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2005/04/30(土)
もっとゆっくり生きようよ!―JR列車事故に思う―
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25日、兵庫県尼崎市で起きたJR西日本の列車脱線事故の報道が、連日続いている。 ぼくはテレビをほとんど見ない人だから、たぶんみんなのほうが事故について詳しく知っていると思う。 ジャーナリストでもないぼくが、事故の経過や原因をいちいち解説する必要もないだろう。
不謹慎かも知れないが、ぼくはこの事故を思うとき、数年前に行ったアメリカへの旅を思い出す。 そのときには、世界一の文明国を自認するアメリカで、飛行機のエンジントラブルを理由に、デトロイト空港でなんと5時間待ちを余儀なくされた。 さらに、ジョン・F・ケネディ空港では、乗客の荷物の積み込み作業が遅れているからと言って、出発前の飛行機の中で1時間以上も待ちぼうけを食わされた。 窓からぼくが見ている前で、作業員が汗だくになりながら、でっかいスーツケースを乱暴に投げ込んでいるのが見えたものだ。 これだから、海外旅行に持って行ったスーツケースがへこんだり、キャスター部分がネジ曲がってしまうわけだ。
しかし、これは何も特別な出来事じゃない。 また、アメリカに限ったことでもない。 海外を旅した多くの人が、待たされた時間の長短にかかわらず経験していることなのだ。 それに比べて、日本国内の飛行機や鉄道の運行時刻の正確さは、見事とゆうしかない。 たまに定刻から30分も遅れようものなら、すぐさま「ダイヤに乱れが出ました」と、全国ニュースになるほどだ。
日本人は世界的に見ても、時間とゆうものに対し非常に正確な民族なのだ。 堂々と世界一だと胸を張ってもいいのではないか?
◇ ◇ ◇ ◇
そこで、今回の列車事故。 23歳の運転士は、制限速度70qをはるかに超える100q以上のスピードでカーブに侵入し、大惨事を引き起こしてしまった。 事故直前のオーバーランをもみ消し、定時運行との遅れを過少申告するため・・・。 若い運転士は、事が発覚したとき会社から課せられる懲罰を、よほど怖れていたのだろう。
彼には「何百人もの生命を預かる者としての自覚が足りなかった」とゆう人がいるかも知れない。 ぼくはそうは思わないが、仮にそうだったとしても、誰だって自分の命は大切なのだ。 が、それでも彼は、命の危険を顧みず突進して行った。 ミスの帳尻を合わせるため、そして、それは会社に対していい顔≠するため。
会社は定時安全♂^行の結果だけしか見ないから、傷まみれのいい顔≠ノ気づかない。 現場の運転士の苦悩など知らない。 知ったとしても、定時安全運行とゆう錦の御旗を振りかざし、その旗の下に集結できない者には「雇用の確保を保証できないおそれがある」と告げれば、強引にでも納得させることができる。
その結果、継ぎはぎだらけの旗を信用して乗りこんでいた107人もの尊い生命を奪い、460人を傷つけてしまった。
車両の強度が弱かったとか、事故があったカーブ手前にATSを設置していれば自動でブレーキがかかったとか、設備上の問題点も指摘されている。 けれども、ぼくはこの事故をそうゆうふうに考えている。
◇ ◇ ◇ ◇
ぼくは運転士を擁護するつもりはない。 事故を起こした当事者として、非難されるのは当然のことだ。 でも、「バカだ」「アホだ」と罵るつもりもない。 それは、責任の重さが全然ちがうけど、運送・輸送の仕事に携わる者として、同年代の運転士の焦りが少しはわかるからだ。
宅急便の仕事をしていて、時間指定の荷物をたくさん抱え、時間内に届けることが到底不可能になったとき。 携帯している端末に「ウソのデータを入力しようかな」とゆう誘惑に負けそうになる。 時間内に行けない荷物を、とりあえず全て「不在」と入力するのだ。 こうしておけば、ぼくは時間内に受取人の家に一度行ったことになり、責任を果たしたことになる。 配達完了ができなかったのは受取人の都合とゆうことで、本来こちら側にある指定時間不履行の責任を回避することができる。 会社が見るデータ上では、そうゆうことになるのだ。
そんなとき、ぼくは「まっすぐに行こう!正直にやろう!」と自分に言い聞かせる。 指定時間不履行率が高くなり、会社からの評価は下がるが、能力が足りないのだから仕方ない。 正確に安全に荷物を届ける・・・それこそが運送業者として第一の使命なのだ。 お客さんから「遅いじゃねーか!」と罵倒されたら、ひたすら謝るのみ。 償いとして命まで差し出せとゆう人はいないのだ。
だから、ぼくはこう叫びたい。
日本人の皆さん・・・もっとゆっくり生きましょうよ!
5分、10分、どうでもいいじゃないですか!
それでも十分、日本人は時間に正確なんですよ!
・・・と、声を大にして叫びたい。
◇ ◇ ◇ ◇
最後に、今回の事故で亡くなられた方々のご冥福と、ケガをされた皆さんの一日も早いご回復を心よりお祈り申し上げます。
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