【青春交差点】
 
いつもどんなときも。ぼくはぼくらしく。
 
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2004/12/30(木) すべてはキミを愛するため
 
遺伝とかDNAとか・・・生物学はさっぱりだけど、ぼくに『生』を与えてくれたのは父ちゃんと母ちゃんだ。
15歳と9ヶ月のときに途中放棄されたけど、なんとか一人で生きてゆけそうな時点(…半人前?)まで育ててくれたのも、父ちゃんと母ちゃんだ。
一緒に暮らしていたときには愛情を注いでもらったと思っているし、貧しい生活の中でそれなりに努力もしてくれたと思う。
ぼくにとっては、これが『親の恩』とゆうものなのか。

しかし、両親はぼくに『生』を与え、成長させてくれたけど、人間にとって最も悲しいことである『死』も与えたことになる。

世の中にはいろんな考え方の人がいる。
「結婚はしたけれど、子どもはほしくない」
こうゆう人だって大勢いる。
もしかすると、こうゆう人たちは自分たちの子どもに生きる喜びを与えるより、やがて死にゆくことへの悲しみを与えることのほうを避けたいのかも知れない。
中には、ただ子どもが嫌いなだけの人だっているだろう。

もっとも、わが子に『死』を与えたくないからといって、みんなが子どもを産まなくなったら、人類はやがて滅びてしまうわけで、人間とゆう生き物から「種を残そう」とする本能がなくならない限り大丈夫だ。
それに、『死』を与えるからとゆう理由で親が嫌いだと言う子も、たぶんいないだろう。

ぼくだって、結婚したら子どもは“ひとりだけ”ほしいと思っているんだ。
人類の子孫を残すとゆうような大それたことじゃない。
お嫁さんに“ぼくと瓜ふたつの男の子”を産んでもらい、ふたりの愛情をいっぱい注いで、周りのみんなから愛される優しい子に育てたい。
それだけのことだ。

ホントのことをゆうと、これまでのぼくは心の片隅で親を恨んでいた。
特に母ちゃんに暴力を振るっていた父ちゃんのほうを恨んでいた。
両親がわが子に与えるマイナス面(?)は、なにも『死』だけじゃない。
生きる悲しさ、苦しさ、つらさ、悔しさ、そしてやり場のない怒り・・・。
ぼくの両親は、普通の親よりはるかに多くの“生きる苦痛”をわが子に与えた。
ぼくは何度も何度も打ちのめされ、たまには逃げ出したりしたこともある。

けれども・・・
いまこうして生きているとゆうことは、逃げて回り道をしながらも、なんとか乗り越えてきたとゆうことだ。

それはなんのため?
すべてはいま・・・そしてこれからも・・・キミを愛するため!
キミのかわいい笑顔を守るため!
そう考えたら、ささやかなぼくの人生だけど、なんか特別な意味があるように思えてくる。

だから・・・
ぼくは生きることの限りない喜びを与えてくれた両親に感謝しよう。
少しだけヒネくれたところがあるけど、比較的(?)素直な人間に育ててくれた両親に感謝したい。
たとえぼくが、一組の男女にとってほんのハズミで生まれてきた、予定外の子であったにせよ・・・。
あの日、あのとき、あの場所で、ぼくがこの世に生まれていなければ、キミと出会うなんてことは絶対になかったんだ。

いまなら言える。
父ちゃんと母ちゃんに「ありがとう」と。

ぼくがこんなふうに前向きになれたのは、キミがそばにいてくれるから・・・。
いつもそばにキミがいて、ぼくだけのために微笑んでくれるからなんだよ。

ぼくのことを好きになってくれて、ホントにありがとう!
 


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