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2004/07/07(水)
朱に交われば赤くなる
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「朱に交われば赤くなる」とゆう諺で、赤くなるのは体じゃない。 そんなことになったら、キモいどころの騒ぎじゃなくなる。 人間の心や魂の部分が赤くなるんだ。 ここにこそ、この諺の意味がある。
要するに、「人間は環境や教育によってつくられてゆく」とゆうことだ。 誰と付き合うか、どんな考え方、モノの見方を身に着けるか、どんな生き方をするかなどによって、気品とか器量、志の高さ(低さ)、言動なんかが決まってくる。
ぼくは仕事柄、いろんな会社に配達に行く。 『社風』とゆうものは目に見えないが、その会社に勤めている社員の心や魂にあらわれる。 わかりやすい例が挨拶で、工場で働く若手社員がキチンと挨拶をしてくれる会社は、事務所の雰囲気も明るく親しみやすい。 逆に、こちらがゲンキよく「まいど」と挨拶しても、見向きもしない若手社員がいる会社は、事務所の空気も暗くよどんでいる。 仕入先、しかも配送を請け負う下請け業者になど挨拶する必要はない、とゆう考え方が末端にまで行き届いているんだろう。 長い年月を経て、朱に交わって赤くなった社員ばかりになったとゆうことで、これが社風なんだ。
体の汚染に比べると、心が受ける汚染を判定することは難しい。 それは、時代背景とか場所(会社や学校など)とかによって、人間の考え方がちがっているからだ。 けれども、「心の汚染」とは何かとゆうことが考えられる人間は、瞳がキラキラしているし、いい顔つきをしているのは確かだと思う。
そして、ぼくはそうゆう人間でありたい。 ただし、正確にはどこの団体にも所属してないんだけど…。
◇ ◇ ◇ ◇
昨日から、ぼくが通っている宅急便センターに、待望の傭車が3台入ってきた。 が、初日と2日目の働きは期待ハズレもいいとこで、ぼくは彼らの尻拭いでテンテコ舞いの状態だ。 コースに慣れないうちは責められないが、それにしても、彼らが丸1日(14時間)かけて配る個数と、ぼくが3時間で配る個数がほぼ同じ。 これじゃ、ついグチが出てしまいそう。 でも、いないよりはいてくれたほうが絶対マシで、お盆までは辛抱の期間が続く。 ぼくの体が続けば…の話だけど。
昨日、今日でもうクタクタだ。 何もかも投げ出して休みたーい!
◇ ◇ ◇ ◇
ところで、朱に交わって赤くなるのは自己責任。 周囲のせいにはしないでおこう。 朱に交わっても自分らしさを失わない強い意志を持ち続けたいよね。
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