【青春交差点】
 
いつもどんなときも。ぼくはぼくらしく。
 
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2005/06/17(金) 時間旅行4 〓松山市営渡船〓
 
第3話では「がんばっていきまっしょい」のドラマ化について書いたので、【時間旅行】本来の目的である映画のロケ地探訪に戻りましょう。

では、第4話・・・はじまりです!


 ◇ ◇ ◇ ◇


少年時代の思い出の駅、伊予鉄道高浜線港山駅≠ナ電車を降り、150メートルほど南に向かって歩くと、そこに渡し船の船着き場がある。
この渡し船は、三津浜港の港山側と三津浜側をつなぐ、長さ50メートルの貴重な交通路で、正式名称を「松山市営渡船」とゆう。
渡し船なのだから当然そのルートは海上であり、クルマはもちろん人も歩いては通れない。

それなのに・・・驚くなかれ!
渡し船が走るルートは「松山市道2号線高浜道路」の一部なのだっ!

松山市営渡船は映画「がんばっていきまっしょい」の中で、主人公の悦子が自転車でボート部の艇庫に行くシーンで2回登場してくる。
実際にある松山東高の艇庫に行くには、港山駅で下車し、狭い路地を西に200メートルも歩けば簡単に行ける。
だが、映画の中の世界では、この渡し船に乗らなければ艇庫には行けないとゆう設定になっているようだ。

文献を調べてみると、この渡し船の歴史は相当に古いことがわかる。
平安時代末期、源義経を援護して平家討伐に一役買ったと言われている、河野水軍の時代にまでさかのぼる。
河野水軍の居城である湊山城≠ヘ、港山側の小さな山の上にある。
また、すぐ対岸の三津浜には古くから市場があるが、宮前川(三津浜港を河口とする小さな川)を渡るには、1キロほど上流に架けられた橋まで行かなければならなかった。

それならば、新しい橋を架ければよさそうなものだ。
が、船の往来のジャマになるし、もし敵に橋を破壊されでもしたら、水軍の船が数日間は封鎖されてしまうことにもなる。
そこで、伊予水軍の雄、河野一族は新鮮な魚介類を効率よく城まで運ぶため、たった50メートルだけの渡し船を思いつき活用したのではないだろうか。
あくまでぼくの推論だけど・・・。

現在の渡し船は、年中無休で運航されていて、運航時間は午前6時30分から午後8時(10月から3月までは午後7時)まで。
時刻表などはなくて、対岸に人影が見えたら迎えに行く。
しかも無料で(何回でも!)乗船できる。
全国でも非常に珍しい渡船なのだ。

映画の設定には多少無理を感じるけれども、松山市西部に育った者としては、この地区の文化財とも言える渡し船が登場することで、いっそう大きな親しみがわいてくる。
なお、地元じゃない人は、この設定に疑問を持つことはないと思う。


≪続く≫

◆時間旅行5 ―涙の渡し船―
http://diary1.fc2.com/cgi-sys/ed.cgi/rommel/?Y=2005&M=6&D=18

↓第1話から読む?↓
◆時間旅行1 ―がんばっていきまっしょい―
http://diary1.fc2.com/cgi-sys/ed.cgi/rommel/?Y=2005&M=3&D=20


 ◇ ◇ ◇ ◇


[イメージ]画像・・・
松山市営渡船
松山市の旗の横にちゃんと日の丸の国旗も翻ってます!
ケータイは横向きでね♪
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