらしく。
 
ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2004年11月
前の月 次の月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
最新の絵日記ダイジェスト
2006/05/28 チョー重大なお知らせ
2006/05/27 しまなみ海道5 ―楠の神木―
2006/05/26 しまなみ海道4 ―台海岸―
2006/05/25 しまなみ海道3 ―しあわせの鐘―
2006/05/24 しまなみ海道2 ―多々羅大橋―

直接移動: 20065 4 3 2 1 月  200512 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200412 11 10 9 8 7 6 5 月 

2004/11/16(火) いま確かに生きてることを喜び合おう
 
喘息(ぜんそく)患者のぼくにとっては、嫌な季節がやってきた。
この病気は気圧の変動や気温の上下に左右されるため、季節の変わり目に症状が悪化しやすくなる。
低気圧が近づいてきて雨が降りはじめたり、前日の気温より5℃以上下がったりすると、気道の炎症が悪化し、「喉のイガイガ」や「咳」や「胸苦しさ」など喘息の症状があらわれる。
ちなみに、台風は低気圧の親玉だから、ぼくにとって、その脅威は暴風雨だけにとどまらない。
暴風圏内を脱しても、完全に天気が回復するまで、ぼくの「胸苦しさ」は続くんだ。

今年は2ヶ月前に強烈な喘息発作が起きて、さすがにそのときは1週間ほど入院をしてしまった。
けれども、退院後の経過は順調で、「あれ?危ないかも・・・」と感じることはあっても、発作の恐怖に襲われたことは一度もない。
看護婦の彼女のアドバイス(…とゆうより命令?)も相当に心強くて(…感謝なのだっ)、これから迎える冬も無難に乗りきれるかも・・・。
なんて楽観的に考えてたりしちゃ、やっぱマズいんだろうなあ。
今月に入ってからずいぶん暖かい日が続いていたけど、ここ数日でめっきり寒くなってきて、「胸苦しい」と感じることが増えているのは事実だし、油断はできない。

あっ、そうだ!
ぼくが「胸苦しい」と感じるのは、単なる喘息のせいばっかりじゃなくて、恋病(こいやまい)が原因かもね。
会いたいけど会えないときなんかは特に症状が重くて、彼女のことを思うたびに切なくて、胸キュンどころか、時代劇風にゆうと「心の臓」がギュッとなる感じなんだ。
嗚呼〜ッ、愛しのさやかちゃん♪に看病してもらいてえ〜!
おまえ、どーすんだよ?3日も放置したら、たぶんぼくは危ねえよ。
だけど・・・、今日は昼間っから、「たまには仕事を休んでウチに来いよお!」ってなメールを送ってゴメンな。
ちょっと困らせてやろうと思っただけなんだ。
だから、返事は「バ〜カ」の一言でいいんだよ。

あーあ、また彼女のことを書いちまった(こりゃダメだわ…)。
さあ、気を取り直してっと!

健康な人は、自分が健康であることに気づかない。
病に倒れ床にふせってから、ようやく健康のありがたさを知る。
その反対に、病人は健康がどれだけありがたいものかを知っている。

同様に、お金持ちは貧乏人のつらさや悲しみに気がつかない。
しかし、貧乏すぎる人は、人に与えることの喜びを知らないんだ。

いま中越地震の被災者のもとへ、全国各地から支援物資や義援金が届いている。
不足している物を与えられたり、恵んでもらえたりすれば、それはうれしいことにちがいない。
救ってもらえたとゆう思いは、感謝の気持ちにつながる。
でも、善意を恵む側にも大きな喜びがあるんだ。
もしかすると、その喜びは与えられる側より大きいかもしれない。

そして、その喜びや充実感は、有り余るお金(物)の中から与える人より、ホントは自分にとっても必要なお金(物)を出す人のほうにあると考えたい!
人間は、自分の存在に意味があり価値があることだと、自他ともに認められたとき、最高最大の喜びを感じる。
勘ちがいしないでほしいのは、ぼくが「与える」とか「恵む」とゆう言葉を使ったのは、被災者を見下して、上の立場にある者が下にいる者へ…とゆう意味じゃないってこと。
恵む側も恵まれる側も、「相手と共にいま確かに生きてる」ことを喜び合い、その気持ちを共有できたなら、お互いに打算もないし、卑屈になることもないと思う。

そうゆう感じで善意の輪が広がってゆけば、日本だってまだまだ捨てたもんじゃねえぞ。
近い将来、きっと最高の社会が築けるはずだ。
生きてるってすばらしい!・・・そんな気がする今日このごろ。
 


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.