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2005/03/06(日)
黒岩物語 ―坊っちゃんとジイちゃんと四十島― ≪前編≫
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あなたが一番好きな小説は何ですか? そう聞かれたら、ぼくは即座にこう答える。 夏目漱石の『坊っちゃん』です・・・と。
ちなみに、二番は井上靖の『しろばんば』なのだが、それについてはまたいつかとゆうことで。
小説『坊っちゃん』は1906(明治39)年4月に書かれた。 日露戦争(1904〜05年)の直後だ。 清国、ロシアの両大国を連破した大日本帝国が、歴史上最もゲンキ!ゲンキ!だった時代。 そして、イギリスの影響は受けていたけど、今のようにアメリカ文化の無節操で下品な部分に毒されていない時代だ。 もっとゆうと、日本が最も日本らしかった時代・・・と言える(…くどいか?)
日本文学史に永遠の名を刻む『坊っちゃん』は、次のこの一文で始まる。
親譲りの無鉄砲で子どものときから損ばかりしている。
ぼくが生きてきた四半世紀を考えると・・・ 親譲りじゃないマジメさで子どものときから損ばかりしている。 ・・・となるのだろうか?
『坊っちゃん』の良さは、ひと言でゆうとケタ外れの素朴さ≠ノある。 江戸っ子の坊っちゃんが愛媛松山で過ごした、たった1年間だけの青春の日々。 主人公の坊っちゃんは、旧制松山中学(現在の愛媛県立松山東高校)で教師をしていた。 そして、マドンナに淡い恋心を寄せながら、狸、赤シャツ、山嵐、野だいこ、うらなりなど、どこか憎めない同僚教師たちと、かざり気のないドラマを繰り広げてゆく・・・。
文学少年だったぼくは、中坊のときに『坊っちゃん』を読み、高校教師を志した。 不器用な正義感を振りかざす坊っちゃんの生き方に共感し、こうゆう人間になりたいと思ったものだ。 ぼくに大きな影響を与えた小説であり、ずっと愛し続けたい名作である。
どうでもいいことだが、ぼくはジイちゃんからずっとゆう坊≠ニ呼ばれていて、坊っちゃんとゆう言葉の響き自体が好きでもある(…蛇足でした!)
しかし、漱石はこの『坊っちゃん』の中で、松山を田舎扱いして徹底的にバカにしている。 漱石が住んでいた明治28年当時も今も、松山市は四国ではナンバーワンの都市だ。 いくら相手が江戸っ子であっても、そう簡単にバカにしてよいほどの田舎ではないはず。 ホントに松山が嫌いだったのか? それとも、あえてシニカルに描くことにより、ウケを狙ったのか? 漱石の意図がぼくにはずっとわからなかった。
≪続く≫
◆黒岩物語≪後編≫ http://diary1.fc2.com/cgi-sys/ed.cgi/rommel/?Y=2005&M=3&D=7
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