【青春交差点】
 
いつもどんなときも。ぼくはぼくらしく。
 
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2005/08/17(水) 人の姿を見て、自分の心を磨きなさい!
 
よく「人は鏡」といわれます。
ぼくら人間は、自分の心を直接見ることはできません。
そこで、人様の姿を見ることによって、自分自身の心を知ることになります。
「こいつ、好かんヤツやなあ」と感じる態度や言葉で接してくる人やシカトしてくる人は、自分がまさにそうゆう心でその相手やほかの誰かに接していることを映し出した「鏡」だとゆうことです。
とゆうことは、自分の醜い心を指摘してくれる「反面教師」のようなものなのでしょうか。

日々多くの人と接していると、誰だって「はぁ・・・」と感じるときだってあります。
そんなときはとりあえず、タイトルの「人の姿を見て、自分の心を磨きなさい」とゆう言葉を思い起こします。
すると、多少は気が紛れたりもします。
あくまで、多少・・・ですよ。

たしかに、こんなふうに悟りきることができたら、素晴らしいことだと思います。
人生の小道で出会う人たちをすべて大切に思い、もし自分が映し出された鏡が曇っていたなら、拭き清めて自分自身を磨いてゆく。
できる限りそうゆう自分でありたいと願っています。
けれども、これがなかなか・・・。
思うようにはいかないものです。

この2年ほど不特定多数のお客さんを相手にする仕事をやってきて、痛切に感じています。
人間と人間とのふれあいは、常に「1対1」なんだなあと。
ぼくにとってお客さんは、多数のなかの1人です。
でも、お客さんにとってのぼくはたった1人≠ナす。
たとえば、10人中9人のお客さんに高く評価してもらっても、だからといって、残り1人にその評価が通用するかとゆうと、答えは「××」です。
相手から下される評価は多数決なんかじゃなくて、個別の判断による個別のものだから。
もちろん、人それぞれに基準も異なります。

人間関係ってホントに難しいですよね。
特にお金が絡んでくる職場内での人間関係とか、お客さんとの関係とか。
その職場で仕事をしている間は、逃げたくても逃げられないし・・・。
場合によっては、たった1軒のお客さんにソッポを向かれただけで、職場の仲間から「すべてダメなヤツ」とゆうレッテルを貼られたりもします。

ぼくは意思が弱くて、あるひとつの鏡が曇ってしまったとき、それが自分の至らなさだけによるものだと自覚することができません。
自分だけで全部背負い込めるほど、強くはないのです。
だから、鏡が曇ってゆく過程においては、交通事故の示談じゃないけど、割合はともかく双方に過失があるんじゃないかと考えてしまいます。
まして理不尽なことをゆう相手なら、「一方的に向こうが悪い」とさえ思えてきます。

あまり難しく考えないようにしていますが、たまにいやなことがあると、こんなつまらないことを考えてしまいます。
でも、無理をして「もっと強くなりたい」なんてことは思いません。
そんなことを考えると、もっと大きな重圧に耐えなければいけないから。

飾らない心で支えてくれる彼女や友だち、そして職場の仲間に感謝しながら、毎日を自分らしく笑顔で生きてゆきたいものですよね。
たとえ気に食わないヤツが1人や2人いたって、ひび割れた鏡は見ないでおく(…逃げの一手か?)
なんの解決にもならないけど(…笑)

まあ、そんなこんなで、「人の姿を見て、自分の心を磨きなさい!」とゆう教えの意味は頭ではわかるけど、心では納得することができないぼくです。

人と人とのつながりのなかで生きてゆくのは難しいなあ。
なんかほかに心の支えになる言葉はないのかなあ・・・。
そんな気がする今日このごろです。

華麗に人生訓など久しぶりに書いてみようかと思ったら、ビミョーなのが書けました。
よいよいじゃ♪(…笑)

 


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