【青春交差点】
 
いつもどんなときも。ぼくはぼくらしく。
 
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2004/09/04(土) 不幸なぼくの幸福論
 
日歯連1億円小切手問題で、自民党最大派閥の橋本派が音を立てて崩壊した。
ボスが突然失脚し跡目を継ぐ者もいないとなれば、かつての主流派も他派閥の草刈り場と化す。
田中角栄元首相(真紀子の父)以来あれほどの栄華を誇った日々も、今は夢か幻・・・。
橋本派議員は、さぞ肩身の狭い思いをかみしめていることだろう。

とゆうことで、つまらない政治談義はおしまい。
今宵は「幸福」についてマジで考えてみようじゃないか!
なんかポルノの唄みてーだ(笑)。

いつも新幹線のグリーン車を利用している人と、指定席を利用している人とが、同じ指定席車両で旅をした場合に感じる窮屈さには大きな差がある。
ビジネスマン時代のぼくは出張のとき、会社の経費でこっそりとグリーン車に乗ったことが何度もあって、その快適さを知っている(エッヘン!)。
てゆうか、飛行機のほうがわかりやすいか?
ビジネスクラスを利用している人がたまたまエコノミーシートに座ると、その窮屈さたるや、とても我慢できないとゆう。
でも、エコノミーしか座ったことがない人にとっては、それが当たり前の窮屈さなんだ。

こうゆうふうに「いい思い」を基準にしたら、誰だって不平不満を口にする。
嘆きの声の音量が大きくもなる。
「過去の栄光」を基準に考えると、実はたいしたことのない「現在の不幸」がことさら大きく増幅されちまう・・・。

ある日突然、電気やガスが使えなくなったらどうする?
ロウソクの灯りで本が読めるか?
風呂に入るときに薪を焚けるか?
また、なんかの原因でケータイが一切使えなくなったとしたら。
今さらポケベルに戻れるか?
真っ昼間、サウナ状態の公衆電話ボックスに感謝の気持ちで入れるか?
もしケータイがなくなれば、【ろんめら】の日記を電車のなかで読むことなんかできなくなる。
キミとぼくを結ぶ心の糸が途切れるばかりか、日本の良識が崩壊するぞお!
とてもマトモじゃいられねーよ(ゴーマン!)。

「こんなん当たり前じゃん」と思ってることが失われるときに引き起こされる不幸ほど、衝撃的なものはない。
人間には免疫力とか環境順応力が備わっているけど、予想もしなかったことがある日突然起きたときには無力で、哀れとしかいいようがない。

以上の考察から、結論を導きだしてみよう。
「幸福」とは気にとめてもいなかったことのなかにあるもので、それを失う不幸な現実と引き換えに気づかされるもの。
そうゆうことだとぼくは思う。

ぼくはホントに貧しい家庭に生まれ育ち、その家庭さえあっけなく崩壊した。
世界で一番不幸だとはいえないけれども、「世間一般」じゃないことぐらいはわかってる。
ちょっと強引だけど、ぼくにとっては貧しいことが「普通」であり、少年の頃からひとりで生きてゆくこともあえて「普通」として受け入れ成長してきた。
だから、昨日書いた『三喜一憂の精神』なんてわりと簡単なこと。
偉そうに感じる人もいるだろうけど、世間一般の人たちと比べると「幸福」とか「喜び」のレベルが低いんだから、達成するのが簡単なだけなんだよ。

幸福であり続けることは、実は不幸なことなのかもしれない。
ほかの人から見れば幸福な状態であるにちがいないとゆうのに、本人がそうであることにずっと気づかないでいるとしたら、これほど不幸なことはない。
う〜ん、むずかしいねー。
 


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