|
2004/06/24(木)
テレフォン人生相談
|
|
|
昼過ぎから雨が降り出した。 天気予報によれば、来週火曜日あたりまで晴れの日はなさそうで、やっと梅雨らしい天気になりそうだ。 スーツを着て仕事をしていた頃だと、雨の日は猛烈にイヤだったけど、今はそれほど苦にならない。 濡れても平気な服装でいるからだろう。 どういう格好をしているかというと、昼間はモータースポーツ仕様のハデな「ツナギ服」で、夜は宅急便の制服だ。 どちらも速乾性の素材を使っているから、びしょ濡れになっても、しばらくたてば完全に乾く。
本題に入ろう。 『テレフォン人生相談』という番組を毎日のように聴いている。 といっても、好んで聴いているわけじゃない。 ぼくの軽トラのラジオはFM放送が受信できないから、唯一受信できる民放AM放送にセットしているだけのことだ。
相談内容は…というと。 借金の保証人になり、本人が行方不明になったから、代わりに払わされている。 美容整形をしているから、生まれてくる子どもの顔がどうなるか、非常に怖い。 息子がいるけど、自分の子どもではないと疑っている。 配偶者が不倫をしている。 子どもが不登校、あるいは仕事に行かなくなった。 などなど…聴取者からいろんな悩みの相談がある。
録音番組だから、回答者の弁護士や専門家は、あらかじめ質問内容を知っていて、時間内にアドバイスをする。 だが、質問のなかには、たとえば「結婚したけれども、昔の恋人が忘れられないのです。どうしたらいいでしょう」といった質問もある。 回答者としては、社会道徳上「早く忘れなさい」というしかない。 案の定、相談者は「やっぱりそうですよね」と答える。
こんなふうに最初から答えがわかっているのに、それでも質問をしてくる人がけっこういる。 それは、相談者が自分の体験や悩みを聞いてもらいたいからだ。 回答を期待しているわけじゃない。 自分が語ることこそが目的なのだ。 だから、人生相談の場合、そういう場を提供することに意義があるといえる。
もちろん、相談者が自分なりに出している答えを確認したいとか、専門家の言葉からヒントを得たいという気持ちはあるだろう。 しかし、「とにかく聞いてもらいたい」という気持ちがわかっていない回答者は、チンケな道徳論を振りかざす。 相談者の言葉をさえぎってまで演説しまくるから、相談者が欲求不満ぎみのまま終わってしまうこともある。
あくまで一般的に…だが、悩みを打ち明けてくる人に対しては、こんこんと説教をするよりも、話したいことを全部聞いてあげることのほうが大事なのだ。 そんな気がする。
|
|
|