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2004/06/13(日)
今さら「自己責任論」
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今日は雲ひとつない快晴だが、気温はあまり上がらなかった。 吹く風もさわやかで、まるで秋を思わせるような一日だった。 窓から見える海はおだやかで、小さな漁船が立てる白波以外に波頭は見当たらない。
しかし、ぼくは今日の休日も、部屋の外へ出かけることは一度もなかった。 かといって、それが苦痛ではなく、気にしているわけでもない。 眠くなれば寝て、起きていればパソコンに向かって文章を書き綴る。 もしぼくがサイトの運営をしていなければ、更新のために費やしているけっこうな時間をどうやってすごすのだろうか。 たぶん読書ということになるのだろう。
昨夜から今日にかけて『イラクの中心で?アカをさけぶ』の続きを書いていた。 今さら…という気がしないでもないが、この春大流行した「自己責任」の意味について、明快な答えが出せたのでここに書いておこう。
イラク事件の人質に対して、国民から「自己責任」という言葉が突きつけられた。 このとき、人質擁護派は「自己責任=救出に要した費用の自己負担」、あるいは「邦人救出義務の放棄を認めるつもりか」と考え、強い拒否反応を示した。 けれども、それは論点のすりかえだ。 自己責任論者の一人としていうのだが、お金のことで自己責任をとれといったわけじゃない。 政府に無許可で勝手に危険地域に入った者については、見棄てたらいいということでもない。
日本政府が「行くな」といっている場所へ自分の意思で行ったのだから、たとえそこで危険な目に遭ったり、命を落とすような結果になったりしても、そのことを「日本のせいにするな」ということだ。 日本国内にいながら本人が望まないところへ無理やり連れて行かれた「北朝鮮による拉致被害者」とは根本的にちがうのだ。 だから、両者を一緒にして考えてはいけない。
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