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2005/04/08(金)
愛情物語2☆ハシタ金
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母ちゃんに電話をしようと思い立ったぼくが、母ちゃんとの悲しい思い出をたどっているところです。
第1話を読んでない人は、こっちを先に読んでくださいねっ!
愛情物語1☆裏切られた思い http://diary1.fc2.com/cgi-sys/ed.cgi/rommel/?Y=2005&M=4&D=7
ではでは、第2話スタートです♪
◇ ◇ ◇ ◇
ある日・・・。 高校卒業後の進路について、電話で話をしていたときのこと。
「いまのままバイトを続けるよ。そのほうが気楽でいいでしょ」 と、ぼくはひどく投げやりな言い方をしてしまった。 心配した母ちゃんが、 「えっ?ゆうくんは大学を卒業したら、学校の先生になるんじゃなかったの?」 と、慌てて聞き返してきた。
「あのね〜、入学金はどーすんの?それに学費だって年間50万円以上かかるんだよ」 「大学って、そんなにお金がかかるの?」 悲しいことに母ちゃんは、そんなことも知らなかった。 「知らねーの?ぼくのバイト代だけじゃ無理なの!無理!」 ぼくは中卒の母ちゃんをバカにするように言った。
「ウチも少しだけど毎月仕送りするから、もう一回考え直したらどう?」 かなり遠慮気味に母ちゃんが言った。 「いくら送ってくれるの?」 「うーん、毎月3千円か5千円ぐらいなら何とか・・・」 これを聞いて、ぼくは呆れてしまった。
ちょうどこの頃のぼくは、ハードな毎日を送っていた。 早朝は新聞配達をして、昼間はマジメに学校に行き、夕方からはCDショップで深夜まで働いていた。 平日は勉強などそっちのけで、一生懸命に働いても、バイト代は毎月11万円前後。 その中から1DKのぼろアパートの家賃と公共料金を支払い、さらに県立高校の授業料と通学電車の定期代が必要だった。 ぼくの手元に残るお金は、せいぜい3〜4万円。 好きなアーティストのCDやカッコいい服もほしかったし、たまには女の子と映画も観に行きたい。 そうすると、給料日の数日前に食費が乏しくなり、1日にカップラーメン1個だけしか食べない日が続いたりもした。
こんなふうに高校でさえ必死で通っているとゆうのに、これ以上お金のかかる大学だなんて、とんでもない話だった。 まして、親からの援助が期待できない状況にあっては、なおさらのことだ。 奨学金とゆう方法もあったが、昔からぼくは借金がキライで、いまもクレジットカードを1枚も持っていない。
3千円から5千円ぐらいなら毎月仕送りするとゆう母ちゃんを、 「そんなハシタ金じゃ、どーにもなんねーんだよ!」 と、ぼくは鼻で笑った。 「・・・・・・」 母ちゃんは黙っていた。
「もう心配しなくていいから。じゃあ、切るよ」 電話を切ろうとするぼくに向かって、 「ゆうくん、ずいぶん乱暴な話し方するようになったねえ」 母ちゃんが淋しそうにつぶやいた。
ぼくは心の中では申し訳ないと思っていた。 それなのに、とんでもないことを言ってしまった。 「誰のせいでこうなったんだよ!?全部母ちゃんのせいじゃないかっ!」 そうゆうと、ぼくは一方的に電話を切った。
電話を切ったあと、ぼくはまるで子どものように声をあげて泣いた。 ぼくの変わりように驚いて、たぶん母ちゃんも泣いていたのだろう。
このあと、ぼくは母ちゃんと何度も電話で話をしたけど、このとき暴言してしまったことを謝っていない。 何度か謝ろうと思ったけど、ずっと謝れずにいる。 母ちゃんは、このことについては一切触れないままだ。
◇ ◇ ◇ ◇
今日ぼくが母ちゃんに電話をしたのは、さやかとの結婚を報告するためだ。 ついでに、もう何年も前のことだけど、このときのことを謝っておきたい。
そして・・・ 「ぼくを生んでくれてありがとう!」 ・・・とゆう感謝の言葉を伝えたい。
≪続く≫
◇ ◇ ◇ ◇
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何度も夢に出てくる場面です(ToT) まだ読んでいない人はぜひ・・・泣いてやってください。
記憶の中の母ちゃん http://diary1.fc2.com/cgi-sys/ed.cgi/rommel/?Y=2004&M=12&D=7
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