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2004/09/05(日)
自己実現への道
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6月21日付の日記に、ぼくは「生きるとは自分が持っている可能性を形にすること(自己実現)」と書いている。 ろんめら51号[nino]くんが最高傑作だって称賛してくれたよなー。 さらに、その翌日の日記には、「人にも職業にも貴賎なし」と書いてる! この時期けっこう「生きるとゆうこと」についてマジで考えてたんだ(笑)。 そういえば、ろんめら仲間掲示板の「自殺スレ」が盛り上がってたころだ。 あのときの[アネム]さんと[流]さんは、今ごろどうしてるんだろ? ゲンキに生きてるなら近況報告してよ!
一昨日から『第3次荒らし事件』が勃発。 傷心のぼく(?)を見舞って“援メル”がたくさん届いた。 「ぼくはやりたくもない仕事をしていて将来の夢もないから、ロンメルさんの生き方が眩しいっ。負けないで!」 ぼくのところに届く援メルの大半はこんな感じだ。 眩しいとか尊敬してるなんていわれた日にゃ、もう無条件幸福! 「あんがとぉ」といって、うれしメールを受信してくれたパソコンを抱きしめたいほどだ。
が、冷静に考えると、ぼくの生き方なんてどこも眩しくないってことに気づく。 自分じゃ当たり前のことをやってるだけだから。 ただ、みんなとちがうのは、仕事に対する考え方だけだと思う。 それも大それたものじゃなくて、気の持ちよう程度のことかもしれない。 そこで、今日もう一度、職業(=仕事)についてぼくの考えをまとめておこう。
人間は生きてゆくために「職業」を持たなければならない。 「職業」とは、「生計を維持するために人が日常従事する仕事」のこと(From大辞泉)。 ゆうまでもなく仕事は社会的な活動で、世間からの評価を一番受ける部分だ。 でも、ほとんどの人にとって世間とは会社のこと。 会社のほうではその点を心得ていて、社員をどんどん洗脳してゆく。 「仕事できねーヤツは私生活も全てにおいてダメ人間」ってことでレッテルを貼ろうとするんだ。 すると、ぼくらは人間の価値や生き甲斐とゆうものを仕事だけで考えてしまうようになる。 「オレって仕事できねーから」と卑屈になりすぎて、仕事以外のことでも自信を喪失する人もいる。
そんなんで楽しいか? 「生きる」とゆうことは「キミが持っている可能性を形にすること」なんだよ。 キミの可能性を形にできることって、仕事だけじゃないよね。 たしかに仕事はキミの可能性の一部を実現できるけど、全部じゃない。 それなのに、仕事とゆう一部分に対する評価を全人格の評価だと思い込むから自分を見失っちまう。 しかも、自分がホントにやりたいことを仕事にできる人なんて、メッタにいないのが現実だとゆうのに・・・。 だから、仕事のために自分がやりたいことを捨てちまうのはもったいないことだし、そんなんじゃ自己実現なんかできっこねーよ。 自己実現への道は、仕事とはちがう方向に伸びていると考えるべきだと思う。
では、偉そうに書き進めているぼくはどうなのか?
何度も書いてるとおり、ぼくは朝8時から夜10時過ぎまで配達のバイトを掛け持ちしている。 昼間はタイヤの配送、夜間は宅急便。 このふたつは、ぼくが生計を立てるために日常従事している仕事だ。 どうゆう評価をされているのかとゆうと・・・。 宅急便の会社では、センターで唯一の夜配要因とゆうことで「君こそスターだ」扱いをしてくれている。 仕事内容の評価も高い。 タイヤディーラーのほうでも、仕事の速さとか正確さについては信頼されている。 が、態度が生意気だとか、残業を一切しないとか、付き合いが悪いとか、いろんな陰口を叩かれてる。 「そこそこ評価されてるからまあいっか」と思いたいけど、配達の仕事によって自分の可能性を形にしているわけじゃない。 だから、評価の良し悪しは気にしない。
今のぼくにとって、自己実現とは? 「青少年向けにメッセージや情報を発信して、ひとりでも多くの人を勇気づけること」 これしかない! ぼくの可能性や個性を文章とゆう形にして、多くの人たちに伝えてゆく。 そして、大きな夢に向けて前進し続けるんだ。 前にも書いたけど、ぼくはロンメル将軍を続けることができれば、職業欄なんてどうでもいいと考えている。 たぶん、これがみんなとちがうところじゃないかなあ。
仕事と自己実現の道がズレてたって、全然構わないんだ。 もっと気楽に生きようよっ!
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