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2004/12/07(火)
記憶の中の母ちゃん
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ゆうべは悪い夢にうなされた。
人生最悪の日・・・1995年11月14日・・・たしか火曜日だったと思う。 ぼくは学校から帰って来て、自分の部屋でヘッドフォンをしてCDを聴いていた。 当時一番の愛聴盤はスピッツのアルバム『ハチミツ』で、このCDを聴いているとき、不意に母ちゃんが部屋に入ってきた。 母ちゃんがノックもせずに部屋に入ってくるのはしょっちゅうのことで慣れっこだったけど、それでも、慌ててヘッドフォンを外した。
「え?」 「ゆうクンに大事な話があるんだよ。音楽消して聞いてくれる?」 「うん」
部屋に入るなり正座した母ちゃんの深刻そうな表情が気になり、急いでCDラジカセの演奏を止め、母ちゃんの前で正座した。 母ちゃんは前の月に32歳になったばかり。 きれいだったけど、いま思えば相当に疲れ果て、やつれた顔だったような気がする。
「学校の成績はどう?」 「イマイチって感じだけど、こんなもんかなあ。でも、たぶん国立大学に行けるから、安心しなよ」 「クラスでイジメられたりはしてない?」 「イジメッ子なんていねえよ」 「彼女とは仲良くしてるの?」 「学校がちがうけど、一緒の電車で帰ったりしてるよ」 「じゃあ、だいたいゆうクンの思い通りにいってるんだね〜」 「うん、まあまあ」
さっきから母ちゃんは、ぼくの顔を痛いぐらいにジッと見つめていた。 悪いことをして怒られているわけじゃないのに、とても目を合わせられなかった。 母ちゃんの顔をもっとよく見ておけばよかったのに・・・。
「ゆうクンの顔、わたしに似てるよね?」 「ああ、たいてい母ちゃん似だって言われる」 「イヤじゃない?」 「どうして?母ちゃんってきれいだから、そう言われるとうれしいよ」 「ホント?」 「うん・・・」
そのとき、突然、母ちゃんがぼくをギュッと抱きしめた。
「一体どうしたんだよ?」 「ゆうクンはわたしの分身・・・」 「ホントにどうしたんだよー?」 「ゴメンね・・・ゆうクン。母ちゃんはもう・・・」
母ちゃんはもう・・・そこから先は言わなくてもわかっていた。 父ちゃんと一緒にいることに、もう耐えきれなくなっていたんだ。 隣の部屋で毎日のように繰り返される夫婦ゲンカを聞きたくなくて、いつしかぼくはヘッドフォンで耳を塞ぐようにして音楽を聴くようになっていた。
「母ちゃん、もう家にいられないの?」 「ゴメンね・・・」
母ちゃんは抱きしめていたぼくの体を離した。 瞳からは大粒の涙がいくつもこぼれ落ちていた。
「ぼくを置いて出てゆくつもりなの?」 「ゆうクン・・・ゴメンね・・・母ちゃんは・・・」 「ぼくは母ちゃんがいないと、生きてゆけないよーッ!」 「・・・・・・」
母ちゃんは嗚咽するばかりで、なにも答えてはくれなかった。 そして、長い長い沈黙のあと、母ちゃんはぼくの手を取ると、やっとのことで重い口を開いた。
「ゆうクン、よ〜く聞いて。たった今から母ちゃんは家を出る」 「勝手なこと言うなよ」 「離婚の話が決まったら、必ず迎えに来てあげる。今はお願いだから許して」 「それってホントなの?」 「ホントだよ。かわいいわが子を手放したりはしない・・・」 「やっぱイヤだっ!母ちゃんと離れて暮らすなんて、そんな生活考えられねえよ」 「いい子だから困らせないで」 「悪い子でもなんでもいいからさー、このまま家にいてくれよっ!」
ぼくは高校生になっても、まだ母ちゃんに朝シャンをしてもらい、ドライヤーで髪を乾かしてもらうほどの甘えん坊だった。 恥ずかしいことに、ひとりではなんにもできなかった。 だから、とりあえずは母ちゃんを引き止めようと、精一杯の努力をした。
が、心の中には、もうひとりのぼくがいた。 自分のせいで母ちゃんを不幸にしてはいけないと、もうひとりのぼくは心の中でそう叫んだ。
結局・・・ぼくは母ちゃんを“家出させる”ことに決めた。 父ちゃんには、学校から帰ってきたとき、既に母ちゃんはいなかったとゆうことにしよう・・・。
母ちゃんにしてもらった最後のひざまくら。 母ちゃんはぼくの頭をずっとなでてくれた。
玄関で見送るとき、母ちゃんはぼくのホッペに両手を当て、顔を近づけて覗きこんだ。 そして、ぼくのホッペを伝い落ちる涙をその手で拭いてくれた。
「しばらく会えないから、よ〜く顔を見せてちょうだいね」 「・・・・・・」 「父ちゃんと仲良くするんだよ。父ちゃんはゆうクンを可愛がってるから大丈夫だと思うけど」 「うん」
母ちゃんが玄関から表に出ると、タクシーが待っていた。
「じゃあ、行くよ」 「母ちゃん、絶対ぼくを迎えに来てよ」 「うん、落ち着いたら電話するから、心配しないでね」 「絶対だよ!」
タクシーが走り出した。
「かあちゃん〜ッ!!」 「ゆうクン、ゲンキでねー!」 「かあちゃん〜ッ!!」
母ちゃんを乗せたタクシーが、とうとう見えなくなった。
「かあちゃん〜ッ!!」
自分の寝言で目を覚ますと、そこにはキミの心配そうな顔が・・・。
「ゆうやクン、大丈夫?お母さんの夢を見たの?」 「うん、びっくりさせてゴメン」
あの日の母ちゃんの淋しそうな顔が、今も忘れられない。
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