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2006/01/15(日)
「愛ってなに?」
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彼女と仲良く並んで歩く冬の帰り道。 ふと会話が途切れたとき、彼女が聞いてきた。 「ねえねえ、愛ってなに?」 さて、ぼくはどう答えるんだろう?
ぼくだって、曲がりなりにもいくつかの恋愛を経験して今日まで至ったわけです。 が、改めて「愛ってなに?」と考えてみると、これがなかなか・・・困ってしまいます。 で、パッと出てくる答えが「俺とおまえがラブラブな状態だよ」とかだったりします。 トンチンカンも休み休み言いやがれ!・・で・・す・・よ・・ねっ♪ まあ普通に答えれば、「好きな人を愛しいと思う気持ち」ってことなんでしょうけど。
当たり前のことですが、世の中の大多数の人は両想いと片想い、いずれかで恋愛を経験しています。 全ての恋愛経験者に「愛ってなに?」と聞くと、人それぞれの答えが返ってくるでしょう。 「愛とは・・・」で始まる持論って星の数ほどあるんだろうな。 でも、恋愛経験者のうち、果たしてどれくらいの人が「愛とゆうもの」を理解しているんでしょうねぇ? これはもう終わりなき迷宮です。 だって、同じ人でも「ただいま恋愛遊戯中」ってな具合に弾んでいる時期と、「二度と恋なんかするもんか」と沈んでいる時期では答えがちがうはずなんだから・・・。
そこで、ドイツの詩人ゲーテが残したこの言葉が生きてきます。 「経験したことは理解したと思いこんでいる人がたくさんいる」 なるほど〜っ! 天才詩人の言葉とは思えぬほどになんの変哲もない言葉だけど、鋭く当たってますね!
特に愛とか恋とか人生とか・・・正解がないものを熱く語っている人を撃沈するときには、ローレライが発射した真管を抜いた魚雷に近いぐらいの威力を発揮しそうです。 会社とか仲間内の飲み会とかで使えますね、ゲーテの言葉。 酔った勢いで「女なんてさ・・・」とか、「結婚ってさ・・・」などと語り始めるオッサンや先輩に言ってやりましょう♪ 「経験したことは理解したと思いこんでいる人がたくさんいるんですけど、先輩の言葉も参考にします」って。 ホントはケナしているんだけど、言われた相手は誉められたと感じてくれるはずです。 いちおう参考にはするけど、自分なりの考えを形成する段階で役立てるとは言ってないのに。
さて、脱線しながらでもせっかく書き進めてきたから、「愛ってなに?」の問いに対するぼくなりの答えを見つけておこうと思います。 まずは先人の知恵とゆうか、有名な言葉を見ておこうっと。
「愛は惜しみなく与う」・・・いいっすねー!これ。 新約聖書の言葉で、真の愛は自分の持つすべてのものを相手に与えても惜しいものではないとゆう意味です。 かわいく言うと「ぼくのすべてをキミにあげるね」って感じですかねぇ。 好感が持てます。
「愛は惜しみなく奪う」・・・これは好きになれないな。 さっきの新約聖書の言葉をもとに、有島武郎さんが主張した言葉らしいです。 人を愛するということは、相手のすべてを奪って自己のものにしようとすることであるとゆう意味。 なんか欲望むき出しな感じで油ギッシュ全開ですね。 やっぱ好きになれません。
「愛はきっと奪うでも与えるでもなくて、気がつけばそこにあるもの」 これはミスチルの名曲『名もなき詩』の歌詞の一部です。 さすが桜井さん! 聖書も有島武郎も蹴飛ばしてる! 身震いするほどいい言葉だ。
そんなこんなで、考えること49時間?・・・ついにぼくなりの答えが出ました。
かわいく小首をかしげて彼女が言った。 「ゆうやくん、愛ってなに?」 ぼくはまっすぐに彼女の目を見て、照れながら答える。 「キミの笑顔が見たくて、ちょっとがんばれるぼくがいることかな。エヘヘヘン♪」
「愛ってなに?」に対するぼくなりの答え・・・今後十年はこれでいこうと思います。
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