【青春交差点】
 
いつもどんなときも。ぼくはぼくらしく。
 
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2005/01/14(金) 遥かなるジイちゃん≪前編≫
 
ぼくの名付け親であるジイちゃん(母方)については、2004年10月7日付の日記【命名☆ゆうや】で書いた。
http://diary1.fc2.com/cgi-sys/ed.cgi/rommel/?Y=2004&M=10&D=7

昨日後頭部を打ったことで(そうゆうわけでもないが、そうゆうことにしておこう?)、ジイちゃんについて思い出したことがあるから、忘れないうちに書き留めておこうと思う。

1922(大正11)年、ジイちゃんは四国山脈の中央にある人口約3千人の山村に生まれた。
細々と林業を営む家の次男坊だった。
農林業以外に産業がなくて、毎年50〜60人ずつ人口が減っている過疎の村。
でも、樹齢500年といわれるひょうたん桜≠ニ2万5千本のシバザクラ≠ェわりと有名で、平家の落人伝説がいまに伝わるロマン溢れる村でもある。
平家の落人伝説なら四国にある山村のどこでも聞ける話だけど・・・いちおう書いておく(…笑)

ジイちゃんは中学在学中から林業の手伝いをしていたとゆうが、幼い頃から極道の素質があって(?)あまり仕事が好きじゃなかったようだ。
でも、恋愛は早熟で、18歳のときには既に結婚して長男がいたとゆうから、ぼくのかあちゃんが16歳で結婚・出産したのも家系なのか・・・。
ちなみに、バアちゃん(ジイちゃんのお嫁さん)は同じ村の幼なじみ(同級生)だ。

ジイちゃんが19歳のとき、大東亜戦争が勃発!
もちろんジイちゃんも健康な男子として徴兵されたが、運よく激戦地に派遣されなかったおかげで、それほど危険な目に遭わず無事生還を果たした。
終戦時には、まだ余裕で(?)日本領だったスマトラ島(インドネシア)にいたらしい。
楽園の島ですっかり海の魅力にとりつかれた山の子<Wイちゃんは、23歳で復員するとすぐに家を飛び出し、海辺の村へと引っ越した。
そこでバアちゃんと息子2人の4人家族で、漁師としての新生活を始めた。
戦争中なのに子どもが増えているのは不思議な気もするけど、兵隊さんにもちゃんとオフがあり日本で過ごす期間もあったとゆうことだ。

ぼくが極道ジイちゃん≠ニ書くのは、読んで字のごとく…極道をしていたからだ。
漁師に飽きたジイちゃんは、某指定マル暴系の支流の支流で、小さな組≠やっていた。
ぼくが中学生になる少し前、どうゆういきさつでそうなったかは聞かされてないが、突然組を解散し、極道からスッパリと足を洗ったことになっている(?)

ジイちゃんとバアちゃんには7人(男5人、女2人)の子どもがいて、ぼくのかあちゃんはその末っ子だ。
かあちゃんはジイちゃんが42歳のときに授かった子どもで、孫(長男と次男の子ども)よりも遅く生まれた。
そのせいで、かあちゃんは目の中に入れても痛くないほどかわいがられた。
そして、ぼくが生まれてからは、その溺愛の対象がかあちゃん似≠セったぼくに移った。
「ゆう坊ほどかわいいもんは、この世にない。かあちゃんと瓜ふたつや」
それが口ぐせで、赤ん坊のぼくはいつもジイちゃんに抱っこされていた。

平和な田舎極道、しかも親分であれば、これほどヒマ人はいない(たぶん!)
保育園の送り迎えも、ジイちゃんの大事な日課だった。
ぼくは、いつも一緒にいてくれて、さらに無償の愛を注いでくれる…そんなジイちゃんが大好きだった。

≪続く≫
 


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