ルチアこころの景色
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2004/09/07(火) 秋は食欲の季節・・
また九州は台風直撃を受けた。
次々にやってくる台風・・・なんと沖縄のすぴこんは台風のために中止になってしまったらしい^_^;出展する方はいろいろ準備をしているから、そういう事になったらもちろんガッカリする。だがそれ以上にすぴこん開催のために尽力を尽くしているスタッフの方々が気の毒だ。

今日は学校も休みで家に一日中閉じこもっていたから、昼間は近頃食べたいと思っていたミートパイを作った。パイ皮はパイシートで中身は鳥ミンチしかなかったからそれとオールスパイス(シナモン・クローブ・ナツメグ)玉ねぎ・人参などで作ったが、息子も美味しい!と言ってくれた。(^^)アメリカにいた時はパイ皮から作った事もあったが、それはアメリカンチェリー・パイ。アメリカのパイって何層にも重なったサクサクしたものではないので、私は日本の(ヨーロッパ系の?)パイの方が好き。

次回はアップルパイを作ろうと決めたのだが、パイシートは油分が多かった感じがするので、パイ皮から作った方がいいかも。今巷にはメロンパン屋さんがたくさんあるが、パイ屋さんを誰か作ってくれないかな〜。これはブームとは関係なく売れると思うのだが。季節のパイと称して秋は「パンプキンパイ」などが店頭に並んだりして・・そういえば秋になるといつも冷凍のパイ皿を買って来てスイートポテト・パイをよく作っていた・・日本でスイートポテトって見かけないのだが、あのオレンジのお芋さんってないのだろうか??

ミートパイは20年以上も前(ほんと昔話だ)ロイヤル・アペティートのミートパイが好きで時々買っていた。OLになった頃だったが、その後OLを辞めてオーストラリアへワーキングホリデーに行ったのだが、行く前にお金を貯めたくて、仕事2つかけもちして大名にその頃出来たアペティートでバイトしようとした。でも歩き方まで颯爽と歩いてほしいとかいろいろ訓練があって、なんかやる気なくして働く前に辞めた覚えがある。

昔の話を思い出していて、時の流れの移り変わりになんともいえない気分になる。時間と空間というものに私たちは縛られているが、どうも計算上では?タイムマシーンを作る事は可能だというじゃないか。違う時間が同じ時に存在しているとも。一体それはどういう事なのだろう?三次元に生きている、三次元の頭では理解しにくい。でも、ちょっとした考え方の変換でわかりそうな気もするのだが・・もしかして私たちがスピリットの世界から来ているとして、その事はどこかで知っているのかもしれない。ただ忘れているだけで・・そういう感覚があるようなないような・・・

写真では美味しく見えないちょっとぶれてる丸ごとパイ

2004/09/06(月) もうすぐ解禁〜
Serapis Beyのサイトは数年前にオープンしたのだが、肝心のカラーセラピーの欄がまったく作られてない。なぜだ?やはりルチアはタイマンか。と思われている方も多いかと思う。だが実はこれには深〜い理由があるのだ。

オーラソーマ社はけっこうキビシクて、公にオーラソーマの説明をする事を、あるレベル以上からとルールでしっかり決めている。プラクティショナーのレベル2からは仕事としてオーラソーマを取り扱ってもよいのだが、プラクティショナーの一番上のレベル3になっても、どこかに行ってオーラソーマの説明をするとか、インターネットで説明をするというのを禁じている。(プラクティショナーなのにそれが出来ないってかなり仕事しにくいのですが。)

といってもそれを真面目に守っている人は少ないのではないかと思うのだが、私は一応レベル3なのでまだそういう活動はしていない。その上の講座がブリッジ・コースというもので、これはティーチャーになるための架け橋みたいな講座なのだが、ここまで受ければどこでオーラソーマの事をいっぱしに説明してもOKとなる。というのも、この講座で初めてどのように公に説明すべきか、を学きちんと学ぶからだ。

私はレベル3を数年前に受けているから、もういい加減ブリッジを終えても良さそうなものなのだが、なかなかタイミングが合わず今まで来ている。これもたぶん「あなたはまだブリッジにいける時期に来てませんよ〜。」とオーラソーマの創始者であるビッキーさんが、空の上から言っているせいかもしれないと思ったりしていた(もちろんレベル3より上に上がらない人もたくさんいる。)

ところが今年夏に琵琶湖でそのブリッジを受けることになり、やれやれ、やっとこさ、と思っていたのだが、イギリス本校でも秋にブリッジが行われるのを知り、琵琶湖よりそちらに行く事にしたのだった。その理由はといえばイギリスに行っても琵琶湖と同じくらいしか総額かからないから。なぜかといえば、イギリスのコースを個人で受けると琵琶湖ほど高くないからだ。

日本のコースは外国で受けるオーラソーマより高く、それにブリッジより上のコースは外国人が講師となる事が殆どなので、通訳代が含まれる。それに比べてイギリスのコースは講座代に宿泊から食事全部込み。イギリスのポンドは以前より高いはずなのに、一体どうしてこうなるのか・・・もちろん日本のオーラソーマで団体を組みツアーで行く場合もそれはとっても高くなる。

というわけで私は心細いがひとりで、イギリスの片田舎まで来月行く事になった。これもビッキーさんが空から呼んで下さったのかな〜と勝手に考えながら。(オーラソーマに関わっているとこういう現実的では考えられない事が起こる。)

イギリス英語がかなり不安。友達のアロマショップでバイトしていた時、夜イギリスのアロマの卸先にクレームの電話を何度かかけたのだが、イギリス英語って何を言っているかわかりにくい。_(._.)_今からイギリス英語のCDでも聞かないとと思っている。またオーラソーマの講座っていつもものすごくたくさんノートをとるのだが、それを英語でするなんて・・・録音する機械は持っていくつもりだが、どうなるだろう?哲学的な話も多いし・・と不安は考えれば尽きない。でももう当たって砕けろで行くしかない。

帰ってきてからは、オーラソーマの項目をどんどん作ってHPに入れていく予定。(ほんとかな?)今までの間にサイトをしこしこ作っておいて、ブリッジ後に、どん!とアップすればいいのだけれど、それが出来ないのはやっぱり自分はタイマン?

いやいや物事にはすべて時期があるのです・・・(^_^;

2004/09/05(日) 何のためのスピリチュアル?
台風がよく日本にやって来る。
スピリチュアル系の世界では台風は「浄化」と称される。
という事は今の日本は浄化する必要がたくさんあるという事だろうか。

近頃よくスピリチュアルな仕事と現実世界のバランスについて考える。以前はスピリチュアルな仕事一本で一生やっていく・・というのが理想だったけど、今は変わってきている。

その根本的な考えは人間が磨かれるのは普段の生活の中で、特に人間関係やサバイバルの問題により成長するというものだ。スピリチュアルなことも大切だが、それ以上に今の私たちに重要なのは毎日の物質的な細々だ。こんな事敢えて書かなくても当たり前ではないか、と思う方も多いだろうが。

個人個人切り離され固体化して生まれてきた私たちは、何とかしてうまく生きていかなければいけない。その時生まれるほとんどの問題は、自分のサバイバルや「エゴ」に由来するもの。人生はけっこうキビシイ。街を歩いていても、電車に乗っていても、ピカピカ明るくて幸せそうな人よりも、毎日の生活につかれてどんよりしている人の方が多い。そして最近の傾向として、人生がうまくいかないから何かカルマがあるに違いない。それをとってもらえば、ラクになるはず、とか、自分のスピリチュアルな部分を発達させれば、未来がうまく行き易いのではないか。と考える場合が多いこと。だからこそ、こうして多くのヒーリング産業が発達しているのだろうけれど。

誰しもカルマを背負っているものだが、それを返してくのは、自分の努力以外にはないと断言する。スピリチュアル系のセラピストは何らかの問題を抱えている人が少しでもラクになるように手助けをする。そのカルマに対して自分で考え、行動して返していくのは本人の仕事だ。もしカルマをすべて他人が消してしまったら、一体何のためにその人は生まれて来たのだろう?また仮に他人にカルマをとってもらった所で、それはまたいつか本人に戻ってくる。それがカルマの性質だから。

他にも現実の社会でうまく生きられない人がスピリチュアルな世界に入り、その部分だけを発達させてもそれは単にスピリチュアルおたくでバランスがわるいだけだ。そうやって生きるために人はわざわざ肉体をもって生まれてくるのではない。

困っている人が上のような考えになるのは人間の感情としてあると思うが、それにつけ込んで多くの見返りを要求して甘い言葉で誘う人々というのは、もはや全くスピリチュアルとはかけ離れた人々だ。私もスピリチュアルな仕事に携わっているからこそ、余計にそのような人々が気にかかる。

心が傷ついているとき、誰だって誰かにそっと温かい手を差し伸べてほしいと思う。私はその人のカルマをとる事は今後もしたくはないけれど、その人にとって明日またこの世界で生きていく、力の一部分、ほんの小さな光の一部分になれたら、と思う。

ちなみにオーラソーマ自体はもともと心理的なカウンセリングで、一番大切なのは、クライアントの方の「気づき」。だからセラピストは無理強いは決してしないし、その方が自分自身を私という鏡を通して深いところから映し出してくれるのを導き出すだけ。人間はひとりで考えているだけでは、なかなか自分の考えをまとめにくいし、自分でも気づいていない潜在的なものがあるから、何かに悩んだりしてどうしてよいかわからない時は、セラピストを訪ねるのもひとつの道だ。そしてその後はすべて、その本人にかかっているというのは、どのセラピーに通っても同じ事だ。

2004/09/04(土) 我が道を行く
友達から日記読んだよ、のメールをもらい、改めてこの2日くらいの日記を読んで、内容を変えたくなった。(^_^;)「苦労」の話を書いていたかと思えば、最後は「感動」の話に微妙にすり替わっていて、ハッキリ言って文章としてまずい。

実を言うとその日記を読んだ友達も私も、書くことでご飯を食べていたことがある。こんな事アカミングアウトつもりは全くなかったのだが、彼女のような昔の旧同業者から読まれると、ちょっと気になったりする。

読んでておもしろいなと思ったのは、数日前に書いた自分と今の自分がかなり変化している事に気づいたこと。数日前の私はまだバッチのエッセンスでいうと、クレマティスを抜けきっていない、少々空想癖ありそうなタイプに見える。しかしここ数日の変化により、今の私はけっこうドッシリしてる。それはここ数年を考えると大きな変化だ。

将来どんな形で仕事を進めていこうか、とここ数年考えていた。最近その考えが今までとは違う方向に進んでいる。そしてそれは一石二鳥の方向なので喜ばしいともいえる。考えがある程度決まったのでちょっとスッキリ。

そうそう、カミングアウトに関して言えば、人間って「他人にどう思われるだろうか?」と心配している間はなかなかスムーズに事が運ばないらしい。それは自分に焦点を合わせているのではなく、自分の外に焦点を合わせているから。

この世界はある意味では劇の舞台の用なセッティングがされているだけで、そこで皆で物質になっていろいろ経験していると私は考えている。そういう意味では、この世は現実であって現実ではないとも言える。

ここの説明はむずかしいが、人間の本質は体ではなく、スピリットだと考えると理解できると思う。私たちはスピリットが本質で、その世界から、何かを具体的に経験して学ぶためにここにやってきている。だから、いつかはまたスピリットの世界に戻っていく。その意味でこの現実は現実であって、別の意味では単なるセッティングに過ぎないということだ。

だから自分がわざわざ物質化してこの世に来ているのに、他人からどう思われるか?なんて余計な事に心を砕いていると、学習が進みにくいし、人生もうまく行きにくいと言うわけだ。

しかし・・・これを読んでいる人で「なんでスピリットが本質なんていえるの?」とツッコミを入れたくなる人は多いだろう。でもこの論理に対して他人がどう思うと、そんな余計なこと私は気にしない。けっこう自信もあります。(^^)でも文章を友達が読んでいたら、やっぱりちょっと、気になるかも・・・?

写真は百科事典のように大きく重たい6年の息子の教科書とA4のノート〜画像ではその大きさがわかりずらいが、重さを量ると2.5kgあった。


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