【青春交差点】
 
いつもどんなときも。ぼくはぼくらしく。
 
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2004/09/15(水) 電番119をコールせよ
 
「ぜんそく発作」とゆうのは、風邪の咳とは比べものにならないほど激しく重苦しい咳が、喘鳴(ゼーゼー、ヒューヒュー、ゴロゴロとゆう音)を伴ない10回から20回以上も連続して起きる症状のこと。
しばらく間をおいて、これが何回も繰り返し起きるから、呼吸困難に陥り命を落とす人もいる。
それなのに、ぼくらぜんそく患者は発作に対し、なす術がない。
嵐が過ぎ去るまでじっと耐える感じだ。
強力な効き目を誇るメプチンエアー(携帯用の気管支拡張吸入剤)を吸い込んでも、発作がはじまってからでは遅い。
予報ってわけじゃないけど、「どうも発作が起きそうだ」と感じたときに吸い込まないと、ほとんど効果がないんだ。

ぜんそく患者にもレベルがあって、軽度の人から重度の人までいろいろ。
ぼくの場合は重度とまではいかなくて、中度の重いほうだと聞いている。
しかし、今年は珍しく体調が良く、激しい発作が起きた覚えもなくて、「おそれるほどじゃなくなった」と油断してた。
毎日の長時間労働と慢性的な睡眠不足で、体力が相当低下していたかも。

時刻が午前3時になろうとしたとき、今年はじめての猛烈なぜんそく発作がぼくを襲った。
1回目の発作がおさまり小康状態になったとき、気休めにしかならないのは承知の上で、ぼくは急いでメプチンエアーを吸い込んだ。
が、とたんに咳き込んで、うまく気管支に送り込めず、逆に2回目の発作を誘発してしまった。

すでに1回目で大きなダメージを受けていたぼくは、とても座椅子に座ってられなくなり、万年床にしている布団の上に移動した。
そして、全身に力を入れやすいよう、四つん這いになった。
間断なく咳き込みながら、それでも必死に息を吸い込もうとするけど、すぐにまた咳き込んでしまう・・・。
新しい空気は肺にまで届かず、苦しさばかりがどんどん増幅されてゆく。
ぼくはうなり声をあげ布団をかきむしりながら、全身の力を振り絞り、とにかく息を吸い込むことだけに集中する。
タイミングがよければ新しい空気で肺が満たされるから、そのときだけはようやく生きた心地がする。
が、それもほんの束の間の安息。

ぼくは全身汗だくで、体力を使い果たしていた。
布団の上にうつ伏せ、顔を左に向けて「逆大の字」になり、気管に刺激を与えないよう鼻だけで小刻みに息をしている状態だった。
そこへ3回目の発作!
ぼくはもう四つん這いになることができず、横向きになってヒザを抱え丸くなるのがやっとだった。
「ああ、このままじゃ死んじまう・・・」
ぼくは死の恐怖に衝き動かされ、ケータイを手にとり「119」をコールした。
そして、名前と住所、症状と掛かり付けの病院を告げた。
「10分以内で行けると思いますので、気を確かに持って!がんばってください」

人間はどんなに苦しくても、「あと10分」経過したら解放されると知ると、希望が湧いてくるもんだ。
ぼくは激しく咳をしながら、なんとか這い這いをしてドアのところへたどり着き、ロックを解除して救急隊員の到着を待った。
当然のことだけど、待ち時間の間も呼吸困難は解消されない。
苦しさのあまり、たった7〜8分の待ち時間が1時間にも感じられた。

と、乱暴にドアが開け放たれ、救急隊員2名がドカドカと部屋に入ってきた。
「歩けますか?」の問いに、ぼくは首を横に振った。
「じゃあ背負いますから、しっかりつかまってください」
屈強そうな隊員がぼくをおんぶし、もう一人の隊員が腰のあたりを押さえてくれた。
しっかりつかまっていなくても全然大丈夫な安心感(楽チン!)。
そのままエレベーターで1階に降り、そこで待っていた担架に乗せられた。
大きなエレベーターじゃないから担架を待たせてたんだ。
さすが手際がいい。
救急車に乗ると、すぐさま酸素マスクが顔に取り付けられ、高濃度な酸素がおいしい!
「助かったあ」
これで安心したぼくは意識が遠くなりかけるが、酸素で発作の咳は止められない。

救急車が向かったのは、以前日記にも書いた「ヤブ医者」のところ。
年齢50歳ぐらいの人で、謙虚さとゆうものが全然なくて、自称「呼吸器科の権威」だそうだ。
赤ちゃんの頃からずっと診てもらっている。
ぼくの性格や生い立ちもすべて知り抜いている、手ごわいオッサンだ。
半分小ばかにしてるふうに書いてるけど、ぼくはこの先生を信頼している。

ところで、通算何回目の入院だろう?
そんな記録はどうでもいいか。
 


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