【青春交差点】
 
いつもどんなときも。ぼくはぼくらしく。
 
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2004年6月
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2004/06/10(木) 少年時代Part4&13万ヒット!
 
継続は力なり!
今日、皆伝の累計アクセス数が13万を超えた。
何度かやめようと思ったのに、今もって続けているのは、ひとえに読者のみんなの励ましがあったからだ。
さあ次は、めざせ20万ヒット!
今のペースでいけば、来年の3月あたりに20万ヒットに到達することになる。
だけど、そんな先のことは考えないことにする。
一日一日を大事にしていこう。

≪続き≫

こうして、ぼくのグラブは半ば大沢のものになった。
「ハゲ山球場」での試合中、ぼくが使うことは一度もなかった。
それどころか、大沢は「明日はクラスマッチでソフトボールがあるから」とか、「体育の授業でつかうから」などと理由をつけてはぼくのグラブを自宅へ持ち帰り、いつの間にか“我がモノ”にしていた。
今考えれば、既成事実を積み上げ、グラブの所有権を強引に認めさせようとしていたフシがある。
これは、中国が尖閣諸島を日本から奪おうとしているのと、基本的には同じやり方だ。

けれども、ぼくは、何とか取り返さなければいけないと思いながらも、自分ひとりではどうすることもできなかった。
そこで、ある日の夕方、母親にありのままを打ち明けた。
母親はぼくを16歳のときに産んだから、ぼくが小4(9歳)当時は25歳!
相当なヤンママだった。
ヤンママは驚いた様子だったが、予想以上に素早い行動にでた。
その夜、ぼくを連れて大沢の家に怒鳴り込んだのだ。
「あんたとこの子が、ウチの子の“グローブ”取ったゆうじゃないか。今すぐ返してや」

親同士ケンカになるのではないかという心配は取り越し苦労だった。
もともと相手が一方的に悪いのだから、大沢の親には反論の余地がなかった。
すぐに大沢本人がグラブを持ってあらわれた。
「ほかにもいろいろ聞いとるけど、今度ウチの子をイジメたら、こらえたもんじゃないで!」
ヤンママが小気味よくクギを刺した。
すると、大沢はいかにも無念そうな顔で、ぼくに向かい頭を下げた。
「ゴメンなさい。もう二度としません」

ヤンママが普段から一人っ子のぼくを溺愛していることはわかっていた。
が、こういう強さを持っているとは知らなかったわけで、お子ちゃまだったぼくにとっては十分に衝撃的だった。
後で「ヤンママの威を借るチビ」といわれることは確実だったが、ただ単純にうれしかった。

≪続く≫
 


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