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2004/09/04(土)
我が道を行く
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友達から日記読んだよ、のメールをもらい、改めてこの2日くらいの日記を読んで、内容を変えたくなった。(^_^;)「苦労」の話を書いていたかと思えば、最後は「感動」の話に微妙にすり替わっていて、ハッキリ言って文章としてまずい。
実を言うとその日記を読んだ友達も私も、書くことでご飯を食べていたことがある。こんな事アカミングアウトつもりは全くなかったのだが、彼女のような昔の旧同業者から読まれると、ちょっと気になったりする。
読んでておもしろいなと思ったのは、数日前に書いた自分と今の自分がかなり変化している事に気づいたこと。数日前の私はまだバッチのエッセンスでいうと、クレマティスを抜けきっていない、少々空想癖ありそうなタイプに見える。しかしここ数日の変化により、今の私はけっこうドッシリしてる。それはここ数年を考えると大きな変化だ。
将来どんな形で仕事を進めていこうか、とここ数年考えていた。最近その考えが今までとは違う方向に進んでいる。そしてそれは一石二鳥の方向なので喜ばしいともいえる。考えがある程度決まったのでちょっとスッキリ。
そうそう、カミングアウトに関して言えば、人間って「他人にどう思われるだろうか?」と心配している間はなかなかスムーズに事が運ばないらしい。それは自分に焦点を合わせているのではなく、自分の外に焦点を合わせているから。
この世界はある意味では劇の舞台の用なセッティングがされているだけで、そこで皆で物質になっていろいろ経験していると私は考えている。そういう意味では、この世は現実であって現実ではないとも言える。
ここの説明はむずかしいが、人間の本質は体ではなく、スピリットだと考えると理解できると思う。私たちはスピリットが本質で、その世界から、何かを具体的に経験して学ぶためにここにやってきている。だから、いつかはまたスピリットの世界に戻っていく。その意味でこの現実は現実であって、別の意味では単なるセッティングに過ぎないということだ。
だから自分がわざわざ物質化してこの世に来ているのに、他人からどう思われるか?なんて余計な事に心を砕いていると、学習が進みにくいし、人生もうまく行きにくいと言うわけだ。
しかし・・・これを読んでいる人で「なんでスピリットが本質なんていえるの?」とツッコミを入れたくなる人は多いだろう。でもこの論理に対して他人がどう思うと、そんな余計なこと私は気にしない。けっこう自信もあります。(^^)でも文章を友達が読んでいたら、やっぱりちょっと、気になるかも・・・?
写真は百科事典のように大きく重たい6年の息子の教科書とA4のノート〜画像ではその大きさがわかりずらいが、重さを量ると2.5kgあった。
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