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2004/09/03(金)
三喜一憂の精神
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ぼくは弱い人間。 うれしい出来事があるとすぐ有頂天になるし、ちょっと悪いことが起きるとすぐに激しく落ち込んじまう…。 そんなとき、「一喜一憂するな」と自分自身を戒めると、プラスの心理効果が得られる。 誰だって外的要因に左右されることなく、人生を平常心で過ごしたいと願っている。 そのこと自体に文句をつけたり、つけられたりする筋合は全くない。
しかしながら、ぼくらの日常が一喜一憂の連続だってことは動かせない事実。 「いま泣いたカラスがもう笑ってる」 これは幼児をはやす言葉だけど、大人になった今も現実はこれと変わらないような気がする。 社会的地位の高い人たち、権威とか大御所といわれる人たちでさえ、その日々は一喜一憂以外のなにものでもないはずだ。
現実社会だろうと、ネット上の非現実社会だろうと、何らかの形で他人とのコミュニケーションを取る以上、好き嫌いの感情が生まれてくるし、感謝や非難の気持ちも沸きあがってきて当然なんだ。 だから、一喜一憂しないことが強い人間の証しだとはいえないと思う。 ぼくらの人生、一喜一憂を除いたら何も残らない…。
ただ、何事にも限度がある。 以前のぼくのように、他人から浴びせられる批判や中傷を真剣に受け止めすぎると、自分とゆうものをいとも簡単に見失う。 その結果、急に視野が狭くなり、後ろ向きな考察しかできなくなっちまうんだ。 それじゃあ、逆に【ろんめら】のみんなから寄せられる賞賛、激励、いたわり、感謝の言葉に舞い上がりすぎるとどうなるか? 誉められて高い木にのぼるわけだから、これはもう、絶対いい文章を生み出せるに決まってる! ぼくの場合、百利あって一害ぐらいかなあ。 「JARO」に訴えられるかもね(笑)。
こんなふうに考えを進めると、この人生「三喜一憂の精神」で歩いてゆけたら、けっこう楽しいんじゃないか。 「百喜一憂」「十喜一憂」でもいいんだけど、人間は横着な生き物であるがゆえ、あまりにもうれしいことばかりだとうれしさの度合が低くなる。 だから、ぼくは高望みせず、「三喜一憂」で歩いてゆこうと思う。
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今日も体調がよく、仕事も絶好調! 「息を吸える♪息を吐ける♪やんなるぐらい健康だ」 これは2001年夏にヒットした曲、はっぱ隊の「YATTA!」の歌詞のワンフレーズ。 ひょっとして、これは不治の病と戦うぜんそく患者の応援歌じゃねーか?
ところで、今夜は【不在女王】宛ての荷物はなかったけど、アパートの前を通ったときに昨日のことを思い出した。 当分忘れられない出来事になりそう。
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