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2006/01/05(木)
人間の値打ち(2)
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その夜も寒かった。 時おり激しい雪が寒風にあおられ、クルマのフロントガラスを激しく叩いた。 ヘッドライトに照らし出された無数の白い結晶の群れを見つめていると、つい吸い込まれそうになり、ぼくは慌ててぼやけた前方のアスファルトに焦点を合わせた。
道路に雪が降り積もっているわけでもないのに、ぼくはクルマがスピンしないよう下半身に力をこめた。 飛行機に乗っていて乱気流で揺れたとき、どうにもなるはずがないのに足腰を踏ん張るような・・・あんな感じだ。 臆病者のぼくは必要以上にのろのろ運転で進んでいたけど、後ろからパッシングするような下品な後続車もなく、狭い生活道路の行く手を阻む対向車もなかった。
不意にケータイがフルボリュームで『Look Back Again』の着うたを奏で、着信を知らせた。 ぼくは道幅が少し広くなっている自動販売機の前に停車して、ケータイを開いた。 電波の向こうにいたのは『高橋ゆり』さんだった。 今の時期は仕事が書き入れ時で、自宅で荷物を受け取るのは時間的に難しいから、できれば職場のほうに持ってきて欲しいとゆうことだった。 ぼくは帽子と耳とに器用に挟んでいるボールペンをさっと取り出し、メモ紙がなかったので配達票の裏を使うことにして、ゆりさんを促した。 「転送ってことですよね?いいっすよ。じゃあ、お勤め先の名前と住所を教えてください」 ゆりさんは答えた。 「岩月町2の9、トロプリ倶楽部です」
えっ?聞き違い? それって・・・もしかしなくてもフーゾク店・・・だったっけ? ぼくはかなりのショックで言葉を失った。 たぶんぼくより何歳かだけ年上で、どう見ても普通のOLにしか見えない・・・あのゆりさんが現役フーゾク嬢だったなんて・・・。 自分勝手に築き上げていたイメージが、砂の城のごとく大きな波にさらわれ一瞬のうちに崩れ去るような気がした。
ぼんやりしていると、受話器の向こうから大きめの声が響いた。 「もしもーし!」 ぼくはゆりさんの声で我に返った。 「あっ、もしもし・・・すいません」 ゆりさんはいつ配達できるのか聞きたいようだった。 転送先の店はぼくのエリアではなく隣のコースだったけど、できれば今夜のうちに配達して欲しそうだったので、ぼく自身がその夜の最終で訪ねてみることにした。
いつの間にか雪はやみ、見上げる夜空にところどころ星が光っていた。 見つめていると目がくらみそうな派手なネオンサインを施した店。 それがゆりさんの職場だった。 配達で行ったことはあるけど、客としてフーゾク店に一度も行ったことがないぼくは、なんの期待もしてないはずなのにドキドキしていた。 異様に明るい駐車場にクルマを停めて荷台から荷物を取り出し、隠れるように店のなかへ入ってゆこうとすると、駐車場係のおじさんから声が飛んできた。 「お兄ちゃん、そっちじゃないよ。左のほうから入って!」 ギクッとゆう感じで立ち止まったぼくは、いま教えてもらった入口と思われるドアを指差して確認した。 「こっちっすか?」 おじさんはうなづいてくれた。 「そうそう。入ってすぐ左手に受付があるから」
こわごわドアをくぐると、まるで別世界だった。 七色のレイザービームと大音響のビートが脳天からぼくを突き刺した。 一瞬にして後悔した。 安請け合いするんじゃなかった。 今夜は無理だと一言いえば、それで済んだのに・・・。
クラクラしそうになりかけたとき、左から女の人の声が聞こえた。 「こちらへどうぞ」 振り向くと、カウンターににこやかな表情の受付嬢がいた。 いわゆる普通のOL風な制服に、なぜか救われたような気がした。 ぼくが近づくと、受付嬢は笑顔を崩さず言った。 「誰宛ての荷物ですか?」 その仕草や表情は、一流とされるホテルのフロントなんかより数倍も親切な雰囲気だった。 ぼくはだんだん落ち着きを取り戻してきた。 「高橋ゆりさんです」
受付嬢は隣に立っていた背の高いマネージャー風な中年男性のほうを見た。 中年男性は首を小さく左右に振った。 それを見て受付嬢が言った。 「さゆりちゃんはただいま接客中ですから、こちらでお預かりしますね」 “ゆり”なのに“さゆり”と勘ちがいしている。 ぼくはそう思い確認した。 「あのー、高橋ゆりさん宛ての荷物なんですけど」 受付嬢はクスッと笑ったあとでこう言った。 「お店では“さゆりちゃん”なんですよ」 ぼくはなんて世間知らずなんだろう。 「あっ!・・で・・す・・よ・・ねっ♪」 いつものエヘヘな笑いでゴマかしたつもりだけど、自分の頭にゲンコツを入れたい気分だった。
本人に会わなくてよかった。 そんなことを考えながら、配達票に受け取りのサインをしてもらい、ぼくは店の外に出た。 「入浴料5千円ポッキリ!さあいらっしゃい」 その声の主はさっきの駐車場係のおじさん・・・いや、呼び込みの人だったんだ。 ぼくは駐車場の端っこに止めたクルマのところまで小走りに駆けてゆき、素早くドアを開け飛び乗った。
職業に貴賎なし。 学校で教えてもらったけど、荷物を届けるとゆう単純作業を職業としている自分自身が、配達先や同級生にバカにされたことが何度かある。 そのたび悔しさを拳で固く握りつぶし、「俺は絶対・・・」と誓ったはず。 でも、ちょっとばかり知っている人がフーゾク嬢だったことを知り、大揺れに揺れている。
人間のホントの値打ちってなんだろう? ぼくにはまだわからない。 いつかわかるときが来るとすれば、それはぼく自身がぼくであることに誇りを持てるときなのかも知れない。
左のサイドミラーに映るネオンの光が申し訳なさそうに流れていった。 光が途切れたとき、ぼくは今夜の気持ちを忘れるんだろう。 何事もなかったように、ヘラヘラ笑いながら生きてゆくんだろう。
けれども、次に『人間の値打ち』を考えるとき、少しでも前進していたい。 だから、こうして日記に書き留めておくんだ。 絶対に無駄なことなんかじゃない!
◇ ◇ ◇ ◇
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◆人間の値打ち(1) http://diary1.fc2.com/cgi-sys/ed.cgi/rommel/?Y=2006&M=1&D=4
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