散歩道
お星さまになったルビーに捧げる
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2005/08/11(木) 何とか〜
5月のGWにタネから植えた朝顔がやっと一輪咲きました。
今年初めての我が家の朝顔です。

5月末から6月にかけてとても寒い日が続いたので、
成長がかなり危ぶまれていたのですが・・・
今月になって何とか蕾らしきものがついてきてかなり期待していたんです〜♪

そして今朝しっかりと咲いてくれました。
この次に続くものは見当たらないのですぅ・・・
しかし、諦めずにまた待っていれば綺麗な花を見せてくれるでしょうね。

2005/08/10(水) 残暑 見舞いです
暦の上で立秋が過ぎると、日本ではこんなご挨拶に変りますね。
最近は、ほとんどハガキを出す習慣が消えてしまいました。
インターネットの普及はこんな形で、日常生活をも変えていくんですね。

ネットのお友達のピーぱぱが海外に出張に行った際に、
飛行機の窓から写された「アラスカ上空」の写真をいただきましたので、
こんな風に挨拶に使わせてもらいました。
(ピーぱぱありがとう〜♪)

ささやきをいつもごらん頂いている方で、若しかしたらお届けできなかった方にも見ていただきたくて、
こちらにペッタンしてしまいました。

夏の疲れが出始める頃です。
特に冷たい食べ物をとりすぎたり、飲みすぎたりした方は胃に負担もかかっていますよ。
そろそろ胃に優しい温かくて消化の良い食べ物に移行するのも良いですね。

来週からお盆休みに入られる方もいらっしゃいますよね。
くれぐれも気をつけられてお休みを楽しんでくださいね。

2005/08/09(火) 星になった少年
久しぶりに映画を見て来ました。
実話を元にしたものでまた、
主演の柳楽優弥は「誰も知らない」で見たのが記憶に新しかった。

実話の方は以前ドキュメントとしてTVで放映されていたようですが、
残念ながらその時は見過ごしていました。
劇場で映画化されたものではどうなのかな?
とも思いましたが実話を知らないままで見たので、
比べることなく自然な感動を味わう事が出来ました。

特に印象的なことを抜粋すると
タイで留学中の体験で「母象と小象との別れ」
胸が苦しくなるほど母像を追う小象の泣き叫びようは、
人間も動物も同じですね。

言葉も分からずただ象と仲良くする為にゾウ使いになりたいと言う夢で来た異国。
象の言葉が伝わっていると信じていたのに自分の無力さに気が付いた時の辛さ。

激しい訓練の最中に象を見失って事故にあったとき小象のファーに助けられた時
初めて象使いになった事に喜びを感じた事も・・・

そして一番の願いは日本での象使いとしての象との関わり方
多くの人に象と仲良くなってもらいたい
日本で沢山の人を慰めてくれる象の老後を安心して暮らせる動物を作りたいという夢

その夢半ばで21歳で帰らぬ人となった哲夢君の意思を弟が受け継いだような
映画での設定があったが、是非そうなって欲しいと願わずにはいられなかった
タイでは母象ファーの子供「テツ」が成長しているように〜

2005/08/08(月) 夢の実現を祈っています
これは今ディスカバリーに乗って宇宙の旅をされている野口さんの言葉です。

朝のTVで野口さんは色んな事を見せてくれました。
折り紙やあやとりをしている所の映像も見られました。
野球選手のサイン入りボールも浮かんでいました。
そして映像ではなかったのですが、この朝の目覚まし音楽はSMAPの
「世界に1つだけの花」だったそうなんですよ。

日本のロケット開発は50年も前に「ペンシルロケット」の発射からです、そしてそれも披露されました。
「大きな夢の実現にはとても時間がかかるけれど、このペンシルロケットも
多くの夢を乗せてやっと宇宙に来ることが出来ました。
みんなの夢が実現できるように祈ります」
とコメントされていました。

多くの人ら支えられての宇宙への飛行を、多くの皆さんにお礼が言いたいそうですが、
こちらこそ沢山の夢の可能性を教えてくれた野口さんに感謝ですね。

帰還が一日延びたそうですが、安全な天候に恵まれて
ご無事に帰還されることを祈りたいと思います。

2005/08/07(日) 甲子園への道
多くの高校球児が目指しているのが甲子園球場ですね。
そのためにかなりの努力・苦労・試練があっての
晴れの出場なのに、直前になっての辞退。

高知の明徳義塾の今回のいきさつはマスコミで知らされたものでしか、
知ることは出来ないが・・・
今、どんな思いで試合を見ているのだろう。

元々この高校は野球にとても力が入ってて、
全国から優れた選手が野球留学しているそうですね。
その子達は全員、合宿所にて寝起きをして通学もし、
練習にも励んでいたそうですが・・・

この狭い集団生活でのトラブルから端を発していた事は間違いないことで、
そして事件を内密にしていた事によって、引き起こされた辞退といっても良いのでしょう。

監督の取った処置での結果と言う報道があった。
そして監督の談話も掲載されていたが、「甲子園への道」の重さと、
そこへ託された責任などもすべてを含めて、監督は本当に苦しかったのではと推測される。

が、それでも尚且つ「正々堂々と〜」と宣誓される高校野球において、
どのようなこともすべて明るみにして、
その処置を公の場での審判を受ける道が良かったのではないかと思えならない。

この夏が最後の試合になったであろう選手達には
とても過酷な夏になってしまったのだから・・・

2005/08/06(土) 毎年この季節にU
昨夜の報道番組で「ヒロシマ」が取り上げられていました。
後半になってアメリカの男性が出演していましたが、ご覧になりましたか?

かれは原爆を作った科学者の1人です。
そしてB−29に乗員して、ヒロシマに投下され後小さな航空機の窓から、
きのこ雲が広がるのを撮影していた人です。

日本で原爆の体験された2人の方と対談されて、罪のない人々に謝罪して欲しいと伝えると、
決して謝罪はしないと言い切りました。
「真珠湾を忘れるな」という言葉を切り出しました。

多くの友人を真珠湾でなくされたと言うことは分かりました。
しかし、そこは戦いの場でもあったはずです。
ヒロシマは戦地に夫や父を送った人々が生活している場であったはずです。

人の命はどんな場であっても奪って良いものではないことを、
今の人々は充分に理解し、謝罪すべき所は謝罪して次の世代へ、
命の尊さ、戦争のむなしさを伝えていくべきはずなのに〜

彼はそして高齢のアメリカ人の心の中には彼と同じ信念が頑なに残っています。

以前、スミソニアンにある博物館の中にある「エノラ・ゲイ(B−29)」の展示を止めて欲しいと言う、
日本の団体の要望は簡単に却下された事がありました。

アメリカの人々が全部こんな考え方とは思いませんが、
今回の彼はヒロシマの記念館で悲惨な資料や展示物を見た直後でも、
その答えは変らなかった事がとても腹立たしかったのは私だけなんだろうか・・・

2005/08/05(金) 毎年この季節に
明日8月6日は広島に原爆が投下された日です。

戦後に生まれた私は、第二次世界大戦の体験はありません。
しかしヒロシマ・ナガサキに投下された原爆の事を
身近に感じた事は多々ありました。

生まれ育った九州の大分には、温泉研究所(通称・温研)
と呼ばれるところがあります。
ここは高校から余り遠くない位置にあったものですから、
治療で訪れる人や、長期入院されている人が、
外出される折などにバスで出会う事が度々あって・・・

外見からして被爆されたと分かる場合もありました。
若い学生に取って、これらの人々は何も言葉を出さずに、
戦争の怖さ・原爆の悲惨さを伝えてくれました。

また学校からボランティア(当時は学生の赤十字活動という名目でした)として、
病院の庭などの清掃活動もあり、皆さんが大変な治療をされている事も垣間見る事もできました。

そして月日が流れ関東に住まいを移し、結婚して出産・育児を済ませた頃の発病した時に、
またまた病院で同じ病気で出会った方が、長崎で幼い頃被爆されていた事を聞き、
とても強いショックを覚えました。

その方は成長段階では、被爆されていた事も覚えていないくらい異常もなく、
健やかに成長されたようです。
しかし、同じように結婚して関東に移り住み、出産・育児も終え
その子供も結婚してヤレヤレという時に発病。

その病の根底に多少なれど被爆されている事が重くのしかかってきて、
発病後一年半の闘病生活で亡くなられました。
彼女がもう少し遅く生まれていたら、また長崎に住んでいなかったら、
私と同じように病から復活できたかもしれない。
その思いが今でも心の片隅にあって消えてはくれません。

戦争はどんな名目であっても許される事ではありません。
人の命の重さをもう1度、全世界で考えて欲しい日。
8/6・8/9です。

2005/08/04(木) みんな〜バラバラ
今年の夏休みはどこかへ行く計画ありますか?

我が家は1番最初に突入するのは下の娘。
そして入れ替わりのようにパパさん夏休み突入して、上の娘はまとめて取られないので、細切れで飛び飛びになってしまっています。

家族で旅行は無理ですね・・・

そしてふと思い出したのですが、子供の小学生の頃はよくキャンプに行ってましたね。
アウトドアの苦手なママですが、キャンプだけはまぁ〜まぁ〜文句も言わずに行ってました(笑)

何故だと思いますか?
簡単なんですよ、ママは子供達荷物の用意だけすればいいからなんです。
後は全部パパさんが準備、そして現地に行ってからは設営から料理からすべてやってくれます。
勿論後片付けもパパさんのお仕事。

料理と言ってもとても簡単なものですが、パパの作ってくれるもので、
屋外で食べる事でより美味しくなってくるのは当然ですよね。

先日の大掃除に繋がって倉庫の中にキャンプ用品が
かなりの場所をとっていたのを思い出したんです。
これから行く事は来ないでしょうね。

2005/08/03(水) 男の料理
最近お友達のところで、こんな話が出たのですが・・・
旦那様がご自分のお休みの時に家族のために
食事を作ってくれるというのです。

料理を作ることが好きな方だったり、得意と言う方もいるのでしょうね。

家のパパさん、カレーを何度か作ってくれたことはありますが(母の日のお祝いと言う事で)
それ以外は、例えば自宅で焼肉・鉄板焼き・たこ焼き〜
なんて時くらいしかやった事はないですね。

いわゆる前菜・主菜・副菜・お味噌汁orスープ類などでまとめられる食事。
こういう風な食事の支度をしてくれる事を一時は夢見ていたのですが・・・
すでに結婚して25年は過ぎた結果、無理ですね望むのは〜

それでもこれからの老後の生活を考える時、料理の1つも出来なくては〜
と水を向けると「娘がいるから心配ない!」と言ってました。
娘がいつまでも傍にいると思っているのでしょうか???

2005/08/02(火) 応募してみませんか?
北海道文教大学(恵庭市)が、全文600〜800字の小説コンテストを始めました。
筆記道具として携帯電話を使い、メールで応募するのが条件だそうです。

携帯メールは気軽に打てるのが特徴。
主催する日本語学科の岡本教授は「文豪よろしく机に向かうのとは、ひと味違う作品が生まれるのでは」と期待しているようです。

題名と氏名、年齢、職業を添えて9/10までに下記のアドレスに詳細もあります。
話し言葉は歓迎だが絵文字はお断りだそうです。

http://www.do-bunkyodai.ac.jp/index.html

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