【青春交差点】
 
いつもどんなときも。ぼくはぼくらしく。
 
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2006/03/11(土) やっと終わった
 
1月から請け負っていた重油タンク解体工事の作業員の仕事が、昨日で終わった。
たった一人でいろんな工事現場を渡り歩く「ピン職人」としてのデビュー戦が終わった。
「ピン芸人」とゆう呼び名はあるけど、「ピン職人」とゆう呼び方ってあるんだろうか?
検索エンジンで調べたら、わずかながら使っている人がいる!
驚きだけど、「やっぱりな」って気がしないでもない。


しっかし・・・。
ハードで、ヘビーで、アクロバチックで、しかも猛烈にアブラギッシュな仕事だった。
約2ヶ月間、泥とホコリと油と水と、そして汗にまみれた。
高所恐怖症が潜伏期間をおかずに発症しそうな作業もあった。
当初9人もいた作業員はクビ、骨折、仮病などで次々とリタイヤ。
最後まで残ったのはたった2人。
これはまるで刺激のないバトルロワイヤルか?
いやいや、作業員同士が消しあったわけじゃない。
サバイバルゲームの様相だったと言ったほうが適当だな。


ぼくが最後まで残ったのはなぜだろう。
ぼくはメンバーの中で一番体力がなさそうに思えた。
手子(てこ)仕事しかできない。
重機のオペレーターが務まるはずもなく、とてもじゃないが職人なんて言えないのに。
でも、ホントは知っている。
ぼくはその理由を知っている。


それは、まず朝夕の挨拶「おはようございます」と「お疲れさまでした」が言えること。
次に、人を見下すようなことを言わないこと。
心で思っても、決して口に出しては言わない。
そして、監督(親方)に命令されたら、とりあえずキビキビっと動いてみること。
上位の者が見ていようと見ていまいと、サボらないこと。
ぼくにできることと言えば、それだけだとわかっている。
だけど、それだけのことができない人が案外多いんだ。
ぼくなんかよりはるかに仕事ができて、ゴマをするのもうまいくせに、そんな簡単なことができない人が多すぎる。


悪口、陰口、罵詈雑言が飛び交った。
お互い聞こえていないつもりだけど、実は聞こえるように・・・。
それでも、面と向かってケンカする者はいなかった。
一見すると平和な現場だった。
不思議なくらいに。
危うい平和を保っていたのはなんだろう?
お互いをバカにしあう毒々しい視線のバランスか。
いつも花咲くエロ話に浮かべるイビツな笑みの輪による効果なのか。
それとも、最低限の金を確保したいとゆう当然の欲望か。
ぼくには最後までわからなかった。
わからないほうがいいと思っている。


見知らぬ世界に足を踏み入れて、ぼくは成長したんだろうか。
特別には意味がなかったような気がする。
ただ人間観察とゆう点においてだけ意味があったような気もする。
だから、ぼくは成長したかも知れない。
ほんの少しだけ。
他の誰かにはわからないかも知れない。
その程度でもかまわない。


とにかく疲れた・・・。
ガチガチに疲れた。
いま思うことと言えばそれだけで十分だ。


深い眠りについたら、夢を見よう。
見知らぬ街をキミと歩いている夢を。

 


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