ルチアこころの景色
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2005/03/09(水) 大きな楠木に見守られて
自分が今住んでいる土地の守り神ともいえる神社ってどこだろう?それがずっと気になっていた。お正月に有名な神社にお参りには行くけれど、地元の神社ってあまりお参りに行かないのではないだろうか?大きな神社はご利益あるけれど、近くにある小さな神社は小さいからご利益もない、みたいな感覚かもしれない。

江原啓之さんの神社マップ本を借りた事があってそれには、自分が住んでいる所の氏子神社と自分が生まれた所の産土神社に参るのが大切とあった。それでやっと今日今住んでいる所の氏子神社にお参りに行った。それはあそこだろうなっていうのはあったのだが、一応本に書いてあった通り神社庁に聞いて、そこで言われた鳥飼神社へ行った時に聞き込みをしてやっと判明した。近くの田島神社だった。

今住んでいるところに引っ越して来てすぐ、夏に田島神社で神楽の奉納とお祭りがあったから一度行った事はあるのだが、きちんと昼間にお参りに行ったのは、4年間住んで初めての事だった。誠にご無沙汰していた。

そこは細い道に囲まれた小さな神社で、社務所はあっても誰も顔を出している人はいない。まずは手を清めようとしたが、竹のようなカバーがしてあって、洗えなかった。とりあえず「どこそこ(住所)にだれだれと住むかくかくしかじかです。」と挨拶から始まるお参りをした。氏子神社の場合はこれが大切と書いてあったような気がして。お賽銭も普段は5円か10円だが、今日は太っ腹に100円を入れた。(^^)

お参りのあとにそこをぐるっと回ってみたら、ご神木と書かれたぽっかり中心部があいて元気のなくなった木があって、残念な気持ちで少しの間見つめていた。そしてまた歩き出したらその脇にはなんと、おお〜きなクスノキがあるではないか!それはそれはたくさんの張り出した枝っぷりが見事で、ためいきが出るほど立派な巨木だった。「こんなにすごいクスノキが近くにあるなんて、知らなかった・・」それが今住んでいる所の氏子神社にあるんだから、ウレシイ事である。

しかし私はいつからこんなに木に愛着を感じるようになったのだろう?神社の空気が気持ちよくて、神社が好きになった頃と同時期かもしれない。たとえば阿蘇の幣立にはとっても素晴らしい木がある。神社と森、又は木というのは切っても切り離されない関係だ。ご神木と言うくらいだし、個人的にもご本殿よりそのような木からは何倍も大きなエネルギーを感じる。

太宰府にもそのような樹齢1000年?とも言われる木があるが、私はこの田島神社ほどに感銘を受けた木はないかもしれない。幣立神宮の木はあまりにも有名だが、あの田島神社の木は人が観光で見に来るような木とは全く違う。全く自然にそこにただ立ってらっしゃるのである。だからおごりたかぶってもないし、性格がすっとしている。妙だと思うだろうが、木にも性格があるように感じる。今日お会いしたクスノキさんは、とっても強いけれど、かつとっても優しい性格のようにお見受けした。クスノキというのは大体において穏やかな風貌しているが。

近いうちに木に関するワークをしたいと思っていて、今日はそのことを考えていたのだが、そんな時にお会いできてうれしかった。その木は近くにいるだけで、やすらぎと勇気をもらえる。私は今日わずか数分しかそばにいなかったが、それをしっかり感じた。出来たらこれからは時間のあるときはあの木のところまで散歩に行って、その素晴らしいエネルギーを分けていただきたいと思う。でも残念な事にその木は触れる事ができない。囲いがあってさわれない。

たぶん木に興味がない人には私の考える事はブキミの領域に入るのだろう。でもプランターが好きな人、草花が好きな人、みな彼らから「やすらぎ」をもらっているはずだ。木というのは地球上の同じ所にずっと100年も200年もたたずんでその全てを見つめている存在だ。そう考えただけでも彼らは物言わぬ賢者そのものだ。きっと彼らから得る事も多いのではないだろうか。

今日さらに木を愛してしまった私は、また彼に会いに行く日を楽しみにしている。種別人間よりも種別樹木をもっと愛しているかもしれない!私の意識の中に、あのゆったりした大きな木が今あり、そこから地球とそして宇宙すべてに拡がり、おおもとと繋がるやすらぎを今感じている。木はただの木ではない。それはすべての自然、そしてその自然はすべての神、に繋がっている。氏子神社に行って、これほどの収穫があるとは想像もしなかった。


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