ルチアこころの景色
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2004/04/30(金) 音楽のある暮らし♪
忙しい。今日はチケットをいただいたので、ロードオブザリングを見に行った。その前にアース・デーという地球を大切にしようというイベントをのぞいた。ギターの弾き語りがなかなかよかったのだが、その最中で席を立たなくてはいけなかった。

最近よくギターに関することが目の前に現れるので不思議だ。友達は10万円という本格的なギターを買い個人レッスンを始めたし、うちにも修理した子供の頃からのクラシックと高校時代のフォークギターが戻ってきた。息子は学校でギターのクラスが始まったし、何かとイベントでギターの弾き語りを目にする事がある。

ギターをまた始めろという事かな?私が最近始めた事は声を出す、という事なのだが、音楽に関する流れが急激に押し寄せている。久しぶりに「禁じられた遊び」を思い出したので、つま弾いてみたりした。なつかしい!本を買ってきて、ちょっとやってみようかな。弦楽器は自分には馴染み易いと感じている。だが、憧れるのはやはり「ピアノ」だ。

子供の時にピアノは1年ほど習った事がある。覚えているのはとても退屈だった事。まだ幼稚園のころ。一番初めの赤いバイエル。きちんと座って、ただ先生に言われたとおりに弾いて、音楽とはまだ言えない音を出す。が、まだその程度で突然やめる羽目になってしまった。

あるとき待合室で遊んでいたら、みんなではしゃいでいて縁側のガラスに足をつっこんでしまったのだ。ガラスは割れて、ひざを怪我した。その日は母におぶられて帰った。その途中に母が「もうピアノやめる?」と背中越しに聞くから「うん。」と仕方なく答えた。

あのとき、私はかなりショックだった。とてもおとなしいと言われていた自分がみんなと遊んでいる最中にあれほどの大きなダメージを他人の家に与えてしまった。それで母もそれがはずかしくて?私に辞める?と聞いたのだと思う。私も背中におぶられながら静かな口調でたずねる母に、「やめる」と答えるしかなかった。
あのときガラスを破らなかったら、ピアノが弾けていたかもしれないのに!・・・姉はその後も続けていたので少しは弾ける。

ピアノには縁がなかったという事だろう・・でもよく考えたらピアノという人間でもないような気がする。ピアノといえば松嶋奈々子的なイメージが自分の中にはある。

忙しいといいつつ、書き出すといきなり小さな頃の思い出を書いてしまった。とにかく音楽はいい。自分の体を使って音を出すにしろ、楽器を使うにしろ。音楽のないこの世界は想像がつかない。

写真は2年前に飾ってあった花。バランス。

2004/04/26(月) そこだけ人により異次元
いつからか定かではないが、神社とかお寺に行くのが大好きになっていた。どこにいても、神社があると気になる。
息子が土曜日にローラースケート・クラブへ行きだしたので、その近くのバス停を教えていたら、街中に小さな神社があった。人が多く行き交う中で、そこだけひっそりしている。

鳥居をくぐってみると、綺麗にそうじをした跡が見えて、きちんとした印象を感じた。こんな小さな神社だけど、誰かがちゃんと管理している。するとそこに大きな立派な木があった。神社とかお寺にはよく大きな木がある。これもいつからかわからないけれど、木にはとても惹かれてしまうので、ちょっと撫でてみたりする。どっしりとして大きく枝が横に広がり、素晴らしい木だった。一目見てその木が大好きになった。その木は大きい分、狭い敷地の中で写真を撮るのはむずかしく思ったような写真は撮れなかった。

そこでまだ真新しい頑丈そうなお賽銭箱にお賽銭を入れて、息子がひとりでもちゃんとこれから毎週バスで通えますように、とお願いした。その箱は大きな錠前がしっかりかけてあった。きっとこんな街中だから、今までにお賽銭箱ごと盗られた事があるのだろう。

この神社には入り口にその神社の説明書きがあるのだが、木に書かれたそれはすでに消えかかっていて、読みづらい。
何気なく鳥居のあたりを見ていると、道行く50くらいのスーツ姿のビジネスマンが、通りがかりに鳥居の前で境内に向かって礼をした。こうやって通りがかりにいつも神様に向かって礼を繰り返している人もいるんだ、と感心した。ほとんどの道行く人々は、この神社の前を通っても何も感じないように見える。そこに神社はあっても、彼らにとっては何も存在しないのも同然のように見える。

私はまたひとつ、好みのスポットが発見出来て嬉しかった。このあたりに来た時にはまたぜひこの大きな木に会いに来よう。ガタガタとした喧騒の中にひっそり静まりかえっている、この小さな空間。こういう空間に入ろうと思えばすぐに入れる事が喜ばしかった。

写真は境内でたたずむ猫。

2004/04/21(水) 自己責任って
イラクから人質となった3人の方が帰ってきて、今日本では「自己責任」バッシング討論が盛んになっている。ネット上でもその中傷論はさぞや大きいだろうと想像に難くない。

やりきれない思いだ。なぜまずは解放されて無事に帰ってこれた事を喜ばないんだろう?テレビで誰かが言っていたが、(ドイツ人?)人質になっていた時よりも、彼らは今の方がよっぽどつらいのではないかと。「自己責任」という言葉にすり替えて、本当に大切な討論されなければいいけない事はされずに、3人と家族をバッシングする言葉ばかりが聞こえてくるようだ。

危ない地域に勝手に行っておいて、助けてくれはないだろう?という意見がある。でも「助けて」と言ったのは彼らでなくて、彼らの家族だ。そしてもし自分の家族が誘拐されて殺されると脅迫されたら、普通の人間なら「助けてくれ。」と言うだろう。

問題は自衛隊の派遣に関して、反対賛成派が国民の中で2つに分かれていて、撤退を求める人々もいるということ。あの家族たちが、簡単に「自衛隊を撤退させてくれよ!」と訴えた心情のなかには、もともと自衛隊を出す事に賛成ではないという気持ちがどこかにあったからではないか。そしてそれにバッシングしている人々の中に、自衛隊派遣賛成派がいるから、ここまで彼らは強く批判されているのではないか。

結局はそういった政治的な思惑と人質事件がごちゃ混ぜになってしまっていることに問題があると思う。そしてそれは政府としては、うれしい誤算ではないか。あの事件のあと「自衛隊撤退しろ!」という意見が強くなってもらっては、それは国としては困ることだろうから。

なぜ彼らは誘拐されたのか?そのおおもとの原因の方を論じらるべきだと思うのだが・・・
国は人道支援で自衛隊を派遣していると、いかにも国民(憲法)を納得させるような事を言っている。それであるなら、どうして軍隊として行くのか?その見え透いた(または見方によっては日本としての苦しい立場をうまく切り抜けている)言い方はやめて、もっと素直に言ったらどうだろう?アメリカと世界とうまくやっていくにはこれしか仕方がない、と。

人道支援で個人で危ない地域に行く。人質になった彼らは行くときに、いざとなったら国に助けてもらえるからなんて考えてイラクへ行ったわけではないだろう。ただ純粋に自分のやる仕事をそこに見つけて行ったのだろう。よほどの覚悟がないと、そんな所へわざわざ行かない。

私はよくわからない。どうしてたくさんの人々が、これほどに彼らをいじめるかの如くバッシングするのか。
それよりももっと重要な問題があるでしょう・・・そのモトになった問題が・・と思ってしまう。

写真は大宰府のある禅寺とその横の惚れ惚れする立派な大木。

2004/04/19(月) 体の大掃除だ〜
風邪を甘くみていた私は昨夜それを思い知った。自分の体に聴いて大丈夫だと思ったから動いていた。これはムリだと思っていたら、すべてキャンセルしてただ寝ているだけにする。でもムリではなかったから動いていた。だが昨夜は熱がまたぶり返して頭痛がひどかった。どうしてこんなにつらいのだろうと思うほど、つらかった。眠りたくても眠れないほど。今回は39度までは上がらないのに、症状は重かった。

それなのに食欲がいきなり夜中に出てきた。なぜか急に「お味噌汁」が食べたくなったのだ。それを食べると体に良いような気がして、でも作るほどの元気もなかったので手軽なインスタント味噌汁「減塩。値段は高いがきのこはどっさり」という薄味であまり美味とは言えない味噌汁を食べた。ごはんに梅干も。すると半分くらい食べているうちに急に眠くなってきて眠った。

すると・・朝起きたら頭痛がかなりおさまっていたのだ!昨夜は「ぜったい明日は病院へ行こう。」と思っていたのに、今日になったら行く必要は感じなかった。味噌汁の効果とでも言うべきか?
それにしても激くしゃみしたり大量鼻水出たり、なんだかすごい数日だった。体のワルイものが出たのだろうか。そういえば今は体がスッキリした感じがする・・・

2004/04/16(金) 天使の歌声♪
また熱が出た、どうしてだろう。最近よく風邪をひく。それでもやはりそんな時には絶対にはずせない催しがあって、熱が38度あったけど、出かけた。息子の学校のミュージカルだ。彼がとても楽しみにしていたので、久しぶりにビデオカメラを持参して出かけた。昔の作曲家が出てくる話でモーツアルト、ベートーベン、ハイドンなど白いクルクル立て巻きのカツラをつけた子供達は可愛かった。ビデオの方は3,4年も撮ってないようで、バッテリーがもつかと心配したが、大丈夫だった。それにしても10年以上前に買ったビデオカメラは重い〜。最近のカメラの小ささに驚く。家に帰って熱を測ると下がっていた。どうも私は出かけた方が、具合がよくなる方なのかもしれない。食欲はそれなりにあったから、風邪気味で食欲がないという母の方がずっと心配。年をとると抵抗力が衰えるから、たかが風邪といって軽くは考えない方がいいのかもしれない。私はまだ軽く考えているけれど。(^_^;季節の変わり目、いろんな変化が起きるから、体もそれについていくのに、一生懸命だ。

2004/04/13(火) 忘れられぬ出会い
4月も半ばに近づいて、すっかり春になってきた。
もう桜はただの木という存在になって、ふと目に入るのは緑の輝き。「草原の輝き」というアグネス・チャンの歌が昔あったが、春はいいなぁ。蝶々が舞って、小鳥がさえずり、自然そのものが軽やかな音楽みたい。

夜になってベランダの窓を開けていても寒くない。朝布団から出てパジャマのままでも寒くない。この季節を待っていた。あれこれともうやりたい事を片っ端からやって、冬の間にぶっていた体を動かす。ふっと次に待ち構えている梅雨が脳裏を横切るが、今は今を楽しもう。

1年間一緒に働いた方々から寄せ書きのハガキが届いた。まさかそんなものが送ってくるとは思ってなかったから、びっくり。読んでみてじ〜ん。今後の仕事に対する励ましが多く書かれてあって、改めてがんばろう〜という気になった。みんな心に残る方ばかりだった。1年なんて早すぎる、辞める頃になると別れがつらくて、もう少し続けようかしらなんて頭をかすめた。でも私には決めた仕事があるのだから、それに全力投球しよう。この一年クルシイ事もあったが、その分得たものも大きい。

今年になって早いスピードで変化が起きているという声をよく聞く。これは2000年以来。新たな人々との出会いがあり、遠くに目指す道が見える。すべての出来事に感謝して前を向いて歩いて行こう。

2004/04/10(土) 空の向こうを思いながら
山川紘矢さんのメルマガに、イラクで誘拐された3人のもう少し詳しいビデオURLが記載されていた。http://www.spiegel.de/video/0,4916,2549,00.html
ドイツでは放映されたようだが現場の緊迫感が伝わってくる。

誘拐された彼らは実際はそんなひどい待遇を受けてないのではないかと思う反面、銃を向けて引き金をひいたり、ナイフを動かす作業は思うよりたやすいのではないかという気もする。人間は結構残酷で、そしてエゴの塊。それをどのように自分でコントロールしていくか、それが課題。国としての進む道、国同士のエゴの戦い合い。そしてそれよりも前に自分のエゴとの折り合いのつけ方。

自分の望む道と国の選択が違う場合はどうすればいいのだろう。精神世界的な考え方では、自分の中に日ごろ平和を望む気持ちがあってそれをひとりひとりが行動していれば、世界に平和な現象が形作られていくという。人の考えるエネルギーというのは、人間が思っているよりも強力。人々の祈りの力も想像以上にパワフルという研究結果が出ていると聞く。

でも家でただ祈って笑顔をまわりに振りまいているだけでなく、何か出来ないものか・・そう思うのが肉体を持った人間だろう。
この生ぬるいけれどもどこかに不満の種をぶすぶすと慢性的に抱えているような国にいると、実際に国外に出て行動したいと思う気持ちが芽生えてくる。それを行動に移しているのが、今現地で誘拐されているような方々。そんな危ない国に出かけていって、と周りには言われるだろう。でも行動する人は私はエライと思う。国のやり方と自分のやり方が違う場合は自分で行動をとるしかない。どんな小さな事でも。何を考えているのかはっきりさせるだけでも。

国に派遣されていく自衛隊員と自分から望んで行く人。日本はどんな形でも何か代償を払わないといけない時期に来ている。誰だってアメリカの後をのこのこ尻尾を振ってついていく犬にはなりたくない。でも自分たちは快適に暮らしたいし、どこかに攻められるのはイヤだし、アメリカに見放されるのは困るし・・なんて考えると、やはり判断が甘い。他の国に比べて、きっと。そういう国にはいつか判断を迫られる事件が起きる。そしてそれはこれからももっと起きてくる。これらの事がはっきりするまで。あとは覚悟を決めるしかない。

写真は政庁跡の木

2004/04/09(金) ピカピカの1年生(^^♪
連日桜の話は続く..
福岡の桜はもう葉桜になりつつある。サミシイ!せめてあと一週間咲いていてくれたらな・・しかし今年はナゼそのことがそんなに胸にこたえる?ナゼ桜にそこまで感情移入している?

うーん、もしかしたら、する事は山のようにあるのだけど、自然現象に気持ちをここまでさけるなんて、ヒマな証拠?そういえばよく母からこう言われてた。「アンタはのんきね〜そんなことばかり考えたり話したりして、普通のアンタくらいの年代の人はそんなヒマやないよ。」・・そうか、建設的な事を考えているつもりなのだけど、どこかずれてる?といっても他の同じ年代の方に合わせようという気持ちは毛頭ないけど。のんきに見られる事も大歓迎かも・・それが実は戦略だったりして?

しかし最近手をつけてなかったことを一挙に片付け始めたので、実際かなり忙しい。日記を書くのはその現実からの少しの逃避。企画案作成、PC環境の整備、HP更新、カウンセリングスペースの充実、そして個人的能力の開発計画。通信教育にまで手を出してしまった、よし、がんばるぞ!ワークブックとか手にすると何気なくウレシイ。小学生が新しい教科書をもらったときの感覚。勉強をまとまった時間するのは久しぶり、中学以来かも。といってもあれは単なる一夜漬け。去年の冬以降、放送大学の講座を少しとってみたら、結構面白かった。で、ある教科で思いがけずよい成績をもらって、うれしかった。でもそれもたいして勉強したわけではないので、今回はしばらく地に足をつけて続けてみようかと思っている。今の仕事に直接結びつくものではないが、将来的にはこれも仕事のひとつに出来れば・・と内心考えている。

そして・・ある個人レッスンも受け始めた。
まったくこの年になって、いまさらそんな事をはじめるなんてキハズカシイのだが、ずっとやりたかった事なので、思い切ってすることにした。早速一回目のレッスンが終わって、やはりというかなんというか。私は自分自身を普段出してないんだなぁと言うことをつくづく感じた。これを続ける事で、自分の中で何らかの変容がある、そんな気がしている。習う前はそんな変化が起こるなど、思ってもみなかったから、この心理的な気づきは大きな収穫だ。まるでオーラソーマのカウンセリングみたい。(^・^)

今日は小学校の入学式。桜は散り始めたけど、私も新1年生。期待と不安を胸に進んでいこう。

2004/04/08(木) 桜と非日常
日曜日からキャナルのグランドハイアットに泊まっていた。
家からわずかの距離なのだが、自炊をしないでホテルに寝泊りしていると、どこかへ旅しているような気分になる。
だが毎日レストランで食事をしていると、だんだんと家で食べるご飯が恋しくなってくる。
ただの白ご飯に梅干、焼き魚、お味噌汁。その組み合わせのなんと贅沢な事か。
自分も年をとったものだと思う。以前はこんなメニュー、まったく興味なかった。ホテルでも朝食に「ごはん」があると、ほっとする。洋食ばかり食べていると、どこか精神的にも落ち着かなくなるような気がする。

内陸部に住んでいた頃、日本にいる友達が「らーめん屋特集」のビデオを送ってきた。私は「なんで食べれないのに、送るのよぉ?」と涙ながらに不満を言った事があった。でも今では殆どその頃の気持ちを忘れかけている。当たり前にうどん屋に入り、当たり前にうどん・そば・丼ものを食べて「ここのはイマイチ。」なんて思ったりしている。また当たり前にほか弁買って、特別感謝もせずに食べている。あの頃を考えたら、かなりの贅沢なのに。

桜を求めて・・今年はあまり動かなかった。
太宰府の政庁跡、舞鶴公園、小戸公園でのバーベキュー。
西公園は今年もきっとキレイだっただろうな。
元夫は念願の桜を生まれて始めて日本で堪能。
東京の千鳥が淵、大阪城、京都清水寺、哲学の径、福岡舞鶴公園と、日本縦断の桜ツアーを敢行している。想像以上に良かったらしく、桜を撮りまくっていた。
大陸にいた頃にはこの桜がどんなに恋しかった事か。今も海外にいる友達たち、ごめんなさい、こんな文にこんな写真まで書いてしまって。

・・・はらはらと桜の花が散り始めている。
ほんの一週間の短い命。
日本人の情緒と桜ってとても似ている。そんな風に思うのだけれど、「日本人」って、さて、一体誰の事だろう?

*写真は太宰府政庁跡の桜

2004/04/01(木) 新しい日記帳♪
4月1日に新しい日記帳が出来た。昨夜は別のレンタル日記を登録して使っていたのだけど、デザインはそっちの方が好みでも画像入れるのにタグがわからない・・・(;_;)今の私にはむずかしすぎる。HTMLの勉強しないと。ここもカウンターはまだむずかしそうなので、おあずけだ。

昨日家の近くを歩いていたら桜が満開に近い勢いで、それだけでほんわかシアワセな気分になった。桜はすごい、その下を通っているだけで、こんなに人の気持ちを癒してくれる。そのへんチャリで行く人々も風を切って優しそうな表情してる・・・日本は平和だ。

歩いているうちに子供の頃を思い出した。小さい時私は反抗期がなくて、いじわるな女の子がいても反抗するスベを知らなかった。たぶん自分の中にイジワルの要素がほとんどなかったから、どうしてらよいかわからなかった。ただ受容することしか出来なかった。
大きくなるにつれ自我が目覚め、人に意見を主張して強く反抗する事の出来る女へと変貌した。

そしてこれは今でもあるが、子供のとき道頓堀とかで女の子を抱いたおじさんが、さみしそうに両脇の店を見てるのを見てしまったら「どうしたんだろう、あのおじさん。どこか悲しそう。」と胸がチクリとしていた。今ではそんな他人の事心配しないで、自分の事心配した方がいいんじゃないと周りから言われそうだけど・・。

でも考えたらその小さい時の気持ちが今の仕事をするベースになっているのかもと気がついた。他にもいくつか仕事をしたけれど、カウンセリングやセラピーの仕事が大好きだ。これ以上に満足出来る仕事は自分の中にない。心理的なものをつい考えてしまう方なので興味のある分野だし、来たときは固い表情だった方がやわらかい笑顔になるのを見るのはこちらもうれしい。もちろんタイヘンな事もあるけれど、やりがいがある。

それにクライアントさんと接していると自分にも光がそそがれている感じを受けて、一緒に気持ちがよい!
まだまだ小さな力だけど、これからもっとパワーアップしていきたい。そして一生この仕事を続けて行く。それは心に決めている。

*写真は散歩途中で見つけた「桜と木蓮そして月」。


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