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2005/06/21(火)
時間旅行7 〓父ちゃんの歩んだ道〓
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ぼくの父ちゃんが歩んだ道を振り返ってみようと思う。
◇ ◇ ◇ ◇
父ちゃんはまだ1歳だった頃、実の父親(ぼくにとっては祖父にあたる人)を交通事故で失った。 2年後、母親(ぼくの祖母)は農家の男性と再婚をした。 弟2人と妹1人が次々に生まれ、父ちゃんは母親にかまってもらえなくなった。 はじめのうち優しかったはずの新しい父親は、手のひらを返すように冷たくなり、父ちゃんは次第に家での居場所を失ってゆく・・・。
小学生だとゆうのに学校を休まされ、ミカン畑で働かされることもたびたびだった。 父親の指図で朝夕のおかずにも差をつけられ、「ぼくもそれが食べたい」とゆうと容赦なくビンタが飛んできた。 野良仕事のあと、好きでもない父親の肩や腰を延々とマッサージさせられ、疲れ果てて「もうええかな?」と聞くと、肋骨にヒビが入るほど蹴られたこともあった。 とにかく、ちょっとでも気に食わないことがあると殴られ、蹴られ、家から叩き出された。 雪がちらつく寒い夜、納屋でひと晩を過ごしたこともあるとゆう。
父ちゃんにとって唯一の楽しみは、父親が農協の会合とかで飲みに出た夜だった。 そのときばかりは、母親や兄弟と同じように食事をして、みんなでテレビを見ることができた。 しかし、父親が飲んだくれて帰ってきたら、またイジメの時間が始まるのだ。 「疫病神!」 「できそこない!」 父親の前に正座をさせられ、大きな声で罵られた。 脚が痛くなってモジモジしていると、思いきり突き飛ばされテーブルの角に頭を打ちつけた。 笑えば笑ったで殴られ、あまりに悔しくて涙を見せると、また殴られた。
父ちゃんが笑顔でいられるのは父親が飲みに出ている間と、学校に行っている間だけ。 ほんのわずかな時間しかなかった。
そして、父ちゃんが小学6年生になった春、父親がでっかい家を建てた。 「おまえだけの部屋もつくってやるけん、ちゃんと仕事を手伝え!」 父ちゃんは父親の言葉を信じて虐待に耐え、一生懸命働き、学校へも行った。
だが、新しい家の引き渡しの日、弟と妹たちはそれぞれの部屋を与えられて喜んでいるとゆうのに、父ちゃんの部屋だけがなかった。 「ぼくの部屋はどこ?」 不安になって聞いた。 「納屋でええやろ!おまえは今晩からあっちで寝ることにせいや」 この言葉に父ちゃんは絶望し、翌日未明、着替えも持たずに家を出た。
30キロ離れた松山市にいる叔母さん(母親の妹)の家を目指したのだ。 国道196号線をまっすぐに走り、旧松山市内に入ったあたりから海沿いの県道を行けば大丈夫。 確かにそうだが、父ちゃんはパトカーの警官に保護されてしまった。
家に連れ戻された父ちゃんだったが、10日ほど経ってから里子に出された。 父ちゃんが頼りとしていた叔母さんが、事情を知って驚き、引き取ってくれることになったのだ。 その叔母さんの家は、偶然にもジイちゃん(…ぼくの母ちゃんの父親)と同じ町内にあった。
それから6年後、父ちゃんと母ちゃんは恋に落ち、すぐにぼくが生まれてきた。
◇ ◇ ◇ ◇
ぼくの父ちゃんは、なぜぼくを可愛がってくれなかったんだろう?
姿形が父ちゃんに似てないからなのか。 親よりもジイちゃんに懐いていたからなのか。 それとも、自分が愛されなかったから、子どもの愛し方がわからなかったのか。
そんなことをぼんやりと考えながら、ぼくは砂浜を歩き、艇庫から梅津寺駅へと向かった。 途中で、15分に1本しか電車が来ないのをいいことに、線路の上を歩いてみた。 分岐点があり、接合点があり・・・それはキミとぼくとの人生のようにも感じる。
ようこそ! 母ちゃんと共に走ってきた軌道から、今度はぼくと一緒に行く旅へ・・・。 ぼくらふたりを乗せた列車は、まっすぐに走ってゆく。 息が切れそうになったら休んで、走れそうになったら、また走り始める。 各駅停車、時刻表のない人生を楽しもうよ!
≪続く≫
◆時間旅行8 ―潮風の駅― http://diary1.fc2.com/cgi-sys/ed.cgi/rommel/?Y=2005&M=6&D=28
↓第1話から読む!↓ ◆時間旅行1 ―がんばっていきまっしょい― http://diary1.fc2.com/cgi-sys/ed.cgi/rommel/?Y=2005&M=3&D=20
◇ ◇ ◇ ◇
[イメージ]画像・・・ 港山駅から梅津寺駅へと続く線路! 出会いと別れを繰り返しながら、ぼくらは大人になってゆく・・・ ケータイは横向きで♪ ↓さーさークリック↓
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